市民マラソン大会も二極化か?!
経済やマーケティングの世界では、市場競争原理のもと、優位性を保ち差別化する戦略として、「二極化」という作戦がある。
要は、コストをかけマーケットを絞り込み優位に立とうとするものと、反対にローコストに撤し、幅広くマーケットを広げ多くを受け入れようとするもの。前者はブランドを維持し顧客を選別する差別化戦略。後者は薄利多売でマスで量的拡大を図る戦略であり、この2つの戦略は対局にあるといえる。
て、市民マラ ソンも最初は参加者もそう多くはなかったので、マス的な戦略で普及してきたが、それもとうとう限界にきて、ブランド的な差別的な大会が増えてきた。
その代表格が「東京マラソン」だろう。北海道マラソンや、四万十川などもそれに近いかもしれない。つまり高い参加費でも参加費希望がたくさん確保できる大会である。
そして、今回とうとう、「湘南」も同レベルの大会に昇格したのかもしれない。
参加費一万円という値段でもたくさん参加者を集められる大会ということだ。
この流れは仕方ないのかもしれない。
もう、出たい大会に出られるという時代は終わったのかもしれない。
そうであれば、もはや「市民マラソン」という表現はできないと思う。
全く、面倒なブーム到来である。
要は、コストをかけマーケットを絞り込み優位に立とうとするものと、反対にローコストに撤し、幅広くマーケットを広げ多くを受け入れようとするもの。前者はブランドを維持し顧客を選別する差別化戦略。後者は薄利多売でマスで量的拡大を図る戦略であり、この2つの戦略は対局にあるといえる。
て、市民マラ ソンも最初は参加者もそう多くはなかったので、マス的な戦略で普及してきたが、それもとうとう限界にきて、ブランド的な差別的な大会が増えてきた。
その代表格が「東京マラソン」だろう。北海道マラソンや、四万十川などもそれに近いかもしれない。つまり高い参加費でも参加費希望がたくさん確保できる大会である。
そして、今回とうとう、「湘南」も同レベルの大会に昇格したのかもしれない。
参加費一万円という値段でもたくさん参加者を集められる大会ということだ。
この流れは仕方ないのかもしれない。
もう、出たい大会に出られるという時代は終わったのかもしれない。
そうであれば、もはや「市民マラソン」という表現はできないと思う。
全く、面倒なブーム到来である。