隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 その5 | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 その5

48km地点のレストステーションでは、結局10分くらいしかロスタイムをとらなかった。

今回、全過程を通じて言えることは、休憩については本当に少なかったということだ。

レストステーションでは座って補給食を食べる人がほとんどであったが、自分は78km地点のエイド以外では実は座ることはなかった。

それだけ実際にスタミナでは十分保てていたのだと思う。


その対策として、3日くらい前からの米飯類の摂取を心がけたことに加え、当日のウエアについても相当考えた。

前半は、朝方の寒さと脚の疲れを極力抑えるために、トップはNikeのタンクトップ、そしてボトムは膝をしっかりサポートするCWXの七分丈を着たが、後半は、夕方の上半身の冷えを予測し、Adidasの速乾性Tシャツに、ボトムは脚の動きをよくするために、CWXのハーフ丈に穿き替えた。

そして、日よけ付きの帽子を装着して走った。


これらの作戦は結果的に非常に良かった。特に脚の疲れは十分ホールドでき、フルマラソンでも後半に水で冷やすことも多いのに、今回は必要なかった。反対に、頭は暑さが厳しかったので、後半は給水ポイントで氷水をかけてもらうことが多かった。

そしてさらによかった点は、帽子の日よけは、ちょうど首のあたりに頭から流れる水を乾燥させてくれて、常に心地よく走れたのだ。日よけからしたたる冷たい水がとても気分をラクにしてくれたのだ。


そういった作戦はまさにうまくいったわけである。


しかし、お腹のほうは、相変わらずぐずっていた。

50kmもあっという間に過ぎ、51kmを過ぎたところで農道を右折するところだった。

その角に地元の応援やスタッフがいた。

お腹が痛い。困った。どうしよう、次のトイレまでもつかな?でも、次のトイレってどこかわからないし、それに、農道を走っているってことは、しばらく隠れる場所もないし、いざとなったら相当危険だな!

と思って、角を曲がって5mほど走って、意を決した。


「すみません、この付近にトイレがありませんか?」


そうすると係員の人は、実はすぐ裏が自宅だったらしく、どうぞ・・・と案内された。

「よかった・・・」

これも危機一髪だった。

しかし、これではすぐに終わらなかった。

いちおう水洗トイレのようなので、水を流そうと思ったら、流れない。(汗)

やば~い。

もう一度水を・・・流れない。それより水がたまってくる。

やばい(汗)。●●●も流れず浮かんでいる。紙も。


一般の方のトイレを借りておいて、そのまま流さずに去るわけにはいかない。

悩んだ結果、トイレを洗うブラシでつついてみたら流れた・・・(ほっ)


でも完全に綺麗に流れたわけではなかった。

でも、時間がない。本当にごめんなさい。


申し訳ないことだったが、御礼を言ってまた走りだした。

本当に、ここでお詫びしてもお許しいただけないかと思いますが、51km過ぎでトイレを借りたのは私です。

たぶん、あの場所で借りる人はいなかったと思うので、私が犯人です。

ちゃんと流しきったかわかりません。で、トイレを汚してしまったことは本当に本当に申し訳ないと思っています。

これは、今回、本当に反省すべき大きな出来事でした。


一般の方にトイレをお借りし、なんとかレースに復活できた。(後味は非常に悪かったのだが)


その後、しばらくは農道を走ることになった。しばらく平坦で眺めのよいコースが続いた。

はるか右の方面では、これからレストステーションにはいっていくランナーの姿が見えた。
その中で、前夜祭で話をした磐梯のウルトラも走っている人の姿と思われるものを発見した。
「そうか、けっこう自分は早めに走っているのかもしれない。ずいぶん遅いのだと思ったけれど」


また、実はこのレストステーションを過ぎると、50kmのレースともゴールすることになる。
でも、50kmのランナーらしい姿が今ひとつ見えない。もう、ずいぶん先に行ってしまったのだろう・・・と自分は思っていた。

