2022/08/06 | 花の子るんるんの玉手箱

花の子るんるんの玉手箱

大体ポヤポヤ、時に過激な妄想が入る写真館 兼 カフェです。
主演は勿論 愛するユノ・ユンホ氏。

フォロー、アメンバーは
基本的にYUNHOオンリー限定とさせて頂いてますので悪しからず。


昨日の広島の街は
祈りに包まれていました






https://twitter.com/hiroshima_pref/status/1555693885053145089?s=21&t=pIRv8VdQ7J67UljqbUBxrQ

 


広島に原爆が投下されて77年目





自分は投下から

17年後の春に産まれました




まだ自家用車も普及していない時代


その頃の交通手段の多くは

ヒロデン(広島電鉄) の電車とバスと国鉄(JR)

広島市近郊の町の住民は

最寄り駅から己斐駅(西広島) までは

江ノ電の様な乗降口が高いタイプの電車

そこからは  

日本全国至る所に存在する路面電車に乗り換えて

通勤  通学していました






生まれて間もなくから

広島市西部のその街で暮らした自分は

物心ついた頃から年に何回かヒロデンに揺られ

母親とデパートに行くのが楽しみでした


だけど中心部に近付くにつれ

幼心に怖い場所がありました


原爆ドームは勿論なのですが

その横を流れる元安川


当時の元安川は

戦後20年以上が経とうと言うのに

原爆で焼け出された市民のバラック住宅(仮設の建造物)が  ビッシリと密集して立ち並んでいたのです




https://gakushumanga.jp/manga/%e5%a4%95%e5%87%aa%e3%81%ae%e8%a1%97-%e6%a1%9c%e3%81%ae%e5%9b%bd/


原爆ドームを中心として立ち並ぶその屋根の集団は 電車からもよく見え

どう言った経緯でそこに住居を構えたのか

親から詳しく聞かなくても

学校で習う平和学習から何となく理解していて

市内の一等地と隣り合わせなのに その空間だけが

時代に取り残された


そんな場所でしたが


政令指定都市

国際平和都市・ヒロシマを目指すからには

原爆ドーム、平和公園周辺の整備を

早急に進めなければならなかったのでしょう


高度成長期を上手く利用して

大きな高層アパートを何棟も建設し

それで

今の平和公園の姿になったのです








丁度

ロシアがウクライナへの侵攻を始めた時期に

こんな動画を見つけました


https://twitter.com/tenichi08/status/1553407168052793344?s=21&t=pIRv8VdQ7J67UljqbUBxrQ

 

 

自分の推しも兵役で

こんな訓練を受けたのか……と思うと

とても心穏やかでは居られなかったのですが


何よりも辛かったのは


なぜ韓国軍が

こんな訓練が可能だったのか


それは

核弾頭が投下された

その後のデータを知っているから





つまり





広島や長崎の市民だけで無く

外国人の捕虜

軍馬(戦時体制下の軍事都市でしたから)  等

犠牲を強いられた者達の

死に様のデータに基づいているから










https://www.asahi.com/articles/ASQ86331ZQ86PTIL009.html




ひとたび核を使用すれば

地球が滅びてしまう事くらい

自分の国だけが生き残れるなんて無理な事くらい

ある程度の教育を受けた者なら

みんな知っている現代


だから


まさか使う訳ないよね…って

権力を握る者の良識を信じて疑わない


これって本当に

これ程不確かな信用は無いんですよね






自分達が生きて行く為にも

隣の国の人にも生きて貰わなければならない


自分達が幸せに暮らして行く為にも

隣の国の人にも幸せに暮らして貰わないといけない




自分が自分らしく  幸せに生きて行く為には

自分の周りだけが良しとする時代は

もう終わったのです