管理人のブログ
幼い頃私は、「家」に居場所がなく(居場所がないと感じていて)ばあちゃんのところにいる時だけが心休まり、自分らしくいられる場所だったばあちゃんは色々なことを教えてくれたはずなのだけど、、、残念なことに、ほとんどを覚えていないけれど最近「がめつくなるな」と、ばあちゃんがよく言っていたなあ。。と思い出す子供の頃の私は親に愛されていない(嫌われている)と感じていたから自分を愛してくれるもの自分を必要としてくれるものを求めるのに必死だった兄姉3人の競争でもあったからもっと食べたいのにもっと欲しいのに競争に負けて、悔しい思い、ひもじい思いも大きかったそんな心を見透かされないよう子供ながらに、ひた隠しに隠して認められようと必死に「良い子」を装っていた私にばあちゃんは「がめつくなるなよ」と言うのだ子供の頃は「私はむしろ、もらっていないのだから、がめつくなりようがない」と、心のどこかで思っていたかもしれない「がめつくなる」は「強く欲する」で私はこれだけ我慢をしているのだから、、、むしろ、兄ちゃん、姉ちゃんに言うべきでは!?と思っていたのだだけど最近になって思うのは「がめつくなるな」は「足るを知る」に似ているような気がするもっと愛して欲しいもっと認めて欲しいもっと、もっと、、、と欲するばかりで現状を見ていないことをばあちゃんは諭してくれたのではないだろうかもっと欲しいもっと認められたいもっともっと、、、と上を目指すことは決して悪いことではないだけど足らない足らないと必死になって、欲望の塊のようになっているときは欲に溺れて自分を見失ってしまっているのかもしれないそんな心の状態を感じ取ったから、ばあちゃんは「がめつくなるな」と言ったのだ私は今これだけのものがあるこれだけの力があってこれだけの人との縁をいただいているその「足りている現状」をきちんと認めた上でなおまだ必要な努力をすることが向上心であり自分の損得ばかりに目が行き欲に振り回されているのが「がめつくなるな」なのだ同じ努力をしたとしても出発点の土台(心)が違えばこうも違ってしまうのだとこの歳になって思い出すばあちゃんの教え子供の頃、この花から色が出るのが面白くてよく摘んで遊んだツユクサ食べられるんだって、知らなかったー
夫の実家がある豊橋に移住するにあたり、夫は超早期退職した夫が退職をし、会社勤めではなくなったので私も家事全般を一人で担うこと、いわゆる主婦業を退職したいと願い出た夫は、あっさり快諾した良いよー気づいた方がやれば良いじゃんこんなにあっさり承諾してくれるなんてああー、思い切って言ってみて良かったな あと感動したのを思い出すだがしかし、あれから2年以上経った今も私は一人で家のことをやっているおかしいなぜか最近ようやく気がついた気づいた方がやるというのは気づかない方は永遠にやらないということなのだとパンがうまく焼けたー
さて、前置きが長くなったが、っつーか「考察3」になっていよいよホメオパシーの感想を書く一般的に、「ホメオパシーを取り入れよう」とする人は、どんな人なんだろう私は1、かつて自分が何度もスルーしてきたものに、お友達が勉強を始めたと聞き、興味を持った2、50肩、更年期、がなかなか良くならない、病院に行っても思わしくない、何かないか?と探っていたところだった3、何より、勉強を始めた友人にとって、体験談は貴重な資料になるそう思った。そんなふうにホメオパシーに手を出す人はなかなかいないだろうから、自分の体験が本当に友人のためになるかはわからない。だけど、これまで様々手掛けてきた自分が活動する中で一番「欲しい」と思ったのは、・遠慮のない・嘘のない・本心の感想・経過と考察私も、自分が作り上げたものを世の中に提供していくとき、まず手始めに、友人にお試ししてもらってきた。けれど、友人というのは案外気を使った感想を言う。モニターは案外何も言わない。アンケートなどにも言えることだが、「いいこと」ばかりは、改善や参考になりにくい。昔、和菓子屋で働いていたとき、「クレームは宝物。本当に怖いのは、『何も言わないお客様』だ」と教えられたことがある。個人で経営者になってみて、そのことがよくわかる。クレームは、挽回する機会があるからだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、自分の備忘録も兼ねて試したホメオパシーの感想を書いておこうと思う。私はチャネリングが得意だが、指などで触って、そのものが発しているエネルギー(波動とか)を感じることはほとんどない。人が「ビリビリするー」「すごいエネルギー!」とか言っていても指先では何も感じないことがほとんどだ。