お盆休みの病院で、ようやく病名がわかった

ネットでひたすら、お盆の時期に開いている整形外科のある病院を探しました。
そして、ようやく近くに一軒、見つけました。
8月12日(火)は診療を行っていると明記されています。ただし、8月13日~15日はお盆休み。

「ここしかない」

そう思いました。

12日の診療開始時間は午前8時45分。しかも、診察には電話による予約が必要と書かれていました。

その12日。
朝6時に目が覚めました。
痛みで、ほとんど眠れていません。完全な睡眠不足です。
それだけに、病院が開く午前8時45分が、この上なく遠く感じられました。

どんな検査を受けるのかもわかりません。
もしかすると、検査のために食事を抜いておいたほうがいいかもしれない。
そう考えて、朝食は取らないことにしました。
ひたすら水を飲みながら、病院が開くのを待ちました。

シャワーを浴びて汗を流し、何を着て行こうかと少し悩みました。
結局、Tシャツに短パン。靴は、普段の練習で履いているランニングシューズにしました。
病院のサイトに、「ランニングシュズのすり減り方を見て、身体のゆがみなどを診ることもある」といった説明が書かれていたからです。

結局、そんな診断はまったくありませんでしたが(笑)。

Gパンなどを履いて行くより、診察や検査がしやすいだろう。
そう考えたのです。

それにしても、ランニングシューズの減り具合まで見るとは。
「意外なところにも注意を払う病院なんだな」
と、少し驚きました。


「予約は取れません」

待ちきれなくなって、午前8時30分。
まだ15分ほど早いけれど、「ひょっとしたら電話がつながるかもしれない」と思い、試しに電話をかけてみました。
すると、意外なことに、すぐにつながりました。

「診察の予約をお願いしたいのですが……」

ところが、返ってきた答えは、
「今日は患者さんが多くて、予約は取れません」
でした。

ものすごいショックでした。

しかし、腰から太もも、下腿部にかけて激痛が走っています。
とても耐えられる状態ではありません。
「腰からもも、下腿部にかけて激痛がして、とても耐えられないんです」
必死に訴えました。

すると、
「とにかく病院に来てください。予約のない患者さんも診察を受けられます」
という返事。

思わず、涙が出そうになりました。

ただし、予約患者が優先。
時間が空いたら、予約のない患者を診ることになる。
かなり待つことになるので、それを理解したうえで来てください――とのことでした。

「はい、すぐに参ります。文句は言いません。とにかく診てください」

そんな気持ちでした。

検査の内容によっては、帰りに車を運転できなくなる可能性もあります。
そこで、タクシーで行くことにしました。
「GO」でタクシーを呼ぶと、5分ほどでやって来ました。

とにかく早く病院へ行きたい。
一刻も早く診察を受けたい。
そして何より、
この激痛を何とかしてほしい。
その一心でした。


待合室は患者さんでいっぱい

病院に到着すると、まずマイナンバーカードを読み込ませました。
渡された問診票に記入し、順番を待ちます。

とにかく足が痛い。
椅子に座っていると痛みが増すので、座ったり立ったりを繰り返しながら、痛みに耐えていました。

待合室は、すでに患者さんでごった返しています。
「これは相当待たされるかもしれないな……」
そう覚悟しました。

ところが、ここは比較的大きな病院でした。
整形外科、スポーツ整形外科、形成外科、リハビリ、リウマチ科、循環器内科、こどもスポーツ外来、ウォーク外来など、さまざまな診療が行われています。
つまり、待合室にいる患者さん全員が整形外科を受診するわけではなく、それぞれの診療科に分かれていくのです。

それは、電光掲示板に表示される受付番号を見ているとわかりました。
そして、私が想像していたよりも早く、診察の順番が近づいてきました。

「あと3人」

「あと2人」

「あと1人……」

電光掲示板の数字を、じっと見つめます。
そして、とうとう自分の番号が表示されました。

「やっとだ……」

本当に、ほっとしました。



「レントゲンとMRIを撮ります」

急いで診察室のドアをノックし、中に入りました。
意外と若い先生でした。
とてもはきはきと話しながら、私の症状を尋ねていきます。
その一方で、パソコンには猛烈なスピードで入力しています。

そして、
「とりあえず、レントゲンとMRI検査をしてみましょう。結果を報告しますので、看護師の指示に従って検査を受けてください」
とのことでした。

ここで、私は少しショックを受けました。
というのも、私が一番訴えたかったのは、
「とにかく、この痛みを何とかしてください」
ということだったからです。

痛み止めの注射を打ってもらえるのではないか。
あるいは、すぐに効く痛み止めの薬を処方してもらえるのではないか。
そんな期待をしていました。

ところが、まずは検査。

「とにかく痛みを何とかしてほしい……」
その思いを抱えたまま、検査を受けることになりました。



MRIは1時間待ち

しばらくすると看護師さんが来て、レントゲン室へ案内してくれました。
レントゲンは、あっという間に終了。

ところが次のMRI検査です。
「MRIは時間がかかりますので、1時間ほどお待ちいただくことになります。大丈夫ですか?」
と尋ねられました。

大丈夫ではありません。

でも、待つしかありません。
何しろ今日は、お盆休みの真っただ中。
診てもらえるだけでもありがたいのです。

「大丈夫です。待ちます」

即答しました。

その後、水や麦茶を自由に飲める給湯器が置かれた待合室に案内され、また別の問診票を書くように指示されました。
ここでも、痛みに耐えながらスマホを見て時間をつぶしました。
そこで、ふとMRIについて調べてみました。
そして、驚きました。

私は、MRIとCTを完全に勘違いしていたのです。
装置の形が似ているので、同じような検査だと思い込んでいました。
ベッドのようなところに横になり、丸いトンネルのような装置の中に運ばれて画像を撮る。
その程度の認識だったのです。

そのため、問診票の、
「今までにMRI検査を受けたことがありますか」
という質問にも、間違えて「はい」と記入していました。

ところがスマホには、
「CT検査とMRI検査は別の検査です」
とはっきり書いてあります。

「しまった!」

MRIを受けたことなどありません。
あわてて「はい」を棒線で消し、「いいえ」に丸を付け直しました。


いよいよMRI検査

足の痛みは相変わらずです。
ここでも椅子に座ったり、立ったり。
そんなことを繰り返していました。
それでも、40分ほど待ったところで名前を呼ばれました。

「MRI検査室へどうぞ」

1時間待ちと言われていたので、少し気が楽になりました。
MRI検査では、磁石を使って画像を撮影するため、身体から金属類を外すように言われました。

さらに、
「検査中は大きな音がしますので、ヘッドホンを付けてください」
とのこと。

なるほど。
これはCTとはまったく違う検査なのだと、ここでようやく実感しました。

 



