名古屋国際女子マラソンと高橋尚子選手の話
この表題の件を書くべきかどうか・・・。
ランナーの仲間の多くが、名古屋国際女子マラソンの前後にこれについてコメントを書いていた。
市民ランナーにとっては、高橋尚子という選手も憧れの存在であり、あのキャラクターもとても惹かれるものであるのは間違いない。
それに、一度素晴らしい成功を納めた選手が、そのあとも苦労をしてそして復活する姿を、自分もいつかはやれるんだ という自信をもつために、映していたのかもしれない。
私自身、高橋尚子選手には、名古屋で優勝し、そして、北京に行ってもらいたかった。
これは真実である。
でも、そうは思っていても実際にそうなるだろうか、という不安も半分以上あった。
市民ランナーは、大部分が競技選手として目標を目指しているのではなく、あくまでも自分自身が少しでも進歩したいという欲求や、達成感を目指している。
高橋尚子選手が、「諦めなければ、夢は叶う」ということを、市民ランナーも同じ思いで走っている。
だから共感を感じる。
高橋尚子の今回のレースを振り返って、「もう限界だ」とか「引退だ」とか「もう見ていられない」など、色んな意見が出た。それはそれで、自分も同じように感じた部分もある。しかし、それ以上に、高橋尚子の目指しているもの というのは、ちょっと違うのかもしれないと思った。
もはやキロ4分程度のペースで走らざるを得なくなり、そして途中トイレまでいっても走りとおしたのは、なぜなんだろう。
脚に痛みがあれば途中棄権をしたかもしれないが、そうでなかったので走ったと、高橋尚子選手は語った。
なぜなんだろう。
走りながら、泣いていなかったのだろうか?
走りながら、どんな思いを描いていたのだろう。
世界のNo.1になった、高橋尚子選手に対して、「引退だ」とか、「もう限界だ」とか・・・そんか切り捨てるようなことばで、批評はしたくない。いや、できないと自分は思った。
世界のNo.1になった選手が、2時間40分の走りをどんな思いで走ったのか?
ゴールして、サングラスを外して、どうして笑顔で語ったのか?
高橋尚子選手に対して、全くそんなに同じように走れない自分ではあるが、でも、同じ42kmを走るものとして、思う存分走ってほしい。どんな大会に出るのだって勝手だと思う。それを、マスコミが勝手にいろいろ期待も脚色もしているだけで、本人はとにかく走っていい結果を出して、なんとかもう一度走りたいというだけなのだから。
いつか、きっと、あのシドニーの笑顔が復活することを願っています。
同じく42kmを走るものとして・・・。