黄色 春の訪れ | 花の子るんるんの玉手箱

花の子るんるんの玉手箱

大体ポヤポヤ、時に過激な妄想が入る写真館 兼 カフェです。
主演は勿論 愛するユノ・ユンホ氏。

フォロー、アメンバーは
基本的にYUNHOオンリー限定とさせて頂いてますので悪しからず。









黄色


だけど

なーんだ

間違いじゃ無かったじゃん!

https://www.543life.com/nipponnoiropalette3/

今では学校教育も随分と変わって

頭ごなしに否定される事も以前ほどでは無くなったと思いますが


思えばそんな古い時代

ばばぁ達はへこたれずによく生きて来ましたねグッ


https://toyokeizai.net/articles/-/641802?page=4

肯定するほめる甘やかすとは違うと思いますが

だけどばばぁもトラウマと言う言葉を選びましたが

 それ程クヨクヨ思ってた訳でなく

とにかく昔はトラウマなんて言葉自体無かったのですから

それが当然と思ってましたし 逆に

春は黄色黄緑なんて思っても無かったので

発想の転換とゆーか

いい意味で勉強になりましたねぇ


その先生は戦前生まれで

幼い頃に被爆され

それは想像もつかない程の過酷な幼少期を過ごされたと思いますが

当時の広島はそれが当たり前だった

そんな人々で溢れてた

それよりそんな広島市内に住まれながら

自分も家族も無事だった

美術畑に才能を開花させ

日本画で知る人ぞ知る存在となった

母親からしたら自慢の息子だっただろうし

あの時代

音楽もだけど美術で身を立てると言うのは

今以上に大変な選択だったと

家族の応援有ってこその人生だったと想像します

ばばぁからしたら先生は両親世代で


だから言われることに

それ程のギャップは感じなかったし

芸術家だから  

わけわかめな所ははっきり言って多々あったけど

それはそれで仲間と

クスクス笑い話にしたり

へ〜、凄いねぇと尊敬したり

時にアンチクショープンプンびっくりマークって

陰でブツブツ悪口言ったり爆笑

その先生が事ある毎に

沢山のお話をして下さったんですよね

https://youtu.be/CS4w-msId7M

大人向けのちょっと難しい話だったり

幼い子ども向けの冒険物だったり


子ども達からはとにかく慕われていて


美術のお仕事をされていたから

普段はお絵描き、工作の先生なんだけど

大人相手だと寡黙で神経質ぽくて

どちらかと言えば取っ付きにくい感じなんだけど

とにかくその先生の指先から表れる世界は

マジックそのもので

✂️ハサミ✂️などの画材から出てくる出てくる

不思議なモノたち

そんな先生のお手本見てて引き寄せられるのか

出来ないからやだぁえーんえーんえーんって

泣いて嫌がる子もいなかったなぁ……


ってか

上手に出来たも出来なかったも無かったし

その先生のこと嫌いな子はいなかった

先生から子ども達に話される昔話は

友達とお腹が空いたところに

沢山の苺🍓が成る苺畑を丁度見つけ

「美味しい美味しい」って食べてたんだけど

よく見て見たら


苺🍓の種が動いてんの

爆笑爆笑爆笑右矢印ガーンガーンガーン  とか


ちょっとズッコケた

不思議で楽しい失敗談ばかりで


そんなある時  大人が集められた時に

特別に話して下さった昔話


真夏の日差しと延焼していく炎の中


広島市内から宮島対岸の廿日市中心部まで

20km強の道のりを

10になるかならないかの少年が

歩いて避難したこと


夜になると

湾の向こうの広島の街が燃える炎で

空が真っ赤だったこと


数日後  実家に戻った時の

生まれ育った街の余りの変わり様


今ではすっかり綺麗になった街角にいても

ビルの地下に立ち寄った時にも

当時の情景を思い出してしまうこと


この時の

大人に伝えたい話だけでなく

先生からたくさんの話を聞いた者


年齢に関係無く惹きつけられたのは

内容と言葉のチョイスと

勿論話術も有るのだろうけど


その話が本物であると言うこと

「伝えたい」と言う強い気持ちが存在すること


単に共感を求めるだけの

その場しのぎのリップサービスじゃ無かったからなんだろな








彼の人生は順風満帆とは言えなかった


恵まれた容姿、体格と

アーティストとしての才能と強運

それらを持ち合わせた彼の事を

「ラッキーな、特別な男」と見る人が多いのは

韓国でも日本でも同じだと思う

だけど

幼い頃から怪我や病気

生命を脅かす程のハプニングに見舞われたこと

厳しい家庭で育ち

アーティスト活動と学業の両立が父親との約束だったとは言え

その合間にアルバイトもしながらの過酷な学生時代


デビューしてからも

いい流れで来たと喜んだ途端の試練は

体調不良やアンチからの攻撃を入れると

両手でも数え切れない程

坊っちゃまの人生の過酷さは

想像を絶するものだった




そんな坊っちゃまが

「人生はのり巻だ」と言われる




具材が甘かったり苦かったり…はその通りなのだけど


もっと凄いのは


形が崩れても破れてものり巻はのり巻

(それが一人一人の育った環境だし個性…

…の意だとばばぁは理解した)

貴重で有意義な人生は

一朝一夕で作れるものでは無いけど


スペシャルONEの  のり巻(人生)




楽しく頑張って

私達

幸せになりましょう


……と坊っちゃまが言う



https://twitter.com/u15426o/status/1642900104523943938?s=46&t=sAibe6rE65kIBofmSDETNg

 


それは決して復讐とかでは無く

今後は  

あらゆる仕打ちを坊っちゃまが味わうことなく

王道をただひたすら

突き進んで貰いたいから

周りのスタッフに対して
感謝の涙を流せる人

https://twitter.com/era_of_appeal/status/1634506127185678338?s=46&t=sAibe6rE65kIBofmSDETNg

 

 

 

https://twitter.com/sarang_bit/status/1634407876105240576?s=46&t=sAibe6rE65kIBofmSDETNg

 https://twitter.com/heart2154uk/status/1634486519275876353?s=46&t=sAibe6rE65kIBofmSDETNg

 https://www.instagram.com/p/CppST0nSPD0/?igshid=YmMyMTA2M2Y=






画像、Twitter情報等

引用、拝借させて頂きましたうさぎのぬいぐるみ

Thank Uハート




https://twitter.com/masami777777/status/1635735701273858048?s=46&t=sAibe6rE65kIBofmSDETNg