検査そのものは30分ほどかかりました。
そして、確かに検査中は、工事現場のような、何とも表現しにくい変な音が鳴り続けました。

「ガン、ガン、ガン……」

「これがMRIか……」

そんなことを思いながら、じっと耐えていました。
検査が終わりました。

しかし、まだ終わりではありません。
次は、お医者さんから診断結果を聞くために、また待たなければなりません。

病院とは、本当にひたすら待つところです。
どこの病院でも待ち時間は長い。

まして今日は、足の激痛に耐えながらです。
本当に長く、つらい時間でした。

そして、とうとう――。
私の受付番号が呼び出されました。



「椎間板ヘルニアです」

急いで診察室へ向かいました。

先生から告げられた病名は、
「椎間板ヘルニアです」
でした。

まず、レントゲンとMRIの画像を並べて見せてもらいました。
すると、どちらの画像にも、背骨と背骨の間から何かが飛び出している箇所が、はっきりと写っています。

そこは、たった1か所。

しかし、その1か所が私に猛烈な痛みを与えていたのです。

 



先生の説明によると、背骨と背骨の間にある椎間板が飛び出し、その近くを通っている神経に触れることで、激しい痛みが起きているとのことでした。
先生は、アンパンにたとえて説明してくれました。
アンパンに強い力が加わったり、あんを包んでいる外側の部分が弱くなったりすると、中のあんが「ぐにゅっ」と外へ飛び出してしまう。
それと似たような状態なのだそうです。

画像を見ながら説明を聞いていると、何とも気持ち悪くなってきました。
「自分の身体の中で、こんなことが起きているのか……」
と思いました。

そして、さらにショックな説明がありました。
この飛び出した部分は、多くの場合、時間が経てば自然に元へ戻っていくそうです。
ただし、正常な状態に戻るまでには、3か月ほどかかることがあるとのこと。

「3か月……」

思わず絶句しました。
3か月も、この痛みと付き合わなければならないのか。

さらに、最初の2週間ほどは「急性期」と呼ばれ、特に激しい痛みが続く時期だそうです。

治療は、薬を飲んで安静にすること。
湿布も効果があるので、処方しておくとのことでした。

 



病名がわかったことには、一安心しました。
「原因不明の激痛」ではなくなったからです。

しかし――。
病名がわかったからといって、痛みが消えるわけではありません。

結局、痛みは治してもらえないのかーい!

病院で治療費を支払い、近くの薬局へ処方箋を持って行きました。
そこで、2週間分の大量の薬と湿布を受け取りました。

 


飲み薬です。

 

貼り薬です。


帰りはバスです。
ようやく家に戻りました。

帰宅すると、まず急いでコーヒーを飲み、たまたま家にあったバームクーヘンを食べました。
そして、すぐに2種類の痛み止めと、胃が荒れないようにする薬を飲みました。
「薬は何か食べてから飲んでください。そうしないと胃を痛めます」
と説明されていたからです。


ところが、その痛み止め。
すぐに効くわけではありません。
数日間飲み続けて、ようやく効き始めることがあるそうです。

「そんな薬があるのか!」

思わず、怒りにも近い気持ちになりました。

こっちは今、猛烈に痛いんです。

今すぐ痛みを止めてほしいんです!

それなのに、
「数日飲み続けて、効いてくるのを待ってください」
とは……。

いやはや、病院で診てもらった結果、
「痛みはすぐには治りません」
ということでした。

思わず、
「結局、痛みは治してもらえないのかーい!!」
と、心の中で叫びました。

病名はわかりました。
原因もわかりました。
薬ももらいました。

でも、痛みは相変わらずです。

恐るべし、ヘルニア

こうして、私の「椎間板ヘルニア」との闘いが始まりました。

とにかく痛い。

恐るべし、ヘルニア。

最初の2週間ほどは、この激痛と闘わなければならない。
そして、完治するまでには3か月ほどかかる可能性がある。
「3か月か……」

そう思いながら、痛みに耐えて床に就きました。
しかし、その夜も、なかなか眠ることができませんでした。
痛みで寝返りを打つこともままならない。
眠りたいのに眠れない。
目を閉じても、痛みが襲ってくる。

こうして私は、長い長い夜を迎えることになりました。

 

 

 

8月11日の火曜日は祝日でした。

夕方まで、なんとか痛みに耐えながら過ごしていました。

それにしても、痛い。

腰からふくらはぎにかけて、激痛が走ります。

ただ、「ふくらはぎが痛い」といっても、後ろ側の筋肉が痛むわけではありません。
下腿部の骨の右側に沿ったところが痛いのです。
特に、ひざ下5~10センチほどの側面。

そこがジンジン、ジンジンと痛み続けます。
もう、耐えられないほどの痛みです。




「もう限界だ……」

耐えに耐えましたが、とうとう病院に行くしかないところまで追い込まれました。

さっそく、ネットで近くの病院を探します。
ところが、ここでも問題が発生しました。
そもそも、何科に行けばいいのかわからない。

あれこれ調べてみると、スポーツによる故障なら「スポーツ整形外科」、あるいは「整形外科」がよさそうです。
そこで、

「整形外科 おすすめ」

「スポーツ整形外科 ランキング」


など、いくつものキーワードを入れて検索しました。
いくつか候補が見つかり、それぞれの病院のホームページを確認します。

そして――愕然としました。

なんと、今はお盆休み。
病院が開いていないのです。


ホームページには、
「お盆休みです。ご理解ください」
といった案内が出ています。

ひえー!

ご理解できません!

こっちは痛くてたまらないんです。

「なんとかしてほしい!」

しかも、この日は「山の日」。
祝日です。
どこも休みです。

痛みに苦しんでいる身としては、だんだん腹まで立ってきます。

「だれだ! 『山の日』なんて作ったのは!」

もちろん、山の日に罪はありません。
そんなことは自分でもわかっています。
それでも、痛みで追い詰められていると、わけのわからない怒りまで湧いてくるのです。

仕方がありません。
妻がいつも使っている湿布を、再び足全体に貼りまくりました。
もう、これで耐えるしかない。

そう思いました。





ところが――

猛烈な痛みは、一向に治まりません。

それでも諦めずに、休日でも診てもらえる整形外科を探し続けました。

すると、ようやく見つかったのです。

天神にある整形外科でした。

「ここに行くしかない」

そう思いました。

ところが、詳しく調べてみると、一般の外来は受け付けていないようです。
祝日に特別に開いている救急病院でした。

そこには、

「足がしびれて動けない」

「尿意や便意を感じられないほど麻痺している」

といった症状の患者さんを受け入れる、というような説明がありました。

つまり、救急車で搬送されるようなレベルの患者さんが対象なのだろう。
私は自分なりにそう解釈し、連絡するのを諦めました。

それからも、近くの整形外科を探しては、ホームページを開き、診察日を確認しました。

そして――

ついに見つけました。

家から2キロほど離れたところに、12日の水曜日に診察している整形外科病院があったのです。

お盆休みは「8月13日~15日」と書いてあります。

ということは、12日は開いている。

ここだ!

