原子力発電について考える | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

原子力発電について考える

「東京原発」という映画からのいちシーンである。
東京に原発を作ろうという話であるが、都庁で検討する場で専門家が原子力発電について語る場面である。



この映画は、非常にタイムリーだが今、認識をしっかりするためにも観ておくべき映画であると思う。

自分も知らなかったのだが、なんと日本の原子力発電の歴史は、なんと広島に原爆を落とされたあと10年も経っていないときに、スタートした。これは衝撃的な事実だ。

<以下、Wikipediaからの抜粋>
1945年8月、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。しかし1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力研究は解禁されることとなった[1]。
日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[2]。
1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。

このたびの震災で福島第一原発の事故が長引き、日本だけでなく世界的に影響を与えている。
もはや、国レベルの問題ではなく世界的、地球的な規模になっている。

原子力のしくみはある意味非常にシンプルで発電のタービンを回すためのエネルギー燃料として、水力や火力を使っていたが、その燃費効率のよさといったん燃え出すと延々と高熱で燃え続く(臨界)というちからを使っているが、所詮は水蒸気を起こしてタービンを回すので構造的には大きな違いは無いといえる。
しかし、その効率のよい原子力の「制御」が非常に難しく、また、使用済み廃棄物が、石油や石炭とは比べ物にならないほどの危険なものであるということだ。

そんなものを発明してしまった人間は、原子力を何度かの事故や危険をおかしながらコントロールしてきたつもりであったが、しかし自然の力にその制御能力を奪われてしまった。

この結果、相当国内的にも世界的にも原発への拒否反応が今後高まると思われる。

しかし、問題はこの原発と原発の残した廃棄物は延々と人間が管理継続していかないといけないものであるということだ。
要は、渡ってはいけない橋を渡ってしまった。もう後戻りができない事態に今きているということだ。

単純に、国内で原発を廃炉にして廃止することは不可能ではない。ドイツなどは大陸続きであることからフランスから電力を購入することで原発を廃止している。しかし、結局は、世界のどこかに原発がある以上、その脅威におびえ続けなければならない。

日本が原発を廃止することとして、しかしながらお隣の韓国でも台湾でも、中国でも原発はあるわけだし、日本でも廃炉にしたとしても延々と残る廃棄物や核施設の管理をし続けなければならないのだ。

そんな危険で、とほうもないものをスタートさせた当時の「中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二」そして、それを推進した「正力松太郎」の責任は非常に重い。
さらに、そういうことを「政治的無関心」のまま放置してきた私を含めた国民の罪は大きい。

「東京原発」では、都知事が「約1億人の無関心な国民の責任」ということ叫ぶ。

資源の少ない日本において、多分に石油に依存して戦争になったことも反省し、わずかなウランで大きなエネルギーを生み出す原子力へ踏み込んだのだと思う。その結果、戦後の飛躍的な奇跡的な復活があったのだと思う。高度成長時代を築いたのは、実はこの原子力だったのだと思う。
しかし、その結果、今回の震災で初めてこの「悪魔の原子力の怖さ」を知った。
プルサーマルという仕組みは、非常に可能性の高い効率のよい仕組みのようだが、しかし、延々と本来地球上に存在しえないプルトニウムを作り続ける。それを、知っていたのか?
石油火力を使わないということで、クリーンネルギーのように思わされていたが、大量の温水を海に放出していたことを、知っていたのか?
この地球上の石油もこの40~50年で無くなるということと、原子力発電のウランも同じように枯渇することを、知っていたのか?
廃棄物として作り出されるプルトニウムがなかなか減らずさらに海外から輸入され続けるということを、知っていたのか?

全く、無知であること、無関心であることが この国や地球の問題を見えなくしてしまっていたのだ。いや見なかったのだ。

今、地球温暖化の問題以上に、この原子力発電の問題は大きな問題である。

もはや、無関心ではいられない。