こんばんは、runtaです。
昔ふと思ったことをここに書いてみます。


世の中は、右利きの人に都合良くできています。

ということは。

世の中は、左利きの人に都合悪くできています。


たとえば、
はさみだったり、
駅の改札だったり、
学校のグローブだったり。


これらはみんな右利き用でできています。この世は右利きの世界だからです。


左利きの人は、そんな右利きの世界にちょっと不便を感じながら、
実際はうまく付き合いながら生きています。

右利きの人は、そんな左利きの人のちょっとした苦労なんて、
ほとんど全く考えることもなく生きています。


ただ。


利き方って、手だけではありませんよね。


利き足、利き目、利き耳。。いろいろあります。
※僕は手足は右利きですが、目は左利きです。


ここでちょっと考えてみたわけです。




もし、体だけでなく、心にも利き方があったとしたら。。どうなのかなぁって。




「利き手」と同じように「利き心」があったとして。



この世の多数派が右利きの心の持ち主で、少数派が左利きの心の持ち主だとしたら。



この世が手と同じように、右利きの心の世界に都合よくできていたとしたら、
左利きの心の持ち主の人は、とっても苦労してるんじゃないかなぁ。。なんて。


手と同じように、
右利きの心の持ち主は、左利きの心の持ち主の苦労なんてわからないだろうなぁって。


僕の仮定の話なので、
左利きの心の持ち主の苦労が、どのようなものかはわかりません。


ただ、なんとなく思うのです。


今の時代、心を病んでしまう人は、左利きの心を持つような人で、

右利きの心が大多数の世界に合わせるのに、疲れちゃったんじゃないかな。なんて。




心の病をもつ人の気持ちを理解するのが難しいのは、

右利きの人が、左利きの人の不便を理解してあげるのと同じくらい難しい。


※だっていきなり世の中が左利きの世界になったら、

 はさみとか改札とかみんな逆になったりしたら、

 きっと今まで多数派だった右利きの人は発狂しちゃうでしょ?笑

 そういう意味では、左利きの人って本当にすごい!


それが目に見える「手」ではなく「心」ならばなおさら辛い。

はさみも改札もグローブも目に見えるけど、

心の障害物は、目に見えないから、なおさらね。



僕は心を病んだこともないし、心も右利きだからある程度生きやすい世の中です。

ただ、心を病んでしまう人の気持ちも理解する努力をしたいと思うのでした。




でも世間には意外と心の左利き、多いんじゃないかな。。と思う今日この頃です。