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手相占い&リラクゼーションサロン なごみ空間

手相は自分の取説になります
生まれる前からずっと一緒で自分だけの唯一無二のものだから
自覚ないことも出ちゃってます
オンライン鑑定は手の画像4枚でOK
対面鑑定は大阪府高槻や茨木市と梅田、京都市内が主な場所です

 

好き嫌いや、やりたいやりたくないは人それぞれ。

 


それぞれの人の、それぞれの経緯があり
同じ人でも時によって変わることもあります。

 

 

例えば洗濯、好きでやってる人、
義務でやってる人、さまざまですよね。

 

 

わたしも洗濯を、
「うわ~洗濯出来る~~♪」の歓びの日と
「洗濯せなあかんな」って義務の日があります。

 

 

『歓び』の日は、
・青空に洗濯物が風で揺れるのを見たい!←好きなのこの景色!
・さっぱりした布たちの風呂上がりのような感覚を味わえる。
・取り込む時のパリッと乾いた洗濯物の手触りが好き。
・タオルをパンパンと振れば振るだけふわふわ仕上がりになってたたむ時に撫でると優しい氣持ちになるのが好き。

他にもいろいろあるけれど、
洗濯のその先にある好きや心地いいや嬉しいを
得られると思うと嬉嬉として洗濯します。

 

 

ところが
『義務』になってる時は、
単純に身体がしんどくて起きるのが辛い時とか、
ユニフォーム足りなくなるから曇ってるけど今日やっとかなあかんな・・・とか、ものすごーーく手前のところで、モヤモヤしています。

 

 

こんな時は、
しんどいならば起きずに洗濯を先延ばしにしてもいいし、
(先延ばしにできないに決まってる!!ってムカッと
来た方は、それって本当?って自分に問うたり、
わき起こる感情や、いつものパターンになってることを
見つめると自分の思い込みに氣づけて外すチャンス到来です)

 

 

曇った日に干した洗濯物はパリッとした感触がないから
それが得られないのでやる氣になれないんやな・・・って
自分自身の好き嫌いを知った上で、こう感じるんだよね
って認識できると不思議なくらい氣持ちが軽くなってきて


「そうなんよね、それよ、

ちょっと湿度が残ってるのがヤなんだよね」って

言いながら、洗濯機を回し始めて、
パリッとさせるために最後の仕上げは

エアコンの下に吊ってみようとか、
コインランドリーで乾燥させに行こうかな・・とか
なにかしら手段を使って

自分の好きを得るために動きだし
義務からちょっと外れる感じになります。

 

 

自分が洗濯を嫌がるものぐさ人間だ!って

裁くことをせずに
あ~そうだよね~

好きなパリッと感が得られないんだもんねぇ
わたし、よっぽどタオルふわふわが好きなんだなぁって
自分を知って、

さらに自分と仲良くなれるチャンスにもなります。

自分を裁かずに寄り添うと、
内側からエネルギーが湧いてきて、
動けなかったはずなのに動けるようになったりする♪

 

 

それは、
ふりしぼったり、
無理したりして動くのとは違う「動ける」で
消耗しないやつです。

 

 

何が言いたいかというと
楽しいこと
面白いこと
嬉しいこと
好きなこと
快適なことを得に行く時、
その途中経過は歓びの通り道になる。
通り道の通過点に「洗濯」がある場合、
「洗濯」も歓びに染まっていく。

 

 

でも義務の時には
「洗濯」が最終地点になってる。。。
いつまで経ってもどこまでいっても
歓びには染まらない。

義務ばっかりでしんどくなっている人は、
やる氣や根氣がないとか、そういうんじゃなくて
洗濯の先に待っている楽しいこと嬉しいことを
知らないだけかもしれないよ。

 

 

身体や心が疲れすぎていて、
洗濯の先にある歓びを

取りに行けない状態なのかも知れないよ。

 

 

そんな時ほど、もっと動かなきゃとか
わたしがやらなきゃって思いがち。

でも待って!
動かなきゃってもがく前に止まってほしい。

(今思えば、これをやらなかったから

うつ病になりました・・・)

 


止まって深呼吸して、
自分の呼吸の音が聞こえるくらいの
静寂に一度、身をおいて
自分の本当の氣持ちや声を聞いてください。

 

 

「自分は、どうしたいのか」
この問いが難しいならば
(したいことが分からないくらい
自分以外を優先して来ちゃったんだね。
自分アンテナ錆びついてしまったんやね。
大丈夫、錆は落とせるから、
じっくり一緒にやっていきましょう)