たぶん、100kmが5時スタートだから、50kmは10時スタートだろう と勝手に思い込んでいたのだ。

なかなか、50kmのランナーに会うことはなかった。だから自分は相当遅いペースであると認識していた。しかし、まったく違っていた。

あとで分かったのだが、50kmは11時30分のスタートなので、しばらくしてからようやく自分を追い越していくタイミングのスタートであったのだ。


しばらく、眺めのよい農道を走る。ほぼ直角に左に右に折れて、しばらくすると、給水所が見えてきた。
また・・・トイレに行きたくなったのだ。
そこで、給水所で「すみません、トイレはありますか?」と聞くと、
「ああ、もう少しでトイレがあるよ。この先だよ。そうだなあ、1km程度かな」と。


でも・・・昔から言うじゃないか?
「もう少し」という表現は、あまりにも曖昧であるということ。「すぐ近くにある」はずのトイレは、なかなか現れなかったのだ。それも、坂道。

のぼっても、のぼっても、なかなかトイレの表示が見えない。
そして、ようやくどこかの公園のトイレのようなものを発見。またまた、飛び込んだ。

しかし・・・なんだって、あれだけもよおしていたにも関わらず「出ない」のだ。
いや、ちょっとは「出た」のだが、しっかり「出ん」のだ。
またまたロスタイムだよ。仕方なく、さっさと身支度をして、また薬を一包飲んで再スタートした。

しかし、コースに戻ろうとすると、やたら速いランナーが駆け上って言った。

まだこの時は気付いていなかったのだが、これが、50kmの先頭集団だったようだ。

コースにもどるといくぶん人が増えているように思った。


今回は100kmでも200名以下の参加なので、曲がりくねった山道に入ると前後にランナーが見えず、一人旅状態になることが多かった。とっても不安だった。

しかし、50kmのランナーが加わることで、少し賑わいも出て、また、自分も多少元気も出た。(が、実際には50kmのランナーに抜かれても仕方ないなあ と思っているだけであったが)


しばらくすると、60kmを通過。そして、長いトンネルに入った。
トンネルを走っているうちに、意識がなんとなく遠のいていく。
はるか先にある丸い明かり(出口)が、ぼやぁっとしていて、タイムトンネルのような、不思議な感覚に襲われる。
といって気持ちが悪くなるのではなく、変な浮遊感さえ感じて、「ああ、このまま、どうにかなっちゃうのかな?」とまで思ってしまった。
途中、バイクに乗ったボランティアが暗いトンネルの中をバイクのライトで照らしてくれていた。
そういうことまで、やっちゃうのが隠岐の島なのだ。


そしてまた67km付近で、トイレの私設を発見。今度は、そう緊急性もなかったが、いちおうトイレによってすっきりして走ることにした。

海岸線を抜けると、このあたりから、また坂道。
とはいっても、30km以降にあった標高250mほどではない。150m程度の高さだ。

先を見ると、4,5人のランナーが歩きだしていた。
それを見て自分も坂を登るときは歩くことにした。

というのも、先を走っている人たちの中で走っている人も実際にはいたのだが、歩いているのとそうスピードは変わらないのだ。
走ることより、早歩きをすることで、少しでもスタミナを温存し、後半に備えるべきではないか?と考えたのだ。

そうすると、同じように大阪弁で、「この坂たまらんわな~」というおじさんが。
「あいつ、よう走りよるな」と先を走る人を指していう。
しかし、このおじさん、上り坂が終わり下りだすと えらく早く駆け下りていく。
自分もあっという間に抜かれ、ずっとのぼりも走っていたランナーも抜かれる。
ほぼ4分~5分台で走っている感じだった。

自分もまだまだ30km以上もある時点でスタミナを消耗するのを極力避けるべきという判断で、スピードを落としてのぼりは歩くことにしたのだ。

このあたりからしばらくガマンの歩きと走りとなった。

もう、おなかも落ち着きだした。

あとは、スタミナが切れないように、脱水状態にならないように、しっかり補給食と水を摂取することが大切であった。


(つづく)