ここしかない!

「明日、朝一番で連絡して、診てもらおう」

そう決めました。

あとは安静にして、眠るしかありません。

ところが――

その夜は、ほとんど眠ることができませんでした。

痛い。

そして、不安です。

さらに、悔しい。

痛みと不安と怒りが入り混じって、布団の中で何度も寝返りを打ちました。

そして、何度も同じことを考えました。

「やっぱり、無理して走るんじゃなかった……」

あのとき、

「これくらいなら走れるだろう」

などと、素人判断をしなければよかった。

今さら悔やんでも仕方がありません。

とにかく、明日は朝一番で病院に行く!
そして、この痛みを取り除いてもらう!

そう思って眠りにつきました。

しかし、痛みでなかなか眠れませんでした。


今回のことで、身をもって思い知らされました。

痛みが軽くなったからといって、故障が治ったとは限らない。

そして、もう一つ。

無理をして走ることで、故障を別の場所にまで広げてしまうことがある。

これは、今回の故障から私が学んだ、非常に大きな教訓です。

「走れるから大丈夫」

そんな自己判断は、もうしない。

痛みがあるときは、身体が発しているサインを素直に聞く。

今回の苦痛は、そのことを私に教えてくれました。
 

 

8月6日、スプリントの練習中にアキレス腱を痛めました。

そのときは、「無理はするまい」と思っていました。

アキレス腱が切れるような大きな故障をしてしまったら、最悪の場合、再起不能にもなりかねない。そう考えたからです。


ところが、人間というのは困ったものです。
7日、8日と2日間、アキレス腱を触ったり、少し動かしてみたりしながら、自分なりに調子を確かめていました。

「あれ? それほど痛くないぞ」

そんな気持ちが、少しずつ膨らんできました。
そして、とうとう素人判断をしてしまったのです。

「これなら走れるんじゃないか」


その結果、8月9日の日曜日、普段どおりの練習をしてしまいました。
ところが、その日の夜です。

お尻から太もも、そしてふくらはぎにかけて、突然、激痛が走り始めました。

「やばい……」

さすがにそう思いました。
痛むところを少しでも楽にしようと、ひたすらマッサージを続けました。

 



しかし、後になって知ったのですが、アキレス腱など急性の痛みがある患部をむやみにマッサージするのは、かえって悪化させる可能性があり、避けたほうがよい場合があるそうです。

それを知らずに、必死で揉み続けていました。

当然、痛みはまったく治まりません。

おそらく、自分では意識していなかったものの、最初に痛めたアキレス腱をかばうような走り方をしていたのでしょう。

その結果、身体の別の部分に無理な負担がかかり、足全体に何らかの異常を起こしてしまったのかもしれません。

それにしても、痛すぎる。

「なんとかしなければ……」

そうだ、妻が病院でもらった湿布が大量にあったはずだ。
ありました。
もうこれに頼るしかない。
妻にお願いして腰から足にかけて湿布を貼ってもらいました。

 



これは、筋肉の痛みではなくて、完全に神経の痛みです。

ズキズキ、ジンジンとした痛み。
これは毎年、年末に経験するあの腰痛の痛みと似ていました。

突然、寒くなると腰痛に襲われるのです。
そして、無理な態勢を取ろうものなら、ズキンと激痛が走ります。
体を曲げるのが困難になり、靴下を履くのも困難な状態になります。
歩くのも、無理ができないのでよちよち歩きのようになります。

 



あの腰痛と同じ痛みだ。
もう、安静にして激痛に耐えるしかない。
腰痛の場合、安静にしていると2~3日で治ることが多い。

今回もなんとかそれで済んでくれたらいいのだが。
そう思いながら、その日は痛みをこらえながら寝ることにしました。

しかし、その後とんでもないことになりました。

 

 


 

「ズキン!!」

右足のアキレス腱に、鈍い痛みが走りました。

「あっ!」

一瞬、嫌な予感がしました。

しかし、その後はそれほど強い痛みもありません。
私は、そのまま200mを走り切ってしまいました。
今思えば、これがいけなかったのかもしれません。

 




私は週3日、陸上の練習をしています。

その3日間は、それぞれ目的を分けています。
スピードを重視する日、持久力を重視する日、そして400mのレースプランを意識して走る日です。

なかでも火曜日は、主に短距離のスピード練習。


私はスプリント種目の中でも、400mに力を入れています。

400mという種目は、最初から最後まで全力で走ればいいという単純な競技ではありません。
トップスピードまで持っていけるのは、せいぜい最初の100m。
そこから200m、300mへと、できるだけスピードを落とさず、しかも最後まで走り切るための余力を残しておかなければなりません。
波に乗ったような感覚で、気持ちよくスピードを維持する。
そして最後の100mは、残っている力をすべて絞り出して、ゴールで完全に力を使い果たす。

これが私の考える400mです。

つまり、400mには、絶対的なスピードだけではなく、それを維持する持久力、そして自分の力をどこで、どのように使うかというレースプランが必要なのです。

火曜日は、特にスピードを意識した練習をします。

まず自宅から大濠公園までジョギングします。
途中で肩甲骨を回したり、両腕を回したり、股関節を動かしたりしながら、体を少しずつ温めていきます。
さらに、アンクルホップ、ランジ、Aスキップなどの基礎的な運動を取り入れながら、ゆっくりとジョギングを続けます。

