こんにちは、らむです。![]()
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ちょっと危なっかしいタイトルになってしまいましたが、
今日は、やっと少し言葉にできたことを書いてみます。
(誰かをおとしめたり、傷つける為に書いていません![]()
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意図しない文章になってしまわないか、不安ですが…
ただ、この気持ちを置き去りにしないために、勇気を出して書きます)
制度上は「障害児」ではない娘
生後1か月以内に「脳室周囲白質軟化症」の診断を受け、脳性麻痺の診断もある娘。
肢体不自由で特児の1級も通っていますが、障害者手帳などは持っていません。
実態としては、
体幹の弱さや左右差、座位の不安定さ、ゆっくりとした発達など、日常生活では支援が必要です。
人によって違う“見え方”
何も知らない人から見れば「できないこと」がある子。
発達の特性を知った上で関わる人から見れば「できることであふれている」子。
親である私は、できることも喜びたいし、できないことも悲しみたい。
でも、どちらにも完全には属さない娘は、制度や支援の“はざま”にいて、受け入れられづらい現実があります。
宙ぶらりんになる子どもたち
保育園探しや児発探しでの行き違いも、この「はざま」にいるからこそ。
医師からは「まだ成長の発達を断定できないから、手帳は交付できない」と言われました。
一定の重症度以下だけれど診断はついている子は、進行の有無にかかわらず、
一定期間、制度の“はざま”で宙ぶらりんになる可能性が高い…
そう考えると、この感覚でもがいている人は
きっと、うちだけではないはずです。
私自身も“はざま”の経験者
私は指定難病もち。
診断がつくまで数年かかり、やっと診断を受けた10年後、また別の難病の可能性を示唆されました。
典型的な症状が少なく、治療が効果を出しにくい珍しい型。
「統計の外」にいる人はどうしても抜け落ちやすいと痛感します。
はざまも一人じゃない
大事なのは、その“はざま”で揺れていることを誰かと共有し、
「はざまも一人じゃない」と思えること。
日本の、世界のどこかで、同じはざまにいる仲間たちと、
肩を組んで歩んでいけたらと願っています。
とはいえ誰しも、何かのはざまで揺れながら日々頑張っているんだろうな、とも思います。
白か黒じゃない、グレーやグラデーションを誇りながら
生きていけたらなって、思ったりする朝です。
もう、お盆ですね。
読んでくれたみなさんが、
今日も心地よい気持ちがたくさんあふれる一日になりますように![]()
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いってらっしゃい、いってきます!![]()
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