ブームから文化へ
東京マラソンが開催されて以来、いまや「マラソン」は、特に、都市部において「ブーム」になっている。
このことは、誰も否定できない状況だと思う。
そういえば、100km24時間マラソンなんてものは、10年も前から、日テレの24時間テレビのメイン企画として放送されてきたし、マラソンというよりも、EKIDENを世界に知らしめた箱根駅伝も昔から開催されていたのに、でも、今のようなブームには至らなかった。
その根底には、東京オリンピック後、ふつふつと続いた日本長距離界の厳しい歴史があったのだと思う。
自分は、そのライブを見たわけではないが、「円谷幸吉」の死は、日本長距離界の暗い歴史の一こまであったように思う。
しかし、「有森裕子」らの女子ランナーが世界に華々しく躍り出てから状況は一変したと思う。
さらに、「高橋尚子」の金メダルで完全に日本のスポーツの中でも、期待の大きさを伴ってポピュラーなスポーツに成長したと思う。
「箱根駅伝」にしろ、いつの間にか、完全にお正月のキラーコンテンツとなり、母校を応援することではなく、いつの間にか大学のネームバリューや学生を集めるためのイベントにもなりつつあるように思う。
いや、それらを否定しているわけではない。
人気が出れば、当然、そこに参加したくなる人も増え、そこにビジネスも生まれるのは当然で、それを全く否定する気はない。
特に、いつの時代も、女性がマーケットを大きく牽引するパワーとなっており、東京マラソンの開催が決まってからというもの、大きく女性がこのブームをつくる原動力になったことは素晴らしいことであったと思うのである。
たとえば・・・NHKの大河ドラマであるが、今年の「篤姫」は大ヒットだそうだ。というのも、今までNHKの大河ドラマというのは、けっこう年齢の高い男性を中心にした層がメインの視聴者であった。
だから、「合戦」のシーンの多さや、その巧みな映像で、視聴率が変化していたらしい。(これは、NHKの人が言うのだから間違いない!)
しかし、「篤姫」にあたっては、実はほとんど「合戦」のシーンはない。しかし、巧みなキャスティングと、女性心理をくすぐる微妙な感情をうまく表現し、結果、今までにない大ヒットの大河ドラマになったというのだ。
つまり、女性の視聴者が牽引したのである。
昨今の、「マラソンブーム」も、紛れもなく女性が牽引している。
「東京マラソン」の開催を機に、「お、これは大きなビジネスになる!」と睨んだ事業者が、さまざまなビジネスを展開したわけだ。
今までは、スポーツメーカーや飲料メーカーであったのが、さまざまな業種がこの「マラソン」に関するビジネスを展開しているわけだ。
これは、ある意味素晴らしいことだと思う。
もし、女性をターゲットにしなかったら、たぶん、皇居まわりに、「ランニングのための施設」とか、「シャワーつきのスポーツショップ」は、できなかったと思う。
携帯メーカーも、走行距離を測る携帯をこんなに早く登場させたとは思えない。
ウエアも、とてもカラフルだ。いまやファッション雑誌に、ランニングウエア特集が組まれる時代だ。
とにかく、女性が「マラソンブーム」の火付け役となり、また、牽引役になったことはいうまでもないだろう。
さて、しかしながら、「ブーム」はあくまでも「ブーム」でしかない。
熱が醒めると、全くなくなってしまうかもしれない。
そして、純粋に、そのことに執着していた本当の愛好家だけが生き残るのである。
もし、「マラソン」が完全に生活の中に定着したときに、それは「ブーム」ではなく「文化」として、引き継がれるのだと思う。
「マラソン」が、「ブーム」で終わるのか?「文化」として定着するのか?
この1,2年が示してくれると思う。
皇居の周りでは、多くの人が走っている。
その結果、今まで皇居を練習の舞台としていた人も、新しく加わった仲間達とどう向き合っていっしょに走っていくか、試される時期に来ているように思う。いや、歩行者や観光客も含めて。
一方、東京オリンピックのときに、つくられた駒沢公園では、ジョギングのコースをアスファルトに示して、自転車や歩行者と接触しないよう配慮している。
それも、ひとつの配慮であろう。
しかし、皇居は、そうはいっても日本の国民の象徴の場でもあり、そこに、ジョギングのコースを示すようなものがあっても良いのかどうか?
私にはわからない。
もうひとつ。
マラソンは、やっぱり一人でやるものだ。
いや、当然、協力者は必要だろう。
また、大勢でおしゃべりをしながら走るのも楽しい。それを全く否定しない。
でも、やっぱり一人で走ってこそ、本当に走る意味がわかるのではないだろうか?
最近、初めてレースに参加したころの自分を思いだす。
レース会場で、どうしてよいかわからず、いろいろまわりを良く見てそしてドキドキしながら参加して、そして自分は一人で走っていた。
今は走る仲間ができたので、いっしょに走ることもあるが、もはやそれぞれ自分の実力も明確になっており、自分で自分のペースを守って走るようになっている。
ウルトラマラソンを完走したときにわかったことだが、一人で走ることの、寂しさや苦しさ、不安などに加えイ、一人で走りきったことの喜びは、とんでもないものであった。
多少話しはそれたのだが・・・どうか、マラソンを「文化」になるように、ひたむきに自分も走っていきたいと思っている。