大濠公園に到着すると、すぐにスプリントを始めるわけではありません。
十分にウォーキングをして体を整えてから、いよいよスプリントです。

この日は、100mを3本。
1本走るごとに5分ほど休憩します。
そして、もう一度しっかり休憩してから、仕上げに200mを1本走ります。

この最後の200mは、私にとって単なる仕上げの練習ではありません。
その日の体調を確認する、いわば「体のテスト」です。

疲労はどの程度あるのか。
どこかに痛みはないか。
ランニングフォームは崩れていないか。
そんなことを意識しながら200mを走るのです。

ところが、この日は猛暑日。
強烈な暑さでした。

100mを3本走り終えた時点で、かなりの疲労を感じていました。

「今日はきついな……」

そう感じた私は、最後の200mを走る前に、いつもよりかなり長めに休憩を取りました。

そして、200mのスタート地点へ。

休憩を取り過ぎたかな。
暑さも感じる。
疲労も残っている。

それでも、
「早く済ませて、とっとと家に帰ろう」
そんな気持ちでスタートラインに立ちました。

そして、勢いよく一歩目を踏み出した、その瞬間――。

「ズキン!!」

右足のアキレス腱に、鈍い痛みが走りました。

「あっ!」

一瞬、そう思いました。

しかし、幸いにも、その後は強い痛みを感じませんでした。
私はそのまま200mを走り切りました。

ゴールした直後、今度はアキレス腱の状態を確かめるように、ゆっくりと200mほどジョギングしてみました。
少し違和感はあります。
しかし、大きな痛みはありません。

「大丈夫かな……」

そう思いながら、帰り道はウォーキングと軽いジョギングを交互にし、できるだけ右足に負担をかけないようにしました。

 



家に帰ってから、右足のアキレス腱を触ってみました。
すると、軽い痛みがあります。
やはり、何らかの損傷があるようです。
幸い、大きなケガではなさそうでしたが、明らかに普段とは違う感覚があります。

これは、しばらく休まなければいけない。
そう思いました。

実は、1か月後に熊本マスターズ陸上競技選手権大会への出場を考えていました。
400mでどこまで走れるか。
自分の記録に挑戦したい。
娘や孫に頑張っている姿を見せたい。

そんな思いがあっただけに、微妙な状況になってしまいました。

「しばらくは完全休養だな」

そう考えていた、その矢先です。
熊本マスターズ陸上競技選手権大会が、地震のため中止になったことを知りました。

私は、こう思いました。
「今回は、走るなということなんだな」
70歳にもなって、無理をしてもろくなことはありません。

マスターズ陸上は、もちろん記録を狙うことも大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、周囲の人に迷惑をかけないよう、万全の体調で大会に臨むこと。
そして、最後まで無事に走り切ることです。

記録よりも、まず無事。
これは、年齢を重ねるほど大切になってくるのだと思います。

若い頃なら、多少の無理をしても、休めばすぐに回復したかもしれません。
しかし、シニアになると、そうはいきません。
回復にも時間がかかります。

だからこそ、「無理をしない」という意識を持つことが必要なのです。

……とは言うものの。

そんなことを言いながら、私はこの暑い日の真っ昼間に走りに出ています。
妻からは、
「頭がおかしいんじゃないの?」
と、あきれられています。

自分でも、少しそう思います(笑)。
走ることが好きなのだから、仕方がありません。

でも、今回のアキレス腱の痛みで、改めて思い知らされました。
「走り続けるためには、休むことも練習のうち。」

これからは、絶対に無理をしない。
体の小さな変化にも注意する。
そして、焦らず、用心しながら練習に取り組む。

70歳のランナーには、それくらいの慎重さがちょうどいいのかもしれません。

 

 

昨年、娘夫婦が熊本へ引っ越しました。

それ以来、孫たちとは気軽に会えなくなり、寂しさを感じる日が多くなりました。写真や動画で元気な姿を見ることはできますが、やはり実際に会って抱きしめたり、一緒に遊んだりするのとはまったく違います。

そんなある日、何気なくマスターズ陸上競技大会の日程表を眺めていると、一つの名案がひらめきました。

熊本マスターズ陸上選手権に出場すればいいじゃないか。」

大会は9月6日に開催予定。今から申し込めば十分に準備も間に合います。

マスターズ陸上は、居住地の都道府県で登録さえしていれば、その登録番号を使って全国どこの大会にも出場できます。つまり、福岡で登録していても熊本の大会に出場できるのです。

大会への参加を口実に熊本へ行き、競技を終えた後は娘夫婦や孫たちと楽しい時間を過ごす。

「これは我ながらいい考えだ。」

そう思い、病気療養中の妻にも相談してみました。

「近くのホテルに泊まって、みんなに会えるならいいね。」

妻もこの計画には大賛成でした。

ところが、その次の一言で私の淡い期待はあっけなく打ち砕かれます。

「でも、あなたの陸上の試合は暑いから見には行かないわ。」

あまりにもあっさりした返事でした。

実は、応援してほしいという気持ちももちろんありましたが、それ以上に走っている姿を動画に撮ってもらいたかったのです。
最近は自分のフォームを確認するためにも動画は欠かせません。しかし、どうやら今回も一人で走るしかなさそうです。

そうなると頼みの綱は娘です。
孫の幸ちゃん(仮名)に、
「じいじが走るから応援に来て。」
そう声を掛けてもらえれば、娘もきっと競技場まで来てくれるのではないか。そんな作戦まで考えていました。

さらに、自家用車で行くか、新幹線を利用するかという交通手段も検討しなければなりません。大会の参加申し込みや参加料の支払い方法も調べる必要があります。

久しぶりに孫たちと会える。
そう思うだけで気持ちは弾み、大会へ向けた練習にも自然と力が入っていました。

ところが、その期待は突然打ち砕かれることになります。

7月28日、熊本を大地震が襲ったのです。

 



真っ先に娘夫婦へ連絡を取りました。

幸いにも家族全員が無事だと聞き、胸をなで下ろしました。しかし、被害は想像をはるかに超えるもので、とても普段どおりの生活を送れる状況ではありませんでした。
そんな状況で、「じいじの陸上の試合を見に来て」などと言えるはずもありません。
それどころか、大会そのものが開催できるのだろうかという疑問が湧いてきました。

大会のホームページや関係団体のサイトを何度も確認しましたが、しばらくの間は何の発表もありません。

「何も発表がないということは開催されるのだろうか。」

「余震も続いているし、行かないほうがいいのだろうか。」

「いや、あえて熊本を訪れ、宿泊や食事をすることで少しでも復興の役に立てるのではないか。」

さまざまな思いが頭の中を巡りました。

一方で、参加申し込みの締め切りも迫っています。
もし開催されるのであれば、もう決断しなければ間に合いません。
そう考え、本日、改めて熊本市陸上競技協会のホームページを開きました。

そして、画面を見た瞬間、思わず息をのみました。
そこには、赤い旗印を付けた「第34回熊本マスターズ陸上競技大会中止のお知らせ」が掲載されていたのです。

理由として、競技場施設が避難場所として利用されていること、施設の安全確認や大会運営に必要な環境の確保が困難であること、選手自身も十分な練習環境を確保できないこと、さらに審判員も被災や災害対応に追われ、大会運営が成り立たないことなどが説明されていました。



