2011年第六回隠岐の島ウルトラマラソン完走記 その1 「震災から始まっていた!」 | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

2011年第六回隠岐の島ウルトラマラソン完走記 その1 「震災から始まっていた!」

3.11の震災によって、多くの大会も中止せざるをえなくなった。
その影響が、まさかこんなところに、こんな時期に出るとは思われなかった。

4度目の参加となる「隠岐の島ウルトラマラソン」。
最初の大会は、おなかを壊し体調が悪くも12時間ちょっとの大健闘。そして、翌日もダメージもなく島内観光をし、そのまま帰宅して仕事の打ち合わせにでかけたほどだった。
2回目の参加では、妻の応援もあり、また体調はベストの状態。目標としていた12時間を切ることができた。
3回目では、大会直前10日前に風邪を引き体調を崩し、また大会前日の夜に、ワールドカップ、日本イタリア戦があるもしっかり眠ることができ結果、なんとか12時間ちょっとで完走できた。

そして、4回目は、13時間48分、制限時間まであと42分という厳しい展開で終えた。それも、走りきれず後半はほとんど歩いてのゴールだった。
2月の泉州国際で痛めた足首は改善しないままの参加。大会10日前の風邪。2は日前の葉のかぶせがとれ、そして前日は仕事のトラブルの電話に、ほとんど眠れぬ状態での参加。最悪のコンディション。それに加え、当日はお昼頃に快晴。
「絶対、完走させるものか?」というほどの妨害を受けての参加だったが、そういうコンディションの問題以上に、実際は、3月の震災によって大きくリズムが狂ったせいなのかもしれないと思う。

通常であれば、2月の泉州国際で、フルの自己ベスト狙いは終え、「徐々に」ウルトラモードへ切り替えるわけだが、その間、3月の荒川、4月のかすみがうら、そして5月に仙台をいれて調整をしていくのだが、今回はこれらすべてが中止。
結局、4月のあたまに「ハセツネ30」の参加予定メンバー100名くらいで自由に走っただけで、このシーズンが終了したようなリズムになってしまった。

通常だと、ウルトラマラソンを終えて、そのあと夏バテ状態で体重も多少減少して秋を迎えるのだが、今回は、この時点で体重が減りスタミナも低下していたのだ。
生活のリズムが狂ったのだ。
なんとか、完走すべく風邪を早く直す工夫をし、ニンニク注射を3本も打った。
生活のリズムは注射などでは改善しなかった。

でも、それでもなんとかスタート位置に立てたこと。
これをとてもうれしく思ったし、隠岐の島で声を掛け合うランナーが増えてきている事実にも我ながら驚いた。

今年は、高速船を使って島に行くことにした。
羽田から、米子鬼太郎空港にとび、境港まで行き、そこから超高速船レインボーで隠岐の島に渡る。
境港では時間があったので、有名な「水木しげるロード」を散策に。

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普通は、こういうキャラクターをうまく使っている町並みはいくつかあるが、この「水木しげるロード」は思い切って活用しきっている割りきりがすごい。

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18日の境港は雨。

少し雨の量も多いが、これが小ぶり程度になれば、よかったのだが・・・。
超高速船で、隠岐の島、西郷湾に着いたころは完全に雨は上がってしまっていた。


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(つづく)