姉妹のどちらかが実家にいられない日は父にLINEで状況を教えてもらうようにした。

「相談室」からバトンタッチされた「高齢者サポートセンター」の職員の方から連絡があり介護保険調査員との面談日が12/15に決まる。

まだ介護認定はされていないが介護用品のレンタル等は先に借りられるので何かあれば連絡を。と高齢者サポートセンターの方に教えてもらう。

 

母が料理をできなくなってしまったのでおかずを少し作って2日ぶりに実家へ寄る。

母はおととい会った時より会話がスムーズにいかない。何か言おうとするのだが言葉が出てこない。父によると朝の散歩中に看板を読みながら歩いたのだが簡単な漢字が読めないそうだ。

ただ、例えば果物の話をしていてその果物の名前が出てこなければ「みかん?りんご?ぶどう?」と聞いてあげると「ああ!ぶどうだわ」と答えるので単語が出てこないだけで聞けば思い出せるようだ。

 

その日はまだ朝30分の散歩も出来て、室内を支えなしで普通に歩いていたが私が帰った翌日、父と朝、散歩しようとすると支えなしでは歩きにくそうとのこと。

父から「短いコースを結婚してはじめて腕を組んで歩いた」とLINE。ちょっと微笑ましい。

 

介護申請の関係でかかりつけ医(最初に異変に気が付いてMRIを撮ってくれた医院)に診断書を出してもらうため12/15の調査員の面談前に診察予約を入れ、父と私で付き添うことに。

母は少し長めに歩くと右足を引きずり始めるようになった。かかりつけ医までは結構歩くので心配になり早速介護用品レンタルで車いすをお願いした。

妹が事情を説明するとその日のうちに持ってきてくれることに。

 

母は右手も動かしにくくなり朝は使えたお箸が夜には持つことができなくなった。スプーンで食事させる。スプーンもあと数日で右手では持てなくなりそうだな・・・と感じた。

会話についても自分から言葉を発さなくなった。こちらが何か聞けば「うん」「いらない」等答えてくれるだけだ。

ほんの5日前「(私の夫)くんは元気なの?」とか聞いてきたりしてたのに。

 

12/15朝早く実家を出てかかりつけ医へ。

母が歩けるというので借りた車いすは持っていかなかった。

ただ右半身に力が入りづらいようなので右側を私が支えながら病院までゆっくり歩く。

診察室に入り、まずは母の異変に気が付いていただいたお礼を言う。

もしあの時に気が付いていなければ今頃私たちはパニックになっていただろう。

医師が母に質問をするも母は答えが出てこない様子なので私が変わりに答えた。

「腕をあげて」等、言われたことは理解しており普通に対応できていた。

今後どうするのか聞かれたので「手術はせず自宅で介護すると父は言っている」と言うと「お父さん一人で介護は絶対無理だ」と言われた。そうですよね・・・と私も思う。

介護申請に必要な診断書をお願いし帰宅。

 

帰宅し少しすると介護保険調査員と高齢者サポートセンターの方が来られる。

母は小さな椅子にちょこんと座り調査員の方の質問に答える。

ちょっと緊張しているようだ。変に頑張りすぎて介護認定されないと困るなぁと思っていたが杞憂だった。自分の名前と生年月日は答えられたがそれ以外は答えられなかった。簡単な認知テストもほとんど答えられなかった。

体を動かす確認については若干右腕が上がらない以外は問題なくすべて行うことができた。

 

サポートセンターの方から「おそらく要介護2の認定が出ると思われるので暫定で介護サービスを始められます。まずはケアマネージャーを決定して介護プランをたてましょう。」と連絡あり。

ほんの1か月前まで普通に旅行していた母なのに・・・

 

自宅へ帰る私と妹を玄関まで見送りにきた母の不安そうな顔を見て心臓がキュッとなる。できるだけ明るい顔をして母の肩をたたき「また来るね!」と言って外に出た。

 

【父のメモ】

12/10 父のみ在宅。母と一時間散歩。母友人見舞いにくる。対応問題なし。庭で作業も行う。

12/11 朝30分散歩。母、歩道の看板漢字が読みにくい。会話なんとかできる。日常行動問題なし。

12/12 朝30分散歩。言葉が出にくい。意思疎通は可能。簡単な漢字も読めなくなった。動作は問題なし。

12/13 父支えて近距離散歩。意思疎通は何とか可。動作は右手が動かしにくそう。

12/14 近所のコンビニまで父と歩く。「はい」「いいえ」の質問形式の会話可能。長く歩くと右足を引きずり始めたので車いすを届けてもらう。

12/15 クリニックへ。母、父、長女で右側を支えながらバス・徒歩で20分。右手右足動かしづらそう。医者との会話はほぼ出来ず。yes/noは可能。

高齢者サポートセンター員と介護保険調査員が来宅。その時は自分の名前は言えた。