雪の断章 情熱
1985年 東宝(製作:東宝映画)
監督:相米慎二 主演:斉藤由貴、榎木孝明、岡本舞、世良公則
相米監督×斉藤由貴をもう1本。初期の相米作品は、とにかく長回しを多様する。長回しであり、カメラはアクロバティックに動き、被写体を捉える。この映画のファーストシーンも、カメラをどう動かしているのかを考えてしまったら見る側は頭がいたくなるだけだ。そう、ただ、観客は画面に入り込めばいいのであるが、今もやはりいろいろ確認してしまう。まあ、それなしでは語れない映画でもある。
斉藤は7つの時に、榎木にあう。みなしごで、金持ちの家にひきとられ、しいたげられていたのを榎木がひきとったのだ。友人の世良も彼女を育てることを応援する。10年後、大人になった斉藤は榎木にいわれ北大を目指すことに。そんな、影のない生活をする斉藤のアパートに、昔の家の長女(岡本)が越してくる。そこで、引っ越しのパーティーで事件が起こる。岡本が毒殺されてしまったのだ。斉藤は重要な容疑者にされる。そして、いろいろと生活のバランスがくずれていく。榎木のフィアンセからは、別れてくれといわれ、家政婦からは、榎木が斉藤の女として大きくなるのを待っているといわれ、榎木に「偽善者」とこぼしてしまう。世良の家にいった時、斉藤は犯人が世良だと知ってしまう。世良は白状しないが、北大に受かった斉藤に、九州にいこうという。旅だちの日に世良は自殺をはかる。残された斉藤は出ていこうとするが、榎木と結ばれる。
話は、大人のおとぎ話的な話である。相米の目は、斉藤にある。相米が初期に撮った、薬師丸ひろ子、河合美智子、そして斉藤のアイドル映画路線は、アイドルをいじめ抜いて、結果、そのアイドルの見事な記念碑的な演技を残している。映像のことが先に出る監督だが、演出力はピカイチである。(演技している方はよくわからなかったらしいが)
この映画においても、川は泳がされるは、波が高い海のテトラポットに登らされるは、体を動かさない演技はほとんどない。見ているこちらが、筋肉痛になりそうな感じでさえある。少し、デフォルメさせた演技は増村保造的ですらある。それをさせて、カットを割らないのだから、出ている方はたまらないし、結果を見ての達成感はあるだろう。
とにかく、そのなんだか重さを含んだ長いカットに重なって、松田聖子や笠木シズ子やバービーボーイズが無頓着に流れる。それが、斉藤のアンバランス感を増幅しているように。そして、最初と最後の人形だったり、途中で出てくる道化師だったり、脇に何か気になる道具を置くことで、映画は心象風景を表現していく。そう、いうなれば、不協和音な映像である。私的には、それが心地よいので、相米映画ファンなわけである。
映画の長回しは、演技の緊張感を切らないために使われることが多い。そして、ある意味、舞台的な演出であると思っている。しかし、相米の長回しは、カメラがどうにでも動きまわるので、覗き的な感じである。そう、緊張感は役者側にあるのではなく、撮る側にあるのだ。(つまり覗く側)ということは、カメラの視線は観客目線なので、観客側に、何か覗き感があり、緊張感も移る感じがする。というか、結果として映画的になるのはなぜか?という疑問がいまだに解決できていない。まあ、それは後日にまわそう。
斉藤由貴は、この後、大森一樹の三部作にでるのだが、やはり、この映画の演技が一番である。ここでの目力はこの後見ていないから、たぶんそうである。
まあ、他の榎木孝明や世良公則はさしみのツマくらいの扱いである。結局、監督はアイドル好きだったのではないかと思うわけである。最後の、忠臣蔵みたいなフィルムがでて、「おしまい」とエンディングマークがでるのは、たんなるテレであるような気がするのだが・・。全然、意味ないものね!
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