その内容を読みながら、
「そうだよな。」
と静かに納得しました。

大会どころではありません。
中止は極めて当然の判断です。
もちろん、孫たちに会えると楽しみにしていただけに残念な気持ちはあります。しかし、それは私個人の小さな願いにすぎません。

今、最優先されるべきことは、被災された方々が一日も早く安心して暮らせる日常を取り戻すことです。

熊本マスターズへの挑戦は、また来年以降の楽しみに取っておこうと思います。

その頃には競技場にも再び選手たちの歓声が戻り、孫たちも笑顔で「じいじ、頑張れ!」と応援してくれる日が来ることを信じています。

心から、熊本の一日も早い復興を願っています。

 

2026年(令和8年)7月28日、午後4時30分ごろ。

私は近所の床屋さんで散髪をしていました。

昨年、大腸がんが見つかり、手術を受けたことをきっかけに、思い切って仕事を辞め、年金生活に入りました。

毎日が日曜日ですから、床屋へ行く時間も自由です。

この日は真夏日で、とても暑い一日でした。
「こんな夕方なら、お客さんも少ないだろう。」
そう思って出かけたのですが、予想は外れました。

私の順番が来たとき、店内には私を含めて4人のお客さんがいました。

理髪師さんが、
「もみあげは、どうしましょうか?」
と尋ねた、その瞬間でした。

店内にいた全員のスマートフォンから、
ウィーン、ウィーン、ウィーン……。
けたたましい警報音が一斉に鳴り響いたのです。

続いて、
「地震です。地震です。」
という音声ガイダンスが繰り返し流れました。

店内の空気が、一瞬で凍りつきました。

 



そして数秒後――。
ドンッ。
強い揺れが襲ってきました。

私は福岡に住んでいます。
「震度4くらいはあるな……。」

そんなことを考えていましたが、揺れは思った以上に長く続きました。
「かなり長いですね。」
客同士でそう話しながらも、誰一人店の外へ飛び出すことはありませんでした。
何もできず、ただ揺れが収まるのを待つしかありませんでした。

外出先で、これほど大きな地震を経験したのは初めてでした。

しばらくすると、順番待ちをしていた一人のお客さんが、スマートフォンを見ながら叫びました。
「熊本だ! 熊本! 携帯がつながりにくくなっている!」

さらに続けて、
「熊本、震度7!」
という声が店内に響きました。

「えっ、熊本?」

その言葉を聞いた瞬間、胸がざわつきました。
散髪を続けてもらいながらも、頭の中は娘家族のことでいっぱいでした。

震度7……。
これは大変なことになるかもしれない。


実は昨年、娘夫婦はご主人の仕事の都合で福岡から熊本へ引っ越していました。
「どうか、何事もありませんように。」

散髪が終わると、私は店を出てすぐにLINEを送りました。
「地震、大丈夫?」

ほどなくして娘から返信が届きました。
「今、外出中。帰ったらまた連絡するね。」
たまたま用事があり、孫たちを連れて震源地から少し離れた場所へ出掛けていたそうです。

しかし、帰り道は大渋滞。
自宅へたどり着いたのは、午後7時ごろだったといいます。

幸い、娘夫婦も孫たちも、ご主人も全員無事でした。
さらに、住んでいるマンションは電気も水道も止まらず、大きな被害もなかったとのこと。
その知らせを聞いて、ようやく胸をなで下ろしました。

しかし、その後に聞いた話は衝撃的でした。

娘が普段買い物をしているイオンモールで大きな爆発が発生し、亡くなられた方まで出ているというのです。
娘も大きなショックを受けていました。

さらに、ご主人の勤務先は宇城市。
まさに震源地とされる地域でした。
職場は電気も水道も止まり、その日はすぐに帰宅することになったそうです。

ところが、道路はあちこちで大きく隆起し、車の底を何度も擦りながら、通れる道を探してようやく帰宅できたといいます。

余震も続いており、いつ仕事を再開できるのかも分からない状況です。
それどころか、職場の建物そのものが使用できなくなる可能性もあるそうです。

 


 (イメージ画像です。)

命が助かったことは、本当に何よりでした。
しかし、これから始まる復旧や生活再建のことを思うと、不安は尽きません。
電気や水道が止まり、車中泊を余儀なくされている方も大勢いると聞きます。

一日も早く日常が戻ることを心から願うとともに、私にできることがあれば、少しでも復旧のお手伝いをしたいと思っています。

 

 

 

「もう二度と、こんな思いはしたくない。」

今年も大腸の内視鏡検査を終えた私は、目を覚ました直後にそう思いました。

実は私は昨年、大腸がんの手術を受けました。
手術からちょうど一年。
再発がないかを確認するための定期検査です。

検査そのものは鎮静剤のおかげで眠っている間に終わります。
苦しい記憶はほとんどありません。

しかし、本当に大変なのは検査そのものではなく、その前日から始まる準備でした。


前日から始まる「試練」

内視鏡検査を受けたことがある方ならご存じでしょう。
腸の中を空っぽにしなければならないため、前日から食事制限が始まり、夜には下剤を飲みます。

 



私も前日の夜にマグロコールPという下剤を飲みました。
オレンジジュースのような味もするのですが、とにかくまずい。
結果は、なんと6回もトイレに通うことになりました。
「ふう、やっと落ち着いた。」
そう思って布団に入りましたが、本番は翌朝でした。

 

 



朝6時から、さらに別のサルプレップという下剤を飲み始めます。
これが、とにかくまずい。
決められた量を何回にも分けて飲み続けるのですが、飲み終わるころに便意が襲ってきます。
結局、この日は9回も排便しました。

最初の内は茶色い個体の便が出て来ます。

やがて、どろどろの便になります。

3~4回目には水溶液に変わります。

そして、色も茶色から黄色へと変わって行きます。

5回を過ぎると、ほぼ黄色い水がぷしゃ―と滝のように流れ落ちます。

「まだ大丈夫。」
そう思った瞬間には、もう間に合わないことがあります。

今回も途中で便を少し漏らしてしまい、下着を3回も着替えることになりました。
70歳になって、まさかこんな経験をするとは思ってもいませんでした。
正直に言えば、とても情けなく、つらい時間でした。

「来年は受けたくない。」
そんな気持ちが頭をよぎります。



それでも私は検査を受ける

 



それでも、私は来年もきっと内視鏡検査を受けるでしょう。
なぜなら、その価値を身をもって知っているからです。

私の大腸がんはステージ2でした。
幸い、遠隔転移はなく、手術で切除することができました。
抗がん剤治療も必要ありませんでした。

もちろん、手術は決して楽ではありません。
術後は頻繁な排便や下痢に悩まされました。
おならをすると便が漏れることもあり、外出するのも不安でした。
夜中に何度もトイレへ起きる日もありました。

