楽しかった、第10回東京夢舞いマラソン
お天気やコースのユニークさが、マラソンの楽しみを倍増させてくれる・・・そんな大会でした。
「東京夢舞いマラソン」・・・それは、以前、「東京を3万人規模の笑顔で埋め尽くすそんな東京の市民マラソン大会を開催しよう!」という主旨でスタートした手作り感ぎっしりつまった大会でした。
ランナーズに掲載されていたそんな記事を発見し、初めてチャレンジしたフルマラソンで悔しいリタイアを経験した自分は、この大会で42kmという距離を走りきれるか?そんな思いで参加したのが、もう5年前になるのですね。
初めて参加した「夢舞い」は、新宿西口をスタート~ゴールとするものでした。小さな公園にテントが数基貼ってはありましたが、トイレの混雑さえ無いようなまだまだマイナーな大会だったのです。
お天気は昨日の10回大会同様、最高のマラソン日和りで、新宿からスタートし、誘導員の案内にそって、ひとり走っていました。当時から、原宿や、浅草、上野などを抜けて、目白から高田の馬場、神田川のほそい道を走って新宿にもどるという、コースは違っても同じような心温まるものでした。むしろ、今よりも、ボランティアの方も多くて、エイドもしっかりあって、不自由しなかったと思います。
そして、西口公園に近づいたとき、「ああ、これでフルが走れるようになったな」ととても満足した覚えがあります。
(そのあと、帰宅してシャワーしたあとに会社に出向いて、仕事をした覚えもありますが・・・)
その後、雨の中の日比谷公園を発着とするコース。一日中雨ですごかったです。でも、それはそれで、とても充実した大会でした。(実は雨だったのはこの大会くらいで、その後はいつも晴れています!)
そして第7回の大会は、実は「東京マラソン」の開催が決定し、この「夢舞いマラソン」の役割は終了 ということで、これも、ささやかに、新宿西口から、「東京マラソン」のコースを走ろうという主旨で開催されたものです。
この大会は、自分も実は、関西への転勤が決まって、関東のランナー仲間とのしばしお別れランとなりました。
そして、まだまだこのときは、参加者もとても少なく、とても気軽に参加できる大会でした。
「夢舞い」は、1分ごとに数人が走り出す、マシンガンスタート方式なのですが、その集団も少なかったと思います。
そうして、7回でもってこの「夢舞い」はもう開催されないものになるのかな~と思っていたのですが・・・
結局、翌年も開催されることになりました。
それは・・・自分が思うには、きっと、「東京夢舞いマラソン」をつくってきた人たちも、あの「東京マラソン」の規模や素晴らしさは理解できたものの、なんとなく、寂しさや大会の違いを感じてしまったのではないでしょうか?当然、まわりから、また開催してほしい という意見も多かったと思います。
自分は、結局「東京マラソン」には参加できませんでしたし、凄い規模だとは思ったのですが、「ああ、なんとなく、今までがんばってき『夢舞い』の目指すものは、こんなものだったのかな~、違うんだろうな~」と感じていました。
そして、第8回は、神宮外苑の公園からの発着として再スタートしました。
このときは、すでに自分は大阪で仕事をしていましたから、この大会に参加したときは、遠方から来たで賞 という賞をいただきました。また、ちょうど神宮球場で「ヤクルトの古田選手」の引退試合の日で混雑のためにコースが一部変更にもなりました。
もうなくなってしまうのかな?と思われた大会が復活してくれたのはとても嬉しいものでした。
第9回は昨日と同じ四谷中学校を発着とするコースでした。(なんと今回の参加者は1500人ですって!)
実は一番最初も四谷だったみたいですね。
昨年は東京の西側を一周して、四谷にもどり、また東側に後半一周するというこれもとても面白い企画でした。
途中、前半の一周で疲れてダウンする人もいて・・・やっぱり、一度スタート地点にもどるともう一度走りだすのはおっくうですから、ある意味、誘惑のコースですね。(笑)
今回は、『四谷中学校―戸山公園―早稲田大学―神楽坂―浅草橋―吾妻橋―東京スカイツリー―亀戸―門前仲町―月島―勝どき―新橋―愛宕―東京タワーー東京ミッドタウンー青山-絵画館前―四谷中学校』という、けっこう大きな円を描くコースでした。
早稲田や、神楽坂、浅草橋などは、けっこうなじみがありましたが、東京スカイツリーの工事現場も、月島~勝どきから新橋の道もけっこう景色が楽しめる飽きの来ないコースでしたね。本当に楽しかった。
さて、来年の「東京マラソン」の抽選結果もそろそろ送られてくるころですが、オリンピックに落選してしまった以上、石原都知事もこの大会にどういう思いを持っているのでしょうか?きっと、オリンピックに向けて開催されたイベントであったことは間違いありません。そのために、いろんな関係者も巻き込まれたと思います。
たった数百人の大会からスタートした「東京夢舞いマラソン」は、もう10年も続いています。主催者も参加者もボランティアもその主旨を大事に、ルールを守って育ててきた大会だからこそ続いたのではないでしょうか?
