ハセツネ敗戦記~暗闇の甘いささやきに負けた~ | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

ハセツネ敗戦記~暗闇の甘いささやきに負けた~

「リタイアします」

2011年の長い夏は5時間3分で終わりました。

「日本山岳耐久レース24時間以内 ハセツネカップ」に、エントリーしたのが6月1日。そこから4ヶ月と21日、18時3分に全てが終わりました。

マラソンを始めて、初のフルマラソン挑戦、「かすみがうらマラソン」32km地点でリタイアしたあと「二度とリタイアはしない」と決心したのですが、とうとう2回目のリタイア。正直情けない結果でした。

リタイア宣言し、エスケイプルートを下り、バスに乗って荷物を預けた場所まで帰る途中では正直再挑戦についての気持ちはわきませんでした。
ただ、時間がたつにつれて、今回のレースに臨む過程でたくさんの収穫があったのは事実で、これら経験したことを5時間3分で終わらせていいのか?という気持ちにもなりました。

そこで、今回のレースをしっかり振り返り、次回に結び付けたいと考え、再度 振り返って整理しておきたいと思います。



【最大のリタイア原因は何だったのか?】
なぜ、リタイアしようと思ったのか?
何が、リタイアを決意させたのかか?

リタイアを意識しはじめたのは、醍醐丸をなんとか通りすぎて、生藤山の上り坂のときだったように思います。それまでは、なんとか頑張れました。特に、最初の急登の今熊神社の坂道は、経験者のKegさんに指導いただいたことはとても役立ち、かなりいい感覚で登りきれました。
今熊神社まで48分。途中、渋滞が2回ほどありましたが、それでもこのLAPで登りきれたのは、自分でも驚きでした。
かなり調子よかったのです。
なんとか入山峠でひどい渋滞に巻き込まれたくなく、必死で登ったのかもしれません。
結果、入山峠到着は1時間18分。これは早い。そして多少の渋滞はあったものの23分には階段を上りきれました。
あとは、ここからは多少ゆっくりでもいい、と思い走り続けました。
第一区間の一番ハードな「峰見どおり」は、のぼり返しが繰り返すけっこう疲れるコースなのですが、意外にもなんとか通りすぎました。
10km地点を経過し、まもなく市道山分岐にかかる手前の開けたところでは、雲海のように雲か霧が眼下にただよっており、すばらしい景色でした。(しかし、そんな景色に浸っている余裕はなかった)

市道山分岐も過ぎ、まもなくやってくる「醍醐丸」の2回の急登。さすがきつかったけど、なんとか登れた。まわりのランナーも腰に手を当てて登っている人がいて、自分も腰の痛みが出ないように手を当てて登りました。
でも、やはり徐々に腰は重くなってきていました。

実は、3週間前に腰痛になって回復はしたものの、不安は一杯だったので、腰には腹巻をしておいたのです。それはそれでよかったとは思いますが、早めに暗くなったらいけないと思い、おなかのあたりに補助のライトを付けておきました。
これが、何度も胃を外からたたく感じがして、けっこうきつくなりました。
そこで、この補助ライトははずしてポケットに入れて走ったのですが、おなかの中は不快感でいっぱい。
途中、試走で経験したように、30分おきにジェルは補給したいました。
固形物のパワーバーも少しかじってみたのですが、胃の不快感は増す一方。
吐き気も増し、特に、下りで走るとたまらない感じになりました。
ジェルを補給したあとも、ゲップが何度も出るし、水を飲んでも楽にならないし、走りながら、歩きながらどうしたものか?と悩んでいました。

ウルトラマラソンのときも同じような状態になることはあったのです。その時は、胃薬を飲むと徐々にスッキリしてきて楽になるのです。
しかし、今回は、胃薬を飲むと逆に胃の上やわきあたりがキュウっと痛くなりました。
これには正直困った。

といのも、実は2日前から睡眠がほとんど取れていなかったし、腰の痛みなども想定し、万一痛みが発生したら、痛み止めを飲む予定で持ってはいたのです。ただ、胃が痛いときに飲めばとんでもない状況になることもわかっていますから、うかつに飲めない。さらに、睡眠不足のまま3日目に突入し夜間走で眠らなくてもいいように、眠気覚ましなどのカフェインも持っていました。これも、服用してしのぐ計画だったのです。

しかし、胃が痛くてはどうしようもない。

そのうちに、ジェルさえものどを通らなくなった。
スクイズボトルに入れておいたお茶が唯一の飲み物になってしまいました。
MUSASHIのリプレニッシュを薄めていれたリザーバも飲みたくなくなった。

そういう状態で生藤山を登ったときには、かすかに「リタイアかな?」と弱気になっていました。
そして、このあたりから薄暗くなってきたので、ライトをつけて進みました。ほとんど早歩き状態です。

途中、ふと富士山が雲海からあたまを出してみることができました。
これも、ゆっくり見れたらよかったけれど、そんな余裕は一切なく、近くにいたランナーが「きれいですね」と言って応えることが精一杯でした。

ライトをつけて動きだしてから、ここからが急激にモチベーションが下がりだしたのは事実です。

真っ暗い中をライトだけで突き進むことは、恐怖心をもたらしました。
恐怖心というよりも、この先どうなるのか?胃はもつのか?腰はもつのか?眠らずにすむか?