「自分は、なにが好きだっけ」
「なに食べてる時が嬉しいかな」
「なにを聴いている時が楽しいかな」
「どんな手触りがいい感じかな」
「どんな景色にホッとするかな」
浮かんだものは、どうぞ遠慮なく自分にあげてください。

 

 

自分で自分をケアしていたわって
自分の氣持ちに寄り添って来なかったから
あなたの世界に
あなたのことをいたわったり
寄り添ったりする人が
登場しにくくなってるだけなので
まずは、
自分が自分の「やりたい」や「好き」を知り
歓ばせたり
楽しませたり
ホッとする時間を
わざわざ作るってことをやってみてください。
5分、10分、15分これが無理なら一瞬ずつでも。

人生をお氣楽モードにチェンジしたり
歓びに染めるための
筋トレになります♥

 


わたしも今、こつこつやってるところです。
じわ~~っと嬉しいことが増えて
楽しくなってます♥
一緒に嬉しくて面白い人生に染め上げていきましょう♪

 

わたしは自分のことが嫌いで
鏡を見るのも嫌でした。
鏡をじっと見ないといけないから
化粧もしたくなかったし
試着室も全身が映るから大嫌いでした。

 

 

鏡を見ると
ここがダメ、ここは酷い
こんなんじゃアカンと
思うことがしんどくて
見ない方が楽でした。
だからお化粧もできなかったです。

 

 

自分の中身に対しても
頭の中を駆け巡るセルフトークで
「あ~やっぱり私ってここがダメだなぁ」とか
「なんであの時、あんなこと言っちゃったんだろう」とか
隙あらば、ずっと自分のアカンところに
氣持ちを向けて責めたてていました。

 

 

こういう時は
自分軸で生きていないから
随分、被害者をやっていました。



どうやったら他人からダメ出しされない
自分になれるんだろうってことを
真剣に考えて目指していました。



超絶身近な自分が自分に
ダメ出ししているってことに
全く氣付かず、
人からされないようにしたり、って

残念過ぎる不毛な対策をやってました。

 

自分自身が自分のことをダメだと思い、
「わたしは人からダメ出しされる」という
前提を持っているからこそ

ダメ出しされるという現実を生み

その源が分かっていないから

小手先の対策をしようとして、

ダメ出しされない自分を目指そうとした

わけですけれども

源を修正しないまま

対策を練ったとしても

わたしは変わらず自分のことが

嫌いであり、ダメだという前提は

持ち続けていて
それが現実化するから、

どこまでいっても
やっぱりわたしはダメ出しされちゃうな・・・って
負のスパイラルにドハマっていました。

 

 

こんな前提を持っていたら
当然、人生は苦行状態になるわけで
まぁまぁ大きなダメージを幾度も受けて来ました。

 

 

苦し紛れにセミナーに行くと
もっと自分を好きにならないと
もっと自分を愛さないと
もっと自分を受け入れないと
ってことは頭では分かるんだけど
でも、どうしたらそれができるのか
分かりませんでした。


こんな苦行な人生は止めたい!!!!!
という氣持ちは強まるばかりで
どうにかしなきゃ・・・と
頭をかきむしっていたら
『止めたいならば、今、何をしているのかを
知らないと止められないんちゃう?』って
声が聴こえた氣がしました。

「ほんま、そうやわ」と思い
わたしは自分の一日を、
まるで第三者のように
俯瞰して思い出してみることにしました。

 

 

朝起きた時から自分にダメ出ししていました。
もっと早くに起きたらいいのに
もっと爽やかに起きられたらいいのに
朝から時間を有意義に使ったらいいのに
鏡・・・見たくない
もうね、数限りなく、ようこんだけ
思いつくなぁって呆れるほど
ず~~~っと自分のことをダメ出ししていました。

 

 

このように自分にダメ出しをしている自分に
ダメを出すという無限ループにハマっているとき、
ふと絵が浮かんできました。

 


キリストみたいに、はりつけにした自分に
自分が弓矢を射っているのが見えたんです。
一回ダメ出すごとに一弓矢グサッと・・・
的になってるわたしは矢だらけの血だらけ
もう射るところがないくらい。

 


うゎっ!!!!
わたし、自分にこんなことしてたんだ・・・
わたしに痛みを与え
生き辛さを与え
生きる力を削ぐようなことをしていたのは
わたしやったんや・・・orz愕然としました。

 

 

申し訳なさと涙が込み上げて来て
嗚咽しながら矢を一本一本抜きました。

 