けれど、ビリビリ、ピリピリ、とかはないけれど、それ(エネルギー)を受けて、「はあーー気持ちいい」「うええ、なんか嫌だ」「感動で涙が出る」など、感情が反応をすることは多々ある。なので、感覚が優れていると言っていいのかどうなのかよくわからない。だが、オリジナルの感性を使いこなしている。その感性で分析すると、私が試した、豊受モールで購入できるサポートティンクチャー、ジェモセラピー、は純度が高くダイレクトに共鳴する高い能力を持っていると感じた。砂糖玉レメディーは強化する。そう判断した理由は、摂取している間、モヤモヤと過去の色々なことを思い出したり、理由はわからないが気持ちがふさぎ込んだりしたからだ。このことだけ聞けば、まるで悪い方へ引っ張られてしまっているかのように聞こえるかもしれないが、決してそうは思っていない。そもそも、「病は気から」のこの「気」は、マイナスの方に働くものが多い。マイナスは、決して悪いものではない。誰にでも存在する、あって当たり前のものだ。けれど、私のように、マイナスの気の扱いが上手くできず、未消化で溜まりに溜めてしまうことで、臓器もそちらに共鳴して本来の自分の波動を失っていった末が「体調不良」ということもある。と、私は感じている。これは、検査で数値化することは今の科学ではできない。(と、思う)全てのホメオパシーに同じことが言えるかどうかはわからないが、少なくとも私が試したものは、この「本来、昇華させるべき負の感情」と共鳴し、表面化させることに成功したと言える。結果、私はひどく落ち込んだけれど、向き合わなければならない「感情」も、よくわかった。私はこの手の作業に慣れている。これまでも自分で、瞑想や呼吸法や、何やら、、で、ずっとずっと自分を見つめ続けているからだ。いわば、「抜け出せるタイミングと方法」心得ている。だから、「ここまででストップだ」というところまで委ねることができた。自分の経験上では、深く自分を探ろうと思うなら、自分一人ではなかなかできるものではない。ホメオパシーは、そういった深い、真に自分がきづき手放す必要のある「気づき」を得ることができるものであり、知ってか知らずしてか溜め込んでしまった「不要な感情」を表面化させ、手放す(認知する)ことで、自身の本来のオリジナルの周波数を取り戻すことができ、肉体も戻る。そういうものだと解釈した。そして、自分の場合は、鍼との相性が良かったのではないかと思っている。鍼のことはまた別途書きたいことはたくさんあるが、ホメオパシーと同時進行したので、手放すべき感情を上手に昇華できたし、それができたおかげで鍼の反応もよくなったように感じている。結論としてはやはり何事も、「自分の意思で決める」ことが重要だ。「やる」も「やめる」も、人に勧められるままに、、、ではなく、人に勧められて知ったものも、最終的に「私はどうするか」を自分で決めることが大切だ。例え相手が専門家であっても、自分の人生を、人に委ねてはならない。人に任せて、人に判断を委ねては、効果も得られない。なぜなら、自分で能動的に動かなければ「気づかない」からだ。なんの結論かもはやわからないが、1ヶ月ほどのホメオパシー体験は、素晴らしい気づきを得たとてもいい経験だったし、心にも体にも、大きな影響があったと感じている。これでホメオパシー実験は一度終了とする。見守り、伴走してくれた師匠!ありがとうございました師匠がいるから安心して、どっぷりホメオパシーの旅を試すことができました
私の興味は触診、脈診、舌診、眼診、などの東洋医学へと移っていった自然療法(眼診、舌診含む)、耳つぼ、などを学んでいると、どうしても経絡やツボという概念が入ってくる。自然と中医学に興味がわき、医学の大元はアーユルヴェーダだと知り、これも学びたいと思ったのだが、この感覚を身につけるのがなかなか難しかったのをよく覚えている(最終的には断念した)が、今はどうということなく理解できる気がしている。その頃、ワイルドフラワーエッセンスに出会い興味を持った。アボリジニの人々の「病」の概念や向き合いかたにふれ、心動かされた。同じ頃、フラワーエッセンスと占星術を組み合わせている人に出会い、ホメオパシーにも出会っているのだが、どういうわけかこの頃は興味が湧かず、素通りしたもう30年近く前のことだ。私は「身体」に関する興味を持ち続けた。ボディトリートメントを覚えるため、骨格や筋肉を勉強することになった。同時期にレイキやヒーリングといったエネルギー療法のようなものも学んでいるのだから、こうして振り返ってみると、実際に肉体に触れたりみたりしながら、見えない部分のことも学んできている自分のバランス感覚もなかなかのものだと思ったりする人生も仕上げの時期に突入し始めた今、再び占星術と出会うことになり、今度は勉強することに決めた。