9月が近づき、しょうが祭に向けてお囃子の練習が始まると思い出す。
小学生の頃、児童館で遊ぶことが流行っていた時期があった。
いつの頃からかその児童館でお囃子教室が始まり、集まっていたメンバーはなんとなくの流れで太鼓を叩くようになった。
それから週に一度、太鼓を叩いた。二宮神社のしょうが祭も太鼓を叩いて参加した。
けれど皆、太鼓というよりもむしろ練習後のお菓子の時間が目当てで、そうこうしているうちに一人辞め、また一人辞め、最後はわたし一人になった。
先生は町内会のおじさん達で、若いわたしに大きな期待を寄せているのがひしひしと伝わってきた。
それは人見知りのわたしにとってはとても恐ろしいことだった。
期待の眼差しは、怪しげに赤く光る人拐いの目に見えた。
夜のお菓子という普段にはない贅沢の見返りには、わたしの未来をお囃子に捧げるという暗黙の了解がある気がした。
そして、得体の知れない近所のおじさんの期待を裏切るのを申し訳く思いつつも、やはり仲間がない寂しさから練習に参加するのを辞めてしまった。
毎年、お囃子が響き出すと思い出す。
あの切ない後ろめたさを。
そして、太鼓を叩くことが好きだったことを。