ブログのタイトルはマカロニえんぴつの楽曲か歌詞にでてくる言葉にしようと決めていました。
『ありあまる日々』
楽曲もあるし『悲しみはバスに乗って』の歌詞にもあります。
失った人との愛おしい時間。
この曲を聴くと一年半前に亡くなった父を想います。
ありあまる日々という言葉には、失ってはないけれど巣立った子どもたちとの暮らしが浮かびます。
そして今の毎日もこれから先いつかのありあまる日々になるのでしょうね。
また。あなたが夢にでた
さみしいとか悲しいとかじゃなくて
もう会えないんだと
何度も思い知ることが苦しい
一人でいることが減ったよ
さもなきゃどうかしてしまうから
どれほどきみと居れば十分だったか
思い知る毎日だ ラララ
またあなたと夢で会えた
嬉しくて照れ臭くて
でもね「もう会えないんだ」と伝えに来なくてもいいよ
もう分かってきたんだ
わかり始めてきたんだ
どれほどきみと居れば十分だったか
思い知る毎日だ
あー、歌詞書いてたら泣けてきた。笑
うちの父は全然会いに来てくれないんですよ。
ずっと大好きだった母の側にいるのでしょうね。