自分の出生図を見ることができるようになって、もともと「自分の身体のメンテナンスにエネルギーを割く」必要性のある星回りであることを知ることができた。ホロスコープって、こんなことも見て取れるんだね。「なんだ、もっと早くそれがわかっていれば、、、」と、思わなくもなかったが、もし幼少期からそのことがわかっていたら、これほど熱烈に「身体」に興味を持って探求し続けては来なかったかもしれない。20代の頃、最初に出会った占星術に興味を持って学んでいたら、このことにもっと早く気づいたのだろうが、そうしたらむしろ、色んなことやりたい気持ちに体がついていかずに、色々を断念せざるを得ない己の人生を恨めしく思って、運命のせいにでもしていたかもしれない。やっぱり自分の人生に真摯に生きているならば、皆、必要な時に必要なものや人に出会うようにできているのだと私は、自身の人生で体感してきている。そしてこれも何度も言っているのだが、「いらない」「やらない」といくら拒否しても、本当に必要なものならば巡り巡って、やっぱり自分の目の前にやってくるのだ何度拒否しても。そうしてホメオパシーにもいよいよその時が来た。草は食べ物
約1カ月ホメオパシーを続けてみた感想を記しておこうと思う私は子供の頃から「頭痛と腹痛は生きている証拠」のように当たり前に自分にある状態だった。それ(痛み)を口にするならば毎日毎日、1日のうちに何回も何十回も頭痛い、お腹痛い、と言うことになるのでそして言ったところで、どうにもならないので我慢するのが当たり前になってしまったじっと我慢する何か別のことに没頭してみる気を失うように寝る叫んでみる気配を消すいろんなやり過ごしかたを身につけながらもちろんどうにかならないかも、色々試行錯誤してきた。というより、もっぱら私の興味は「なぜ不調になるのか」その理由やメカニズムが知りたい気持ちの方が大きかった。私の不調は現代医療では原因はわからなかった。そればかりか現代医療では「不調などない」とされた。本人は目も開けていたくない何も考えられない口も聞きたくないほど頭が痛いのにそんな要素などどこにも見当たらないと言われてはまるで自分が幻想を抱いているか嘘を言っているか被害妄想か現実逃避か軟弱者か、、、いずれにしろ自分の感覚や痛みを否定されているように思えてならなかった。それは少なからず今の過剰な自己否定感に繋がってもいるだから知りたかったどうしてこの痛みは数値に出ないのか画像や検査では異常なしなのにどうして当人はこんなに辛いのか身体の不調が日常茶飯事でも医療に興味を持たなかったのは、医療ではこの不調を説明してくれなかったからだ現代医療の「検査」では数値に異常なしでも舌や眼は如実に身体の状態を映し出す呼吸がしづらくなったり、息が臭ったり食欲が失せたり、旺盛になったり、数値に出なくとも、私たちは自分の体を自分で知る術はいくつもある。医療の現場では異常なしと診断されるのだからそこで処方される「薬」を使ったところで根本原因の治療にはならないだろう私は「薬」も自分の感覚で効果を実感したりやめたりできるものを選びたかった。現代のような医療体制でなかった時代はどのように治療していたのだろう、、、興味はそんな方向へと向かっていった。草は薬
ああ自分はこのために生まれてきたのだなあとふと気づくことがあるでも世界は二元性であるからそうした聡明さはずっと続くわけでもない人はまだまだというか少なくとも私はまだまだ未熟なのだそうしてまた迷い見失いどうしてうまく進まないのかと焦りもがく何かが足らない何かが違う何かがうまくはまらないそのもどかしさに身を委ね焦って闇雲に動いたり諦めの境地でじーーっとしたりひたすら食べたり現実逃避したりそうしてまた時が来るとあ あそうだ私はこのために生まれてきたのだと聡明さが戻ってくるもがいているときは苦しいものだがこの「何かが違う」はわかっても何が違うのかどう違うのかどうすればいいのか分からずに暗闇を彷徨う時間も大切で必要不可欠な時間なのだとわかるのはそれが明けた時だ日が昇り朝が来て日が沈み夜が来るように世界は二元性なのだからうまくいかないその時間もおそらく私たちには必要なのだずーっと昼ばかりでいても私たちは生きられない夜があるから休息し、鎮静し、修正し、再生しまた動き出すことができるのだだからうまくいかない時もそのまま受けとめて受け入れて上手にやり過ごす術を極めたいものであるベンチにキノコが生えてたよここがベンチだなんていうことはきのこには関係ないんだね