こんばんは、runtaです。
今日は出張先のホテルでのんびりしています。
時間ができたので、最近読んだ本で思ったことをひとつだけ。
「このコンパクト・ディスクの演奏も古楽器演奏です」と老婦人は言った。
「当時と同じ楽器を使って、楽譜通りに演奏されています。つまり音楽の響きは当時のものとおおむね同じだということです。月と同じように」
青豆は言った。「ただものが同じでも、人々の受け取り方は今とはずいぶん違っていたかもしれません。当時の夜の闇はもっと深く、暗かったでしょうし、月はその分もっと明るく大きく輝いていたことでしょう。そして人々は言うまでもなく、レコードやテープやコンパクト・ディスクをもっていませんでした。日常的にいつでも好きなときに、音楽がこのようなまともかたちで聴けるという状況にはありませんでした。それはあくまでとくべつなものでした」
「そのとおりね」と老婦人は認めた。
「私たちはこのように便利な世の中に住んでいるから、そのぶん感受性は鈍くなっているでしょうね。空に浮かんだ月は同じでも、私たちはあるいは別なものをみているのかもしれない。四世紀前には私たちはもっと自然に近い豊かな魂をもっていたのかもしれない」
―『1Q84』「BOOK1<4月-6月>後編」村上春樹より。
現代でも古代でも、同じものは意外とある。月も夜空も音楽も絵画も。
でも今の人と昔の人では受け取り方は違う。。そうですね。
この一説の話を彼女にしたら、
1000年前の古い句を教えてくれました。
思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
あの人のことを思い続けて見た夢だから
あの人の姿が見えたのだろうか
夢だと知っていれば目覚めずにいたものを―
携帯電話もカメラも飛行機もなかった1000年前の恋の歌。
それは今の僕らよりはるかに切なく絶望的なものだったんだろうな。
今僕が持っている感受性と昔の人の感受性を交換できたら、
世界はどんなふうに感じられるんだろう。
もっともっと衝撃的で、感動に満ちたものになるんじゃないだろうか。
普段何気なく生活していて気づかなかった感動もたくさんあるんじゃないだろうか。
あの絵画やこのアートももっともっと衝撃も受けるのなかなぁ。。なんて思ったりします。
感動の多い人生にしたかったら、本当はもっともっと感受性を磨かなくちゃなのかも。
昔の人は努力しなくてもよかったのだろうけど、
急速に便利になった分、僕らは努力しなくちゃいけない。
もっともっと自然に近い豊かな魂になるように努力しなくちゃいけない。
本当は世の中にあふれてる、自然な深みのある感動をたくさん得られるはずだから。
それも、人生を豊かにする大事なことなんだろうな。。なんて。