マラソンは自分に何をもたらしたのか? | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

マラソンは自分に何をもたらしたのか?

今日は横浜から大阪まで朝イチで出社しそして仕事の山を片付けるという、いやはやとんでもない一日であったわけだ。

そして、こういうときにかぎって、ヘビーなクレイムも頻発するのはなぜなのだろう。


そういうわけで、夕方、クレイム対応に出かけたのだが、結局解決せず。


世の中というのは面白いものである。

こういうときに、以前クレイムでお詫びに行ったことのあるお客様のことを思い出すのである。そして、実際に今回のクレイムの現場にも近いのである。

だから、クレイム処理のあとに、よってみることにした。


なぜか不思議なのだが、けっこうとんでもないクレイムだったのに、こうして何度もやり取りするといつの間にか親戚のように馴染むのである。いや、これはもしかすると大阪特有の、大阪独特の人間関係なのかもしれない。


ハードなクレイムのあと、以前とってもハードだったクレイムの先に行く。

そうすると、信じられないほど、喜んで迎え入れてくれるのだ。顔をくしゃくしゃにして喜んでくれるのだ。


調子にのって、100kmウルトラマラソンの話をしたら、おおいに喜んでくれて、写真をくれという。

お客さんは大きな手術もして体調が完全ではないので、自分の写真を見て、励みにしたいという。

なんといことだ。



マラソンを始めて、結局、自分はいろんな人と出会えた。

いつの間にか、いっしょに走る仲間との喜びを見つけた。

しかし、今だに、チームベジー!の面々と本名で呼び合ったことがないのだ。

それでも同じ経験をし、同じ苦労をし、同じ感動を味わうものだから、同じ気持ちになっていると思い込んでしまい、気兼ねなく話しができるのだ。


マラソンを始めて、「限界」というものの「はかなさ」を知った。

「記録は破られるためにある!」というのはよく聞いたものだが、確かに、マラソンを始めると自己ベストをどんどん塗り替える、そういう楽しさがある。そりゃ、自分にとってフルマラソンを2時間半で走れといわれても、それは限界を超えている。でも、もしかするとできない話でもないかもしれない。(無理無理)

「限界」というものは、自分でしかわからないものだ。

それを、走ることで学ぶのだ。


たった3kmも走れなかった自分が、いまや100kmだ。

信じられるか?


話はそれたが、そういう自分を 以前、クレイムのお客は、自分の健康の励みにしたいという。

なんてこった。


そんなことってあるか?


やっぱり、100kmを走り続けたということは、信じられないほどに凄いことなのかもしれない。

人を幸せにする100kmなのだ。


マラソンは、自分に、信じられないほどの自信をもたらしたのではないだろうか?