生活は一変しました。
それでも私は「助かった」のです。
もし発見があと少し遅れていたら…。
ステージ3、あるいはステージ4まで進行していたら…。

リンパ節への転移や他の臓器への転移が見つかっていたかもしれません。
抗がん剤治療が必要になっていた可能性もあります。
さらに、人工肛門(ストーマ)が必要になる可能性も高くなっていたでしょう。

私も手術前、医師から病変の位置によっては肛門を残せない可能性があると説明されました。
その言葉を聞いたときの衝撃は、今でも忘れられません。

「普通にトイレへ行ける。」
それがどれほどありがたいことなのか、その時初めて考えました。



「面倒」と「後悔」、どちらが大変か

多くの人が内視鏡検査を敬遠する理由はよく分かります。

下剤がおいしくない。
何度もトイレへ行かなければならない。
時間もかかる。
恥ずかしい。
できれば受けたくない。

その気持ちは、私も全く同じです。

しかし、その「面倒」はたった一日です。
一方、がんが進行してから受ける治療は、一日では終わりません。
何か月、場合によっては何年にも及ぶ治療が続きます。

体力も、お金も、時間も奪われます。

そして何より、本人だけではありません。
家族も同じように苦しむことになります。
「もっと早く検査を受けていれば…。」
そう後悔しても、時間は戻ってきません。

大腸がんこそ症状が出たらアウトです。

大腸内視鏡検査でいかに早くその芽を摘むかが勝負なのです。


お金の面でも大きな違いがある

検査費用を気にする人もいるでしょう。

大腸内視鏡検査は保険適用の場合、一般的には数千円から1万円程度(処置や生検の有無などで変わります)で受けられることが多いです。

一方、大腸がんが見つかって手術となれば、健康保険や高額療養費制度を利用したとしても、入院や手術に伴う自己負担は数万円から十数万円以上になることが少なくありません。
さらに、仕事を休むことによる収入への影響や、通院・交通費なども加わります。
保険適用前の医療費全体で見れば、手術や入院には数十万円から100万円を超える費用がかかるケースもあります。

しかし、日本には素晴らしい医療保険があります。

大腸がんの手術費用は120万円ほどかかることがあります。しかし、高額療養費制度のおかげで、70歳以上の一般的な所得の方なら、保険診療分の自己負担はおおむね6万~9万円程度で済むケースが多くあります。
ただし、個室代や食事代などは別途必要です。

つまり、早期発見のための検査と、進行がんになってからの治療とでは、経済的な負担にも大きな差が生まれるのです。

もちろん、お金だけの問題ではありません。
命の重さは金額では測れません。

それでも、「検査は高いから」とためらっている人には、一度立ち止まって考えてほしいのです。



なぜ「麻酔」ではなく「鎮静剤」なのか

今回も検査前に点滴を受け、鎮静剤を入れてもらいました。
数秒後には意識が遠のき、次に目を開けたときには検査は終わっていました。

毎回不思議に思うことがあります。
「これだけ眠るのに、なぜ『麻酔』ではなく『鎮静剤』というのだろう。」

調べてみると、全身麻酔のように完全に意識や呼吸を管理するのではなく、うとうと眠ったような状態を作る薬だからだそうです。

麻酔は意識をなくし痛みを感じないようにさせるものだが、鎮静剤は痛みを遮断するためのものではなく、うとうとさせるために使われるので区別がされているのだそうです。
いずれにせよ、患者の負担を軽くするための工夫なのです。

「鎮静剤」というから、てっきり「心を落ち着かせる薬」なのかと勘違いして「要りません」と言うところでした。
受付で尋ねると、鎮静剤は眠らせるための薬だというではありませんか。
眠っている間に検査が終わりますよという説明をしていただききました。
あわてて「要ります、要ります」と問診票の「鎮静剤はいりますか」の欄の「はい」に印をつけました。

鎮静剤が要らないと言う人はいるのでしょうか。
車で来ている人は鎮静剤が使えないとは書いてありました。
居眠り運転につながる恐れがあるからでしょう。

鎮静剤なしなんて私には考えられません。
検査の日は車はやめて、公共の交通機関を利用します。

医学は日々進歩しています。
昔よりも楽に検査を受けられる時代になりました。
だからこそ、その恩恵を受けない手はありません。

大腸内視鏡検査は受けるべきです。


健康は失って初めて価値が分かる

病気になる前の私は、自分が大腸がんになるとは夢にも思っていませんでした。
健康であることが当たり前でした。

しかし、一度病気になると、その当たり前がどれほど尊いことだったのかに気づかされます。

普通に食事ができること。
普通に走れること。
普通に眠れること。
普通にトイレへ行けること。

どれも決して当たり前ではありませんでした。

 



私は大腸がんを経験したからこそ、今こうして走れる毎日に心から感謝しています。
そして、もしこの体験が誰か一人の背中を押すことができるなら、つらい経験にも意味があったと思えるのです。

もしあなたが「来年でいいか」「まだ症状もないし」と思っているなら、どうかその考えを少しだけ変えてみてください。
大腸がんは、早く見つければ助かる可能性が高い病気です。
たった一日の我慢が、その後の何十年という人生を守ってくれるかもしれません。

私は、自分自身の経験から、そのことを強くお伝えしたいと思います。

どうか、大腸の内視鏡検査を受けてください。
未来の自分と、大切な家族のために。


 

 

今日は福岡も朝から厳しい暑さでした。

最高気温は35℃。

 



さて、最高気温が35℃以上の日を何というか覚えていますか。

復習してみましょう。

夏日:最高気温が25℃以上の日
真夏日:最高気温が30℃以上の日
猛暑日:最高気温が35℃以上の日
酷暑日:最高気温が40℃以上の日

ということで、今日の福岡は「猛暑日」でした。

ちなみに「酷暑日」は、2026年4月に気象庁が新たに正式採用した気象用語です。
今年から使われるようになったばかりですが、この夏はすでに全国のいくつかの地点で「酷暑日」が観測されています。

そんな猛暑日の中、私は今日も走りに出かけました。
途中でスプリント練習を挟みながら、大濠公園までジョギングです。

できるだけ日陰を選び、呼吸を整えたあと、200mを全力で2本走りました。
2本の間は約20分。十分に休憩を取ってから2本目に挑みました。

タイムは、いつものようにスーパーランナーズのスタート・ストップボタンを自分で押して計測。
かなりアバウトな計測方法ですが、それも練習の一部です。

 

