こんばんは、runtaです。


先日、彼女とけんかして仲直りをしたときのことです。


彼女に冗談で「千文字で反省文書けぃ」と言ったら、




翌日彼女はなんと、




三文字書いてきました。。




……。




単純に「んもじ」と「んもじ」を聞き間違ったそうです。




1文字聞き間違って998文字をぶっ飛ばす猛者。




一生勝てないと思った今日このごろ。

こんばんは、runtaです。
「心を解き放つ」ということがどういうことか考えてました。


時代の閉塞感とか、ストレス社会とか、そんな言葉が多い今だからなのか、
「心を解き放ちたい」と思う人はすごく多いように感じます。



「解き放つ」というわけだから、今何かに「囚われている」わけで。


では、何に囚われているのか。。というわけで。


これって「ストレス」というものとはまた違ったものだと思います。



カラオケに行けば、ストレス発散にはなるかもしれない。
でも心は解き放たれない。


買い物に行けば、ストレス発散にはなるかもしれない。
でも心は解き放たれない。


飲み会に行けば、ストレス発散にはなるかもしれない。
でも心は解き放たれない。



一般で言う「遊び」に行けばストレス発散にはなるのは間違いないです。
でも心は解き放たれないわけです。


じゃ、なんで心が解き放たれないのかというと、

自分が自分という「内」ではなく、

世間という「外」に向いてしまってるからじゃないかな。。なんて思うわけです。


要するに「外」ばっか見てる。


いつからか今僕らが生きる時代は「ストレス社会」なんて言われて、

生きにくい世の中の大きな原因の一つのようにされてきましたが、こう考えると、

結局「外」の世界でストレスを発散したところで問題は解決しないんじゃないか。。なんて思えてきたりします。


てことは問題は「内」の世界にある。


「外」ではストレス社会に比例するように、

ストレスを発散する場所もたくさんできたように思う。でも違う。


ストレスを発散したって、ずっと何かに囚われ続けてる。
ストレス発散で短期的には消えるかもしれないけど、心のモヤモヤは消えない。
何か空虚なものが横たわる。そんな感覚を結構多くの人が持っているんだと思います。


じゃあどうすれば心は解き放たれるんだろう。


そう思ってたら、今日電車の中で読んでいた小説にちょろっとヒントがありました。




「で、どうするの?そんなとき」

「心のなかでリズムをとるんだ」

真ちゃんが勢いよくふりかえる。

「おれのリズム。まわりの音なんて関係ない、おれだけのリズムをとりもどすんだ。心のなかをからっぽにして、ワン、トゥー、スリー、ワン、トゥー、スリー…って拍子をとる。そうすると不思議に気持ちがらくになって……」

「それで?」

「またおもうようにうたえるようになるんだ」


「こらからさゆきが、まわりの雑音が気になって……親とか、教師とか、友達とかの声が気になって、自分の思うように動いたり笑ったりでいなくなったら、そのときはこのスティックでリズムをとってみな。さゆきにはさゆきだけのリズムがあるんだから」
―『リズム』森絵都より。




自分の心を囚えているのは、自分の周りの声。外の声。情報。雑音。。

やっぱそこらへんなんだろうな。


その雑音に囚われて、自分の「内」のリズムを失う。

リズムを失って、人生に迷う。あーでもない、こーでもない。って。
こんなはずじゃない。って。モヤモヤモヤ。




なら、自分のリズムを取り戻すことができれば、
きっと心は解き放たれたことになるじゃん。なんて思うわけです。




「外」に向けたストレス発散じゃ意味がない。




自分のリズムを取り戻すためには、「内」の自分と向き合わなきゃ、

結局始まらない。




歩くことで自分と向き合ってリズムを取り戻す。


本を読むことで自分と向き合ってリズムを取り戻す。


ものを書くことで自分と向き合ってリズムを取り戻す。




自分と向き合うためのツール。。鏡が必要なわけです。それで自分と向き合える。




今の時代には、自分と向き合える鏡が必要なんだよね、きっと。


そして、そんな鏡なんて、本当はどこにでもあるんだろうね、きっと。


ただ、それを鏡として扱わないだけなんだろうね、きっと。




。。あ、僕にとっての鏡は、ここにものを書くことだった。




そうだった。笑




「心を解き放つ」って、なんかすごく気持ちがいいイメージですね。

鮮やかで、まぶしくて、カメハメ波~!って感じで。笑




でも、心を解き放つってどういうことかなぁと突きつめて考えると、




どうやらカメハメ波的な光線を放射するようなものではなくて、




自分のリズムを取り戻すことが、

心を解き放つってことなんだなぁと思ったのでした。




リズムって、時々狂う。狂うたびに戻さなきゃならない。




僕の理想のリズムは、この頃のリズムです。




『リズム』
http://ameblo.jp/runta14/entry-10726181951.html


『てまひまの必要性』
http://ameblo.jp/runta14/entry-10777908656.html




てなわけで今日はここまで。笑


お久しぶりです。runtaです。

あけましておめでとうございます。
気ままに足跡を付けていくこの場所。久しぶりに戻ってまいりました。



なんとなく、過去の新年の言葉を読み返してみました。



2年前の新年の言葉。
http://ameblo.jp/runta14/entry-10755600974.html



1年前の新年の言葉。
http://ameblo.jp/runta14/entry-11131887055.html



これらを読んで、

当時からブレない自分と、当時と変わった自分を少しだけ実感できました。


先日、年末にジャンボ宝くじの行列の前を通った時に、同じ道を歩む仕事仲間とこんな言葉を交わしました。


「6億くらい、すぐに自分で稼いでやるさ」

※今に見てろ的に。笑


昔とちょっと変わったなぁと思いました。


でも今の僕には宝くじは必要ないなって思ったわけです。
※てかただ単純に余裕がないだけかもしれませんけど。笑 でもそれでいいかな。。なんて。




さて、今日から約2週間、静岡へ出張に来ました。

この期間を利用して、少し自分と向き合う時間を作れたらな。。と思いました。



ここで、少しだけでも自分の気持ちを気ままに書いて、

心を解き放てればと思ったのです。



手紙というのはやはり、郵便屋にしろ、海に浮かぶ瓶にしろ、
何かに運ばれて行ってこそ、書いた者の心がほんとうに解き放たれるものなのだから、と。

子供騙しのようだけれど、不思議なことにおばあさんにそう言われると、
心を締めつけていたものが否応もなく弛むのを感じました。

―『ポプラの秋』湯本香樹実より。



ここに書く言葉がどこに届くのかはわかりませんが、
自分の心が解き放たれるような気がするのです。だから久々に、書きます。



余裕ができたからものを書くのか、ものを書くことで余裕ができるのか。。



もしかしたら後者かもしれませんね。



そんなこんなで、気ままな僕の話は今年も続きます。


どうぞ、今年も宜しくお願い致します。