この1ヶ月の極端に走行距離を減らした調整によって、驚くほど身体が軽い、まるで背中には翼があるかのように感じる。力強い腕ふりは腰の回転を生み出しストライドの距離を稼ぎ出している。いつもよりも大きなストライドで、つま先から着地をすると鉤爪でもあるかのようにしっかりと地面を捉え、まえに身体を引き寄せ推進力を生んでいる。お尻のあたりまで届こうかという蹴りだしは、その爆発的な筋力でアスファルトを破壊し吹き上げていくかのようだ。完璧な左右バランスも保ち前傾して駆けるその姿に見るものは魅了されていく。

 

この1㎞2分40秒の超ハイペースに於いても、まだまだ身体が前に進みたがっている、もっともっと【走る】という事を走の全てが欲しているようだった。

 

(これなら今日はゾーンに入っていけるかもしれない)右手には生麦駅、鈴なりの大歓声だ。3㎞を過ぎムトク等の姿はもう目の前となっている。JR京浜東北線と並行して走る国道15号線、この広々とした国道を3年前はちょうど逆方向に走ってきたんだ、ラスト3㎞といえばあの時は最もスピードに乗ってゾーンの真っただ中の時だった。とても気持ち良かった。走はあの時の自分が彼方からあっという間にいまの自分に向って走ってきて、すれ違う想像をしていた、そしてすれ違うとまた彼方から駆け寄ってくる、そんな想像だ。

 

≪さぁ選手の右手にはJR子安駅が見えて参りました。画面は現在5.4㎞地点、ここにも物凄い観衆、この大観衆の前で、寛政の蔵原、14位集団に追いついてまいりました。一段回スピードが違うようです。一気に抜き去るか?おっとここで最速の学生ランナー、ムトクが振り向きました。そして好敵手を待っていたのでしょうか、やはりムトクは蔵原につきます≫

 

振り返った一瞬でムトクは走の状態を確認した。瞬間交錯した瞳は大きく開かれ黒く輝いている。笑っているかのような口元と全身の躍動感は走りそのものを楽しんでいるようだ。ムトクは予選会でタンデム走を繰り広げた時には無かったものを敏感に察知する。(キョウはカテないかもしれないな、でもリヨウさせてもらうヨ)ムトクは予選会で走に良いペースをつくってもらい自己ベストを出すことが出来た。1区の着順からこの展開を予想したムトクは前半から走に引っ張ってもらうレース展開を組み立てたのだった。(しかしスゴイ走りだネ、ニッポンジンとおもえナイ)ムトクは走の美しい走りに羨望を覚えながら、虎視眈々と並走を始めた。