母の四十九日も終え、私も妹も少しづつ元の生活に戻ってきている。

父は昔、単身赴任で2年ほど一人暮らしをしていたがそれ以来の一人暮らしなので色々と苦労している。

今は週1回程度は姉妹のどちらかが実家に行ってはいるが、さすがにずっとそれを続けることは無理だ。

どちらかが一緒に暮らすということも今の時点では難しいので父には独り立ち(?)してもらわないとならない。

 

亡き母は生前、色々な趣味に手を出しては途中で飽きて別の趣味をはじめていた。そのため母が使用していた部屋には多種多様な趣味の道具が大量に遺されている。

多少の買い物依存もあったのだろう。100円ショップやネットショップで買ったと思われる雑多な物が尋常じゃない量、使いもせずしまったままになっていた。

おまけに母は片付け下手で何がどこにしまってあるか分からなくなるのか、同じ用途のものが色々な場所から出てくる。

はさみが10本近く出てきたのには驚いた。この部屋が片付くのはいつになるのか。

 

 

閑話休題、母の看取りを終えて思う事。

母は病気が見つかってあっという間に言葉が発せなくなった。

表情も乏しくなったため何を思っているかが分からなかった。

きっと私たち素人の介護で色々と不満もあっただろう。

 

ただ介護が終わってから、もっとこうしてあげれば良かったと後悔が出てくるかと思っていたが意外にもそれはない。

その時できる精一杯を父も妹も私も出来たので後悔が少ないような気がする。

 

もし手術をしていたら、もし施設に入れていたら、母はまだ生きていたかもしれないと思うことはある。

でもまあ、手術をしていたらしていたで「もし手術をしていなければ」とか考えていただろうし施設で看取ったとしたら「自宅に帰らせてあげたかった」と思うだろう。

今は母の意思を尊重し手術をせず自宅へ戻ったことに後悔はない。

 

現在、日本では2025年問題に伴って首都圏を中心に病床の空きがなくなり、病院での看取りも難しくなっていくと予測されているそうだ。

そのため自宅でも看取りを行うことのできる在宅医療が注目されている。

今後は在宅医療が発展し自宅での看取りが当たり前になる時代が来るのかもしれない。

 

私たち家族も在宅介護サービスにはとても助けられた。

係ってくれたケアマネージャー、訪問看護師、訪問医師、ヘルパーの皆さんには本当に感謝してもしきれない。

 

けれど看取りが終わってから父が「俺のときは施設に入れてくれ」と言っていた。

私も「そうすると思う」と答えておいた。

正直なところ自宅での介護、看取りはもうしたくない。

やはり1日の大半は家族だけで看ていなければならないため不安な事が多い。

「心配なことがあればすぐに呼んで」と訪看さんにも医師にも言われたが一度呼べばお金がかかるのでそうそう頻繁に呼ぶことはできない。

病院や施設であれば看護師さんや介護士さんが見回ってくれているのでその点で安心感が違う。

さらに日に日に病状が悪化していく母を見続けるのも精神的につらかった。

 

ただ今思えば、介護ベッドの母を囲み父と妹と昔話をしながらご飯を食べたりお酒を飲んだりしたのはとても良い時間だったと思う。私たちの話声を聞いている母も楽しかったのではないだろうか。

そして最期の看取りを静かに家族だけで行えたことも貴重な体験だった。

母も介護には色々不満もあっただろうが、最期だけは安心して逝けたのではないかと思っている。

 

在宅での看取りと病院や施設での看取りではどちらもメリット・デメリットがあり、実際に在宅で看取った私もどちらをお勧めするとは簡単に言えない。

看取られた本人に感想を聞ければ良いが・・・

最終的には残される家族がより満足できる方法が選べれば良いのかなと思う。

 

私自身もう若くはなく、近い将来老後のことさらには人生最期の過ごし方を考えなくてはならない。

その時には今よりもっと在宅医療や介護サービスが発展して色々な選択肢が増え、皆が良い最期を迎えられるようになっているといいなと願っている。

 

 

ここで一旦、母の介護から看取りまでのブログを終了します。

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