スポーツは文化になりうるのか?
第三回東京マラソンの抽選結果が、そろそろ発表されると思われる。
先月末の申込みの締め切後、わがランナーズ仲間でも、いろいろ意見が飛び交っていた。
このところの、ランニング・・・いや、マラソン、いやJogging・・・まあ、ようは走るというブームが急拡大しているようで、確かに、ちょっと前から、そのブームの先駆者的であった自分にとって、悪い気はしないですよ(はい)。
特に、東京マラソンの功罪ってあると思うのですが、確かに、「東京の町を閉鎖して走るって、いいなあ。走りたいなあ・・・じゃあ、とりあえずエントリーしちゃおう!」というのも悪くないですよ。
例えば、自分の住む横浜で、そういう機会があったらそりゃ嬉しいですよ。
また、京都などでも同じように、本当はフルマラソンくらいやりたいでしょうが、さすが交通規制の問題でハーフどまりになっている現状、それはとっても難しい問題ですよね。
だから、東京のど真ん中でフルマラソンをやる!
ということがあって、その究極の目的は戦略的に、「オリンピックを開催するんだ!」ということ・・・まあ、否定はしません。
でもね・・・、「本当に走りたい人」が走れるような企画になっているのですか?というのが、ポイントではないかとずっと感じているのです。
いやいや、今の抽選方式が、「走りたい人を走れるようになっていない」(実際は抽選なので、そういうことになりますが)と、前面否定するつもりは毛頭ありません。
でも、東京マラソン開催の目的は、いったい何なの?
今の都知事の考えでは、どうみても、「オリンピック誘致のため」としか思えないんだな~これが。
だって、走りたい人を走らせる大会であれば、先着順申込みで問題ないですよね。だって、これだけのブームになっていても、ほとんどの大会はそれで十分稼動しているじゃあないですか?
大都市で、そして本格的なマラソン大会を開催 ということであれば、少なくとも、制限時間を厳しめにしても、何か問題になるのだろうか?とも思うのです。
もし、制限時間4時間とか4時間30分としたら、仮に抽選としても、20万人を越す人がエントリーするでしょうか?(そりゃ、初心者の参加は難しくなるかもしれませんが、でも、そのためにしっかり準備して実力をつけて走るようになるはずですよね。)ということは、結局、20万人以上のエントリーがあっても、抽選の結果のこり17万人以上の人が、参加できない大会であることは、よくよく考えてみれば、完走率が3割も切るような大会なのですよ。
ってことは、初めから、それだけ走れないことを見越して人集めをしたような、非常に「無礼な」企画だと感じずにはいられないんですよね。
いや、いや、少なくとも、NYCM(ニューヨーク)のように、エントリー時点である程度のエントリーフィーを払ってでも抽選というのであれば、その条件がわかっているから仕方ないでしょう。(自分もすでに一回寄付しましたし)
でも、エントリーフィーなしで、とりあえず申し込みの数が大きくて、だから、東京でオリンピックやったらええよね!っていう理屈は全くもって納得できないし、これが「日本のスポーツ文化」に発展するとは到底思えないんですよね。
ましてや、東京マラソンの中継は、在京民放キー局で持ち回り、毎年スポンサー収入を得るがために、自局のアナウンサーなどを走らせて感心を高めるなんちゅう姑息な手段をとっていること自体が、自分は全く好かん!
たぶん、こういう物の書き方や言い方をすると非難される方もいるでしょうが、でも、結果、毎日コツコツ走って、自分の目標を1秒でも超えるために走ってきたランナーにとって、マラソンというものがやたら、いろいろいじくりまわされてしまっているようで、なんとなくスッキリしないんですよね。
そこに文化に至る道はあるのかな?って思うのです。
せめて、
本当にせめて、
本当に、オリンピック誘致など関係なく、純粋に、「東京で走ることが好きな人が楽しく参加する大会を開催しよう!」ということで、NYCMのような事前エントリーフィーの仕組みとか、制限時間の件とか、抽選の仕方とかを工夫していたら、きっと、東京で真のマラソン文化が培われたのではないかなあ と思うのです。
同じ時期に、今までコツコツと複数の区民が中心になって運営してきた「東京荒川市民マラソン」。
そういう事実が、本当の、スポーツ文化になるのではないかな・・・と最近思うのです。
いまだ、「東京マラソン」にて、「荒川」のような、名物シャーベットは登場してませんものね・・・