1999年の夏休み(1988) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

1999年の夏休み

1988年 松竹(製作:NSP、ソニーソフト)

監督:金子修介 主演:宮島依里、大寶智子、中野みゆき、水原里絵


萩尾望都「トーマの心臓」がモチーフであることから、少女漫画世界を映画にしようとした作品である。少女たち4人に男装をさせ描いたそのトーンは90分間持続し、異次元に観客を封じ込めることには成功している。しかし、だから「何」という人がほとんどであろう。まあ、ひとつのヒーリング映画と見ればいいのか?


ひとりの少年(宮島)の自殺する場面から始まる。山の中の寄宿舎。夏休みが始まり、3人の生徒が残る。3人は共に死んだ少年を愛していた。そして、その中で大寶が愛されていたことも事実である。そんな、ある日、死んだ少年にそっくりな転校生(宮島2役)がやってくる。性格は少し違うが、皆はとまどう。

しばらくたって、宮島のところに母が死んだという手紙がくる。後を追う大寶。ふたりは心を近づけ、寄宿舎に戻る。そして、少年は自殺現場で告白する。同一人物だと。そこで2人で湖に飛び込む。大寶だけ助けられる。そして、新学期、宮島とそっくりの少年が転校してくるのだった。


映画の作りは4人の心理劇である。そして、映画というよりは、少し宝塚的な舞台調で話しは進んでいく。問題は4人のキャラクターそれぞれのデフォルメができていないことである。何か凡庸なままストーリーがすすんでいく。


舞台設定、そして美術は完璧に近い。トーンをそこなわずに細かい部分まで配慮がなされている。それだけに、もっとサスペンス的に作ってほしかった。観客が、何故、少年が死んだのか?誰が誰に嫉妬しているのかをもっとスリリングに描いていけば、作品の質感は変わったはずである。


基本線は年下の水原里絵(深津絵里の最初の芸名、この時点で彼女はまだ孵化していない感じである)の視線で丁寧に描かなくては、観客にはその人間関係がはっきり把握できない。そして、リーダー格の中野みゆきと大寶智子との差異は最後まで私にはよく理解できなかった。


そして1番の問題は、主軸になる宮島依里に魅力がないことであろう。この部分をクリアすればすべてがうまく回転したような気もする。


話は、幾度も宮島が生死を繰り返し、「メビウスの輪」状態で終わる。やはり、それが最後に、観客の「恐怖」「運命」「無限」というものに結びついていかなければ、映画は報われない気がした。


公開当時に観たときには、その設定、舞台のものめずらしさを評価したような気がするが、1999年が過ぎた今、私には上記のいらだたしさだけが残った。


少年4人が、いろいろな意味でセクシャルに描かれていたら、日本映画の同性愛映画(ホモ映画ではない)のプロトタイプとして伝説となっていたかもしれない一遍である。


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