ごめんね、ごめんなさい、ごめんね
全部、抜き終わった時、
わたしは、はりつけにしていたわたしを
地面におろし寝かせて
もう二度と自分に弓を引かないと
誓いました。
だから、どうか今までのことは
許してください、と謝りました。
「許すよ」って声は聴こえなかったけれど
自分の誠意を、わたしに見せるために
つけてしまった傷を治すことに集中しようと思いました。

 

 

今までは、傷ついた人や、困った人を
助けたいって思ってきたけど
(自分の無価値観を人を助けることで
価値あるわたしにしたかったんですね)
ここからは、自分にエネルギーを注ぐと
決め、自分が心地良いと感じることを
最優先にしました。

 


でも、長年の癖でサッと自分を横において
人の方へ行こうとしちゃうのですが
踏みとどまって、
これは自分をないがしろにした行動ではないのかどうかを
確かめて、自分を最優先にする特訓を始めました。
これが去年の夏、5ヶ月前のことです。

 

 

これをやっていたら、
思わぬ副産物をゲットしました。
孤独が怖いものではなくなってきたのです。
独りの時間がかけがえのない大切なものに
変わっていきました。

 


すると、
どこかへいかなくても
なにかを手に入れなくても
大丈夫なんちゃうかな・・・という
氣持ちが強くなってきて
わたしは、わたしが居たらいけるんじゃない?って
思えてきたのです。

 

 

これ、わたしにとっては画期的なことで
いつも心のどこかで
誰か私を幸せにしてくれないかな
誰が私を幸せにしてくれるんやろ
と依存的で
なおかつ、
自分だけでは幸せになれないという
悲しい前提を持っていたわたしが
わたしが居るからいける、大丈夫って
感覚を味わって
なんかね、
すごく安心できるようになったんです。

 

 

そしたら、お金の無駄遣いも減ってきて
ずーーっと抱えてきた
お金に対する不安も
あんまり感じてないことに氣づきました。

そんなこんなの日々を過ごしていたら
一つ前の記事のように
レッグウォーマー履き忘れても
チッってならずに
うふふのふ~♪になってきたのです。

 

 

うふふのふ~♪感覚、めっちゃ大事ですね。
この感覚の時には
「ない」よりも「ある」に意識を向けていますから
自動的に豊かで幸せな方へ進んでいきます。

 

うふふのふ~♪
いっぱい感じていきましょう❤

 

 

 

今朝ね、ユニフォームに着替えている時に
考えごとしながら着替えていたら
ハイソックスにレッグウォーマーを
重ね履きするのを忘れて
ズボンを履いてしまいました。

 

 

「あ・・・ちゃう、間違えた」
ここでズボンの裾をめくり上げて
レッグウォーマーを履くと
膝上まで伸ばしきれずにグダグダに
なる経験をしていたので
潔くズボンを脱いで
レッグウォーマーを手に取った時、
ふと、このレッグウォーマーによって
今日一日、私が受ける恩恵が
頭の中を駆け巡りました。

 


訪問看護の車に朝イチ乗り込んだ時の
冷凍マグロの体内みたいな寒さを
和らげてくれるな~とか、
駐車場から遠いお宅へ訪問する時に
薄い化繊のユニフォームのズボンの
織り目から容赦なく侵入する寒さの矢から
盾になって守ってくれるんだよなぁ、とか
思わず顔がゆるんじゃって
レッグウォーマーに「ありがとうね♥」って
言いながら履いてました。

 

 

 

この時、ビビビッて感じたのです。
レッグウォーマーを忘れた時点で
チッと舌打ちしながら履き直すのか、
ゆるんだ顔で恩恵に感謝しながら履き直すのか。
これって、ほんの隣り合わせ。

 

 


明らかに後者の方がhappyなのは
誰だって分かるほど分かりやすいことだけど
こっちを選択できない自分がいた。

そんな時は、レッグウォーマーから受ける
恩恵じゃなくって、
履き直す時にロスする時間とか
履き忘れた自分を責めたり
恩恵じゃない方に意識が向いていた!