これらのことが闇の中でどんどん自分に問いかけ出したのです。
軍刀利神社に着いたときは、少し呆然としてしまった。

ここから第一CPの浅間峠までは実はたいした距離もないのです。試走では比較的楽に行けるコース。
そして、見覚えのある目印。これがでてきたら、もうすぐ第一CPだ。よし、リタイアできる。

そう思い込んでいたように思います。
もうすでにここで負けていました。

腰は確かに痛かった。多分、続行しても第2CPまでいけるかわからないほど痛みがありました。
しかし、行けばなんとかなったかもしれない。それはわからない。
胃の不快感は、歩けば少し楽になりました。立ち止まればますます楽になる。しかし、どれだけ持つか、エネルギーを補給できない状態でどこまでもつか不安になりました。
そして、最悪な睡眠不足は、結局は意識を朦朧とさせ、何度か足がふらつき踏み外すことが起きてしまいました。さらに、睡眠不足だと心拍が異様に高い。ずっと150を越えている。通常は140レベルなのに。
そんなこんなで、第1CPについたら、リタイアしたい と思うようになっていたのです。

しかし、
第1CPの浅間峠に近づくと、声が聞こえけっこう元気が出てきました。

チェックポイントのカーペットを越えた瞬間、よしいける!とも思ったのです。

しかし、その後、立ち止まってしまった。
まわりにはランナーがたくさん。そして、みな食糧補給をしている。トイレもあるので行こうかと思ったけどどこかわからない。そうしているうちに、係員がいて、そこに自然と「リタイアします」と言ってしまった自分がいた。

いや、まだいける ともその瞬間思って取り消そうかと思ったのですが、そこに見かけたランナーがいました。
実は、ずっと自分の前を走っていたランナーがいたのですが、そのザックから滝のような汗が流れていると思ってみてたのですが、リザーバにアナがあいたようで水が切れたためにリタイアを宣言したらしいのです。
耐久レースは自分で命を守らねばなりません。
水をランナーからもらうことも禁止です。
そのランナーはここで終えました。
なぜか、自分も、それは仕方ないんだ と自分に言い聞かせるように終わりました。

もし、浅間峠でそのまま走りすぎていたら、もう少しいけたような気もします。
でも、やっぱりこれが自分の弱さだったのだと思います。

5時間3分。

実は渋滞が何度もあったわけで、もしかすると試走した中でもいちばん好調に進めたのかもしれません。特に、今熊神社、峰見どおり、醍醐丸などはスムーズに走れたのかもしれないのです。多分、渋滞を差し引けば4時間30分近くでいけたということになります。

反対にいうと、突っ込みすぎたのかもしれない。
もう少し、余裕を持って進めば、胃の不快感も抑えられ継続可能だったような気もします。

結局、最大の原因は、「リタイアしよう」と決めた自分の心の弱さ意外に何も無いように思います。
弱かったんですね。自分は。


エスケイプルートを下っているときに、あのリザーバがパンクしてリタイアしたランナーとその友人も降りてきました。友人はパンクしたランナーがかわいそうで・・・と言っていました。多分、まだ彼は走れたでしょう。

8人ほどいっしょに山を降りたのですが、その中にはあのUTMBに参加し完走した人もいました。

そんな人たちでもハセツネは厳しかったのです。

バスの中では無言。
会場に到着し、とどかなかったゴールを眺め悔しさで涙も出ず、体育館に向かいました。
体育館では数名リタイアした選手たちが、黙々と帰り仕度をしていました。
自分も、一通り着替え、整理して体育館を出ました。

駐車してある車まで向かい、荷物などを積み込み帰宅することにしました。

本当は仲間のゴールを見ようとも思ったのですが、それまで待つ体力も気力もなく胃が不快で何も食べられず・・・。

8時半ころには出たのでしょう。ナビは10時過ぎに自宅に着くと予想していました。
帰りの高速は空いていてあっという間に帰宅できました。

あのゴールではトップアスリートをはじめ、諦めなかった強い勇者が次々とゴールしていたのでしょう。


長い夏と、短いレースが終わりました。


帰宅し、ようやく3日ぶりに眠れたころ、まだ多くのランナーは諦めずに暗闇の誘いをはねつけ頑張っていました。自分は簡単に負けてしまった。