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やさしさに包まれて

ご訪問ありがとうございます。

 

今朝の朝日新聞、きょうの番組「はがき通信」欄に

8日に再放送された「ありのままの最期」(NHK)の感想が載っていました。

 

末期がんを患われていた住職兼医師の最期の日々のドキュメント番組と

番組欄に載っていて、観ようと思いながら見逃してしまった番組でした。

 

今日、投稿された感想を拝見して、

2年前に、築地本願寺でお話を伺った田中雅博住職のことだったことを知り、

その番組を見たかったな、と思いました。

 

再放送だったとのこと、再々放送は無理かな・・・

 

 

お聴きしたお話の内容は・・・思い出せないので

(自分の忘備録として)

『臨床仏教研究所』のホームページから転載させていただきます。

 

 

2015年6月11日、「生と死を見つめる集い」が開催されました。

今回は、坂東観音霊場20番札所西明寺の住職でありながら、境内にある「普門院診療所」の医師としても活動されている田中雅博先生をお迎えし、「医師として僧侶として」と題してご講演いただきました。また、田中先生は現在、末期(最終ステージ4b)の膵臓癌を患っており、先生ご自身も自らの生と死に向き合っていらっしゃいます。

 

人間は死に直面したとき、実験や観測に基づく科学的な医学の領域と、限りある命をどう生きるのかという非科学的な領域に向き合うことになります。

 

先生は、死に直面する人に対して、医学を担う者と宗教を担う者が共存すべきであると言及されました。

 

イタリアをはじめ、海外では医療現場に多くの宗教者が配置され、スピリチュアルケアを担っているのに対し、日本の医療現場には宗教者がいないことを指摘され、現在臨床仏教研究所で取り組んでいる臨床仏教師の活躍にも期待されていました。


 また仏教は、お釈迦さまの説かれた「四諦」という教えを筆頭に、その誕生の時からスピリチュアルケアの宗教そのものであった、とも述べられています。

 

 緩和ケアとは身体の痛みを止めるだけでなく、心の痛みを取り除くことでもあり、医学ではもう何もできない状況にこそ、多くのことが提供できるといいます。
まさにそれを担うのが宗教者であり、死生観などは医者が担える分野ではなく、これからの医療現場には「医者と宗教者」、すなわち「治療する人と悩みを聴く人」「命を延ばす人と残された命をどう生きるのかを一緒に考える人」が共存していく必要があるとご指摘いただきました。
 
 最後に、田中先生は「苦しんでいる人の前に立つこと、また、死に逝く人から学ぶことが修行であり、その修行こそ、医師として、僧侶として、最も重要なことである」とおっしゃいました。
 
先生はこれまで医師として、そして僧侶として、医者と宗教者の両方の立場から、多くの人の生と死に向き合ってこられました。
 
生涯をかけて生と死を見つめ、現在はご自身も膵臓癌と闘いながらの先生のご講演は、これまで医師として僧侶として緩和ケアを担ってこられた先生の覚悟が存分に伝わってきました。
 
花花花花花
 
 
このとき、先生は、お元気そうで、
看取りでのご自分の役割を、ユーモアまじえてお話されたのを思い出します。
 
西欧のキリスト教の聖職者は、臨床に呼ばれて、患者さんの気持ちを穏やかにすることに
貢献できますが、
日本のお坊さんが、臨床に伺うと
「縁起でもない」(笑)と嫌がられる・・・と仰っていたことを思い出しました。
 
先生を尊敬し「看取り医」という志を受け継ぐお医者さんも多くいらっしゃると
聞いています。
 
 
先生の最期の日々を追ったドキュメント番組、観たかったです・・・
 
ご冥福をお祈りします。