こんな日に限って良いタイムが出ます。

200mで歴代2位(大学時代を除く)の記録が出ました。

リラックスして走るのがいいのでしょう。

実は明日、大腸がんの手術からほぼ1年を迎える節目の検査があります。
がんが再発していないかを確認する大切な検査です。
内視鏡検査も予定されています。


そのため、今夜から絶食。
さらに、今夜はマグコロール(腸管洗浄剤)を飲み、明日の朝は仕上げとしてサルプレップ(腸管洗浄剤)と大量の水で腸の中をきれいに空っぽにしなければなりません。

体調を万全に整えて検査を受けたい。

朝起きたときは、
「今日は走っている場合じゃない」
そんな気持ちでした。

検査結果のことを考えると、どうしても心が重くなります。
少し不安もありました。

しかし、ふと思ったのです。
「そうだ。気分転換に軽く走るくらいならいいじゃないか。」
そう思った瞬間、もう走らずにはいられませんでした。

本当は200mを1本だけ軽く走って汗を流し、気分転換ができれば十分。
そんなつもりで家を出たのです。

ところが、猛暑の中を走ると、それ以上のご褒美が待っています。
それは、私が勝手に「極楽」と呼んでいる時間です。
その正体は、ランニング後の冷水シャワー。

猛暑の中を走り終え、帰宅してシャワーを浴びると、
「ああ、極楽だ……」
と思わず声が出てしまいます。

実は、この感覚には医学的な理由があります。

冷水を浴びると、体は急激な冷たさを「ストレス(危機)」として認識します。
すると脳内では、覚醒を促すノルアドレナリンが急激に増え、一気に頭が冴えてきます。
さらに、そのストレスを和らげるために、ドーパミンやエンドルフィンといった快感や幸福感に関わる物質も分泌されます。

つまり、
「一瞬の緊張」のあとに訪れる「強い爽快感とリラックス」。
この大きな落差こそが、「極楽だ」「ととのった」と感じる正体なのです。
サウナの後に水風呂へ入ると気持ちよく感じるのも、同じような仕組みだと考えられています。

もちろん、注意も必要です。

あまりにも冷たい水を、いきなり頭や胸に浴びるのは危険です。
心臓や血管に大きな負担をかけることがあるため、ゆっくり体を慣らしながら浴びることが大切です。

その点、わが家は少し条件に恵まれています。

私は賃貸マンションに住んでいます。
マンションでは、一度屋上の貯水タンクに水をためてから各部屋へ配水しています。
真夏は、その水が外気で温められるため、水道をひねっても最初は少しぬるめです。

ところが、猛暑の中を走って火照った体には、その「ぬるい水」でさえ十分に冷たく感じられます。
これが何とも言えない心地よさです。

さらに1~2分ほど水を流し続けると、本来の冷たい水になってきます。
その瞬間、
「ああ、また極楽だ。」
そう感じるのです。

 



今日も、この冷水シャワーのおかげで心も体もすっきりしました。

明日は、大腸がん手術から1年を迎える大切な検査です。

万全の体調で臨み、良い結果を信じて受けてこようと思います。

 

 

大腸がんの手術後、比較的順調に回復し、私は10日で退院することができました。

とはいえ、退院後は頻便と下痢に悩まされました。
おならの回数も増え、おならをするたびに少し便が漏れてしまうこともあり、気が休まりません。
何度も下着を替えなければならず、情けない思いをしたものです。

そんな状態でも、私の頭の中にあったのはただ一つ。

「また走りたい。」

ランニングをやめようと思ったことは一度もありませんでした。
むしろ、「走れるようになったら、もう一度自己ベストに挑戦したい」という気持ちのほうが強かったのです。
もちろん、無理をして再び走れなくなることだけは避けたいという思いもありました。

退院から半月ほど経ったある日、試しに大濠公園まで歩いて行ってみることにしました。
もし体調が良ければ、少しだけ走ってみよう。
そう考えて家を出ました。

途中で便意を催したら大変なので、出発前には何度もトイレに行きました。

手術前より体重は約5kg減っていました。
しかし、不思議なことに体力が落ちたという感覚よりも、体が軽くなったような感じがして、足取りは思いのほか軽かったのです。
大濠公園まで歩いても便意はまったくありません。
体調も悪くありませんでした。

 

 大濠公園

手術の傷跡が少し気になりましたが、

「100メートルくらいなら大丈夫だろう。」

そう思って走ってみました。

タイムは驚くほど遅かったものの、普通に走れました。

「これならいける。」

そう感じましたが、その日は無理をせず、帰りも歩いて帰ることにしました。

 



それから少しずつ練習を重ねるうちに、タイムは徐々に向上していきました。
そして手術から4か月後には、100m、200m、400mのすべてで自己ベストを更新することができたのです。(大学時代を除きます。)

もっと速く走りたい。
そのためにはフォームを改善したいと思いました。

ところが、私には練習を見てくれたり、フォームを撮影してくれたりする仲間がいません。
今、私の身近な友達といえば、アレクサとChatGPTくらいです。

そこで100円ショップへ行き、スマホスタンドを買ってきました。
100円ショップなのに220円でしたが(笑)。

 

 



そのスタンドをランニングコース脇の花壇に設置し、自分のフォームを撮影することにしました。
録画ボタンを押してからジョギングでスタート地点まで移動し、そこから全力疾走。
カメラの前を駆け抜けたら、またスマホのところまで戻って録画を止めます。

前方、横、後方の3方向から、それぞれ数本ずつ撮影しました。

 



帰宅後、映像を確認してみました。

……遅い。

思っていた以上に遅い。
ピッチがあまりにも遅いのです。

自分では最高速度で走っているつもりでした。
ところが映像を見ると、まるでスローモーション。
動作全体がのろいのです。

筋力の衰えは、自分の想像をはるかに超えていました。

「これではタイムが伸びるはずがない。」

そう思い、少し落ち込みました。

しかし、良い発見もありました。

フォーム全体は意外と整っていて、腕振りにも余計な力みがありません。
我ながらスムーズで、なかなかきれいなフォームです。
もちろん、一流選手と比べれば突っ込みどころ満載なのは百も承知です。

私が比べたのは、一般的な70代のランナーです。

実は前年、私はマスターズ陸上の大会を観客として見に行っていました。
自分が選手として通用するレベルなのか確かめたかったからです。

60代、70代のランナーをずっと見ていました。
中には年齢特有のぎこちないフォームで走る方も少なくありませんでした。

 



そのとき見たフォームと、自分の映像を見比べると、

「意外と悪くないじゃないか。」

そう思えました。

力強さもある。

「あの手術から、よくここまで回復したものだ。」

そんな思いが込み上げてきました。

 