どっちを見るかは自分の選択次第。

 

 


同じ公園を歩いていても
お花を見つけて
「あの公園、可愛い花咲いてたよ」
って言う人と、
ウ〇コを見つけて
「あの公園、ウ〇コ落ちててウェってなった」
って言う人がいるように
同じ場所、同じものを見ていても
残る印象が全く違うってことあるよね。

 

 


あ、映画とかドラマを一緒に見ていても
そんなシーンあったっけ?って話しに
なることがある(笑)

 

 


これって自分が立てているアンテナによって
目に入ってくる情報が選別されてる脳の
仕組みによるものなんだけど
どんなアンテナが立ってるかによって
幸せを見つけるか、不幸を見つけるかが
分かれちゃうってことを
レッグウォーマーの履き忘れから
分かりやすく体感できたな♪

 

 
二度目の離婚をしてからずっと
一人で生きてかなきゃいけないんだから
もっともっとお金を稼がなきゃ
成功しなくちゃダメなんだ
わたしが娘たち二人の実家にならなくちゃ
もっと立派な人にならなくちゃetc.
とにかく今の自分のままじゃダメだって
思い込んで
自分を追いつめて
とうとう、
うつ病で起き上がれなくなったのが
二年半前。
 

なんであんなにお金稼がなきゃダメだって

思ってたのかなぁって

振り返ってみたら面白いことに氣づけました。

 

わたしの思考は

成功幸せ

成功たくさんお金を稼げる人

ということで

たくさんお金を稼げる人幸せ

という式も成立させてしまっていました。

 

 

ものすごく幼い思い込み

「たくさんお金を稼げる=成功」

でした。

 

 

この原点に、

 

お前の世話にならなくったってわたしはやっていける人間なんだ!!って

分からせてやりたいというか

証明したいというか

虐待親や浮氣した元夫を見返してやる!!

っていうかなり屈折した思いを持ち続けていたことに氣づいたんです。

 

だから、看護師という本業がありながら

なにかやらなきゃって思いにいつもせかされていて

高額な起業塾に入るんだけど

自分が枯渇する感覚になって辞めてしまう・・・

というのを何度も繰り返して来ました。

 

さすがに何度も繰り返すので

自分がなにか勘違いしてることがあるんじゃないかと

今年の秋から自分を振り返ることを最優先にしてきました。

 

その振り返りの中に、

何かしようとする時に自分の原動力の部分を見る

というのもやっていて

するとですね、

わたしが利他の心だと思ってやっていた

人様のお役に立ちたいと思って

わたしの持っているもの全部出し切ります!って

やっていたことが

結局のところ

 

わたし凄いでしょう♪

だからわたしここにいてもいいですよね

 

だったり、

 

このわたしを外しちゃうと

便利さがなくなって困っちゃいますよ

だからわたしここにいてもいいですよね

 

っていう

全部、自分のためにやってたってことが

わかっちゃってですね

利他じゃなくて利己だったんだなって氣づいたんです。

 

 

そこには無価値観もセットになっていて

自分には価値がないから頑張って付加価値をつける

ってことにエネルギーを常に注がなきゃいけないから

そりゃ枯渇するよなって事態になっていました。

 

 

依存心も作用して

こんだけ頑張ってるから認めてね

わたしここにいてもいいよね

 

ってもう、どんだけ自分の居場所ない価値ないって

思ってるねんのオンパレードでした。

 

 

こんなのもう繰り返したくない!!!と思って

自分が自分に対して思っていることを

それは本当なのか本当じゃないのか精査することに

エネルギーを注ぐことにしました。

 

そしたら自分以外の人からかけられた言葉を

自ら同意し採用して、

それがまるで自分であるかのような氣持ちに

なっていることが山のように出てきました。

 

 

 

 

そして本心をみるまえに

焦りや恐れから即行動に移していたことは

行動が続けられないってことも痛いほどわかりました。

 

 

このままじゃお金なくなっちゃう!!

1人だし老後が大変なことになっちゃう!!

って焦って恐くて

なんかやらなきゃって思って飛びついても、

始まりが恐れだから

さらに恐れが更に拡大するってことになってました。

 

この世には

意識を向けたものが拡大するという性質がありますから

それ、まんま展開していました。

 

恐れから始めたことにかけてたお金を

そのまま持っていたら、

もっとお金残ってたやんって

電卓叩きながら氣づいて笑えました。

 

 

「ない」にフォーカスしているから

お金ない状態を実現するために

お金を垂れ流したのね。

 

なにやってんだわたしって(笑)

 

 

そして、

父や元夫に対する復讐も

眺めていたら

自分が不幸でいる方が

彼らに復讐できるって

勘違いしている自分がいるのが見えました。

 

 

わたしがどれだけ不幸になっていようが

彼らには全く響かないし

どうでもいいことで

父に至っては、もうこの世にいないのに

なにやってんだわたしって

またまた笑ってしまいました。

 

藤井風さんの「帰ろう」が

めちゃくちゃ響きました。