「東京夢舞いマラソン」は、タイトルはマラソンとなっていますが、42kmの東京の街の歩道を信号機や歩道橋をつかって道路規制をまもって走るものです。
歩道の幅によっては、自ら一列に自分たちで修正して、順序を守って走ります。当然、追い抜きも場合によっては遠慮したり、混雑によっては歩くこともあります。
そのために、普通の走り放しのフルの大会より疲れるし、集中力が切れるし、練習にもならないと思う人もいるかもしれません。
でも、自分はけっこう、この大会を大事に思っています。
このタイミングで開催するので、シーズンインの練習としては最適です。
東京の街はアップダウンも多いので、練習になると思います。
そして、大会会場は新宿や四谷が多いので、たいてい最後はのぼりが多いのですがそれまでにしっかり自分の体調を管理して最後まで走りきれるようにしておくことがとても練習になると感じました。
昨日は、ここ何週間の中でも最高のお天気でした。
汗は、どんどん乾いていくし、日差しは強いものの、日陰は涼しくとてもしのぎやすく走りやすかったと思います。
たぶん、この大会が予定される毎年、自分はどんなかたちでも参加するのではないか?と思っています。
自分が初めてフルの距離を走った大事な大会ですので、いつまでも続くことを祈っています。
今年も、ありがとうございました。
「第10回 東京夢舞いマラソン」
最後に、増田明美さんがかいた記事を掲載しておこうと思う。
「
いよいよである。数万人規模の「東京マラソン」が2007年2月に開催される。今までは海外の大都市マラソンのように日本でも行えればいいなぁという声が多かったが、交通規制の関係や既存の大会との調整などの問題があり、あと10年はかかるだろうと言われてきた。それが石原都知事が大英断したことで動きが一気に加速した。
東京マラソンを開催する上で、運営側や市民ランナー、そして沿道で応援する側の精神は、「東京夢舞いマラソン」が先駆けていたように思う。大島幸夫理事長の下、何度もシンポジウムを重ね、海外の状況を紹介して日本との違いについて認識した。また「夢舞い」という言葉には、障害者を含めてだれもが参加できる「ユニバーサル」なマラソンを、都市の「目抜き通り」を使って「祭り」気分で「粋に」走ろう、という願いが込められていて、賛同したランナーたちは歩道を信号待ちしながらも42.195kmを走ったのだ。まさに市民が立ち上げたマラソン大会の精神がそこにはある。
以前、夢舞いマラソンのシンポジウムに参加した時に、朝日新聞事業部の方が東京国際マラソン(女子も)で「エリートランナーしか走れないのは警察での交通規制の問題ではなく、市民から反対があるから。東京の道を長い時間マラソンに使わせることに反対意見があるのです」と話すのを聞いて、私はしみじみと、日本にはスポーツを通して自分たちが心豊かになろうとする文化が根付いていないなぁと感じさせられた。
その頃と比べると今は、東京マラソンへの理解も高まってきており、2007年の大会を心待ちにしている人も多いだろう。今度は信号や車を気にすることなく長い制限時間の下、一人一人が自分のゴールを目指し、ゴールの喜びを噛み締めることができる。
そして、生来日本人はたいへんなマラソン好きである。去年の11月、高橋尚子さんが東京国際女子マラソンを走った時、私は第一移動車から追っていたが、まるで東京の街が42.195kmの劇場のようだった。大きな交差点では黒山の人だかりで、沿道の人の多さは海外の大会でも観たことがないほどだった。東京マラソンが動き始めたら浸透するのは速いだろう。
心配する面もある。試験的に行われた2003年東京国際女子マラソンでは制限時間を緩くして、市民ランナーが数千人走ったことがあった。その日は暑く、誰もが給水を必要としたが、後ろの市民ランナーが給水所にたどり着いた時には水はなく、完走率が低い結果となり運営上の課題が残った。給水、給食以外にも、トイレの問題(特にスタート地点)や、医療体制、ボランティアの確保などなど、これから考えなければいけないことも多いと思う。
以前、私がホノルルマラソンを走った時、30kmを過ぎてから、沿道で小学生が1kmおきくらいに冷却スプレーを足にかけてくれた。こんなに小さな子供がランナーの体の疲れ具合を理解してくれているのかと思い嬉しかった。また、35km過ぎたところで沿道から「スマイル!」という声援を受けて、感激して涙がこぼれたこともあった。走る人や、ボランティアの人、沿道で応援する人がそれぞれに自分の役割を持ち、楽しんで参加している姿の何て爽やかだったことだろう。また私の友人の医師はホノルルマラソンに参加し、足の故障で途中棄権をした。でも彼女は「おかげで救護システムの素晴らしさに触れていい経験をした」と喜んだ。というのも止まってしまってから5分程度で救護スタッフが来て、走るコースと違う道を通ってゴール付近の公園へ搬送。その迅速な対応に感銘を受けていた。
海外の大都市マラソンはボストンをはじめ、ニューヨークもロンドンもベルリンもパリも歴史がある。そういう大会から学ぶべきことは多いと思う。以前、有森裕子さんがニューヨークマラソンのことについて話した時、「ランナーがスタート前や走りながら脱いだものはすべて寄付されるんですよ」と教えてくれた。また今まで私が体験したマラソンの中で特に面白かったのは、2003年のロンドンマラソン。スタート地点ではまだ恋人同士だった一組のカップルがゴールでは夫婦になっていた。コースの途中の役場で届出を済ませ、教会で式を挙げゴールした。こんな粋なことも長い制限時間のおかげでできること。
もうひとつステキだと思ったのは、2001年に高橋尚子さんが世界記録で優勝したベルリンマラソン。沿道からバラの花を一本差し出した少女が、昨年も同じ場所で野口みずきさんにバラを差し出していた。彼女は毎年この日を待ち遠しく思っているのだろう。
石原都知事はオリンピックを2016年に再び東京へ誘致する計画を発表した。2007年からスタートするこの東京マラソンで日本の元気を世界中にアピールすることができれば早道だと思う。
またこのイベントを通して、スポーツがもたらす豊かさを、それぞれの立場で参加した人々が感じ取れれば、“幸せ”の空気が明日へ広がっていくと思う。
」