そのとき、ふと思いつきました。

「そうだ。この動画を家族のLINEに送ろう。」

妻と息子と娘に、大腸がん手術から元気に復活した姿を見てもらおう。
70歳にしては、なかなか力強く走っているだろう。
親父はここまで元気を回復したよ。
そんな思いが伝わればいい。
きっと何か反応があるだろう。

……とはいえ、妻は私が普段から走っていることを知っています。
たぶん返信はないでしょう。

息子も、いつも既読は付くものの、よほどのことがない限り返信してきません。
今回も期待はできません。

せめて娘くらいは、
「頑張ってるね!」
そんな言葉を返してくれるのではないか。
そう期待して、数本の動画を送ってみました。

案の定、妻と息子からは返信なし。
既読だけはしっかり付いています。

ところが、いつも私のボケにも必ず突っ込んでくれる娘は、期待どおり返信してくれました。
しかし、その内容は私の想像をはるかに超えていました。

思わず、お腹を抱えて笑ってしまいました。

返信はこちらです。

 



「幸ちゃん(仮名)に見せたら、『足が上がってない』とのことです(笑笑笑)」

なんと返ってきたのは、激励ではなく、4歳の孫によるランニングフォームへのダメ出しだったのです。

ほめてもらえると思っていたのに。
まさかの辛口コメントでした。

後日、娘に電話をして詳しく聞いてみました。

娘が

「じいじから走っている動画が来たよ。見てみる?」

と言って幸ちゃんに見せたところ、

しばらく画面を見つめたあと、

「じいじ、足があまり上がってないね。」

と、ぽつり。

確かに言われてみれば、そのとおりです。
ピッチも遅いし、もっと地面からの反発をもらって、ももを高く上げなければなりません。

恐るべし、幸ちゃん。
4歳にして私の弱点を見抜くとは。
天才かもしれません。


もっとも、幸ちゃんがそう言ったのには理由がありました。

最近、NHKの「体育ノ介」という番組を見ていたそうです。
そこでは、オリンピック男子4×100mリレー銀メダリストの朝原宣治さんが、スプリントの走り方を指導していました。
幸ちゃんは幼稚園でかけっこをして以来、「もっと速く走りたい」と言うようになり、その番組を見たそうです。

朝原さんが「ももを上げよう」と話していたのか、それとも朝原さんの走りを覚えていたのかは分かりません。
いずれにしても、幸ちゃんは朝原さんのフォームと私のフォームを見比べて、

「足が上がってない。」

と判断したのでしょう。

いやいや。

そんな世界トップレベルのフォームと比べるなよ!

そう心の中で突っ込みながらも、おかしくてたまりませんでした。

これからも、4歳の専属フォームコーチ・幸ちゃんの厳しいチェックを受けながら(笑)、トレーニングに励みたいと思います。

次に動画を送るときには、

「じいじ、前より足が上がってるね。」

そう言ってもらえるように頑張ります。


 

今日の福岡市は最高気温が35度でした。
もう十分に暑熱順化を済ませていると思っていました。

ところが、実際走ってみると、この暑さに体が付いて来ていないのがよくわかりました。
400mのタイムが、がた落ちでした。
30度を超えると、暑さのレベルが違います。

再度、もう一段高いレベルの暑熱順化に取り組もうと思いました。

 

 




この焦げるような暑さで、去年の夏を思い出しました。
去年の今頃は病人でした。

大腸がん手術を受けてからちょうど1年になります。

私は本当に運が良かったと思います。
周囲の人の強い声掛けで早期に検査を受けました。
そして、がんを見つけていただきました。

手術前には「ステージ3」の可能性もあると言われていました。
しかし、術後の検査で「ステージ2」と診断されました。
これは、大腸がんにおいては、苦しい抗がん剤治療を受ける必要がないということを意味していました。

 


すぐ身近に「ステージ4」で抗がん剤治療を受けている人がいます。

がん細胞をやっつけるか自分がやられるか。
まさに死闘なのです。

どれほど苦しいのかを見ているので、事の重大さがよくわかります。

夜中に突然嘔吐したり、体調を崩して便をもらしたり、それはもう大変です。
いくつも薬を飲まなければなりません。
それに比べると、私は幸運でした。

最初に精密検査を受けるように勧めてくれたお医者さんがよくこうおっしゃいます。

「あなたは運がいいですよ。これは宝くじに当たったぐらいに幸運なことなんですよ」

とは言うものの、20cm余り大腸を切り取る外科手術でした。
幸いに手術は成功し、肛門を残すことができました。

しかし、退院したその日から、頻便や便漏れに悩まされることになります。
実は、退院してからが想像以上に大変なのです。

腸をかなり切っているので、便をうまく処理できないのです。
常に整腸剤を飲んで便通をできるだけ正常に保たなければなりません。

最初はうまくいかず、何度か便漏れを起こしました。
本当に情けない思いをしました。

今でも薬は欠かせません。
主に、「ミヤBM」という薬を飲んでいます。 
ミヤBMは、腸のエネルギー源となる「酪酸」を作り出し、傷ついた腸の粘膜を保護して腸管の蠕動(ぜんどう)運動を回復させる効果があります。

 



これでうまく行かないときには、「ビオスリー」という薬を飲みます。
名前の通り、酪酸菌・乳酸菌・糖化菌の3つを配合した薬で、多角的に腸内環境を整えてくれます。

 



また、便を漏らさないように、肛門をキュッと締めるトレーニングも欠かせません。

毎日、便を観察するようになります。
今日は下痢気味だ。
今日は便秘気味だ。
今日も便が細い。

うまく行く日はほとんどありません。

最初は小指より細い便しか出ませんでした。
でも、それがだんだん形が整ってきます。
1年経った今では、太さも親指ぐらいになりました。

まだまだ便との闘いは続きます。

それに加えて、私は血圧が高いので、血圧を下げる薬も飲んでいます。
「エンクレスト」というものです。

 




また、洞不全症候群という心臓の不整脈も抱えています。
その対策として、血液をさらさらにする薬も飲んでいます。

「シロスタゾール」です。

 




そんな状態で、スプリント(主に200mと400m)に挑戦しています。
ですから、いつまで続くかは今のところ全くわかりません。

体調に異常が感じられたら、すぐに運動は控えるようにします。
お医者さんとの約束です。

今のところ、自覚症状がないので、調子に乗って走っています。
手術後、半月ほど経ってから、ランニングを再開しました。

 

 



トレーニングの甲斐あって、徐々にタイムも良くなってきています。
いつまで続くのか、また、どこまで記録を伸ばせるのか、行けるところまでがんばってみます。