本日8月6日、被爆77年を迎えました。
— 広島県 (@hiroshima_pref) 2022年8月5日
8時15分、世界で最初の原子爆弾が広島に投下され、多くの命が失われました。
核兵器の使用が脅かされる中、今私たちにできることは何でしょうか。
亡くなられた方々のご冥福と恒久の平和を願い、ここに黙とうを捧げます。#CranesForOurFuture #広島 pic.twitter.com/nL8qZcNYqC
広島に原爆が投下されて77年目
自分は投下から
17年後の春に産まれました
まだ自家用車も普及していない時代
その頃の交通手段の多くは
ヒロデン(広島電鉄) の電車とバスと国鉄(JR)で
広島市近郊の町の住民は
最寄り駅から己斐駅(西広島) までは
江ノ電の様な乗降口が高いタイプの電車
そこからは
日本全国至る所に存在する路面電車に乗り換えて
通勤 通学していました
生まれて間もなくから
広島市西部のその街で暮らした自分は
物心ついた頃から年に何回かヒロデンに揺られ
母親とデパートに行くのが楽しみでした
だけど中心部に近付くにつれ
幼心に怖い場所がありました
原爆ドームは勿論なのですが
その横を流れる元安川
当時の元安川は
戦後20年以上が経とうと言うのに
原爆で焼け出された市民のバラック住宅(仮設の建造物)が ビッシリと密集して立ち並んでいたのです
https://gakushumanga.jp/manga/%e5%a4%95%e5%87%aa%e3%81%ae%e8%a1%97-%e6%a1%9c%e3%81%ae%e5%9b%bd/
原爆ドームを中心として立ち並ぶその屋根の集団は 電車からもよく見え
どう言った経緯でそこに住居を構えたのか
親から詳しく聞かなくても
学校で習う平和学習から何となく理解していて
市内の一等地と隣り合わせなのに その空間だけが
時代に取り残された
そんな場所でしたが
政令指定都市
国際平和都市・ヒロシマを目指すからには
原爆ドーム、平和公園周辺の整備を
早急に進めなければならなかったのでしょう
高度成長期を上手く利用して
大きな高層アパートを何棟も建設し
それで
今の平和公園の姿になったのです
丁度
ロシアがウクライナへの侵攻を始めた時期に
こんな動画を見つけました
https://twitter.com/tenichi08/status/1553407168052793344?s=21&t=pIRv8VdQ7J67UljqbUBxrQ
1.核爆発対処要領。
— JeongWoo (@tenichi08) 2022年7月30日
地下避難所で避けられない場合、排水路の中で核爆発の反対方向に身を伏せる。 この時、膝と肘を利用して腹部が地面に触れないようにする。 そして両手で目と耳を塞いで口を大きく開けたまま音を出す。 爆発衝撃と閃光、圧力で目と鼓膜、腹部の臓器が破裂する恐れがあるためだ。 pic.twitter.com/J8KDVRWwLq
自分の推しも兵役で
こんな訓練を受けたのか……と思うと
とても心穏やかでは居られなかったのですが
何よりも辛かったのは
なぜ韓国軍が
こんな訓練が可能だったのか
それは
核弾頭が投下された
その後のデータを知っているから
つまり
広島や長崎の市民だけで無く
外国人の捕虜
軍馬(戦時体制下の軍事都市でしたから) 等
犠牲を強いられた者達の
死に様のデータに基づいているから
https://www.asahi.com/articles/ASQ86331ZQ86PTIL009.html
ひとたび核を使用すれば
地球が滅びてしまう事くらい
自分の国だけが生き残れるなんて無理な事くらい
ある程度の教育を受けた者なら
みんな知っている現代
だから
まさか使う訳ないよね…って
権力を握る者の良識を信じて疑わない
これって本当に
これ程不確かな信用は無いんですよね
自分達が生きて行く為にも
隣の国の人にも生きて貰わなければならない
自分達が幸せに暮らして行く為にも
隣の国の人にも幸せに暮らして貰わないといけない
自分が自分らしく 幸せに生きて行く為には
自分の周りだけが良しとする時代は
もう終わったのです