記録更新とは?
RUNNETは、参加した大会の記録をずうっと保存しておいてくれるので非常にありがたい。
そして、その記録を振り返ると、初めてマラソンを始めたのが、2003年の横浜マラソンであった。
この日のことは今でも覚えているのだが、今まで、スポーツジムで走っていて、少し近所を走りだしたころで、思いきって、RUNNETでエントリーして10kmの大会に参加してみたのだが・・・。
とても緊張していたのだと思う。
朝、起きたら、酷い頭痛。これは、緊張型頭痛の典型のようだったのだと、今になって思う。
あまりにも頭が痛いので、頭痛薬を飲み、そして参加したのだ。
たった、10kmであったが、おもちを食べた記憶がある。
妻が、応援に来てくれていた。
そして、ハーフが走り終えたあと、10kmのレースが始まる。
どきどきしながら順番を待って、たぶん、50分くらいの予想タイムと思い、そのブロックに並んだと思う。
そして、走りだした。
まだ、しっかりとしたランニングシューズもグッズもないなか、普通の運動着で参加した大会であった。
走りだしてしばらくして、スタートの時はわいわいガヤガヤしていた声がすっかりなくなり、息の音と、シューズがアスファルトを叩く音。
その音の世界に完全に魅了されてしまった。
なんだか、本当に生きている鼓動を感じたのだ。
そして、頭痛も全く忘れひたすら前を向いて走るだけだった。
本当にタイヘンな思いで、10kmを終え、ゴールについたとき、目標の50分を切り、記録は49分42秒。
そこで、ドリンクをもらって、一気に飲み干したのを覚えている。
ここから、自分のマラソンが始まった。
その後、年があけて、谷川真理ハーフとか、東京ベイ浦安ハーフとか、いくつかハーフ程度の大会に参加した。
そして、もう半年になったから大丈夫だろう と思い、いきなり、フルマラソンに参加。
それが「霞ヶ浦マラソン」であった。
さすが、ハーフしか走らずにフルを走る勇気はなく、いちど、30kを走った記憶はある。
脚の痛みはその時点でとんでもない状況。
なんとか、帰ってこれたが、本当にフルが走れるか不安ではあった。
そして、霞ヶ浦に参加する。
しかし、やっぱり、走った距離は裏切らない=走らないと正直 なのだ。
結局32km地点で完全に、走ることへの執着心を失うほどの脚の痛みと、モチベーションのダウンが重なり、結局、32km地点で、リタイアを決意する。
その時の心境は、このまま走ることを続けたら、マラソンを嫌いになりそう。というものであった。
しかし、結局、そんなことはいいわけで、実力がなかったのだ。
それから、その秋に、「東京夢舞いマラソン」に参加し、とりあえずフルの距離を完走する。
(しかし、当然、レースではないので、記録はない)
そして、つくばが正式にフルの初参加の大会となった。
記録は4時間10秒。(グロス)ネットタイムでは、3時間56分という、意外にいきなりサブフォー達成であった。
その後、年があけて、3月の「荒川」で、またもや記録更新。3時間47分。
なんだか、きっと、すぐにでも3時間30分も切り、きっと、サブスリーもできると自分では買ってに思いこんでいた。
しかし、走らないと正直に、記録は伸びないのだ。
月間150kmは維持しつつも、結局、タイムはなかなか伸びない。
勢いで、ハーフをなんとか1時間34分まではいけたが、その後フルでは、3時間を切れれば上手く走れたほうで、3時間50分のあたりをうろちょろしていた。
そのうち、自分は、きっと、3時間40分を切ることも、ましてや3時間30分なんて無理だろうな・・・と内心、思っていたのだ。
だから、結局、それ以来あまりいい結果はなかった。
記録更新といってもたった1分程度の話であった。
しかし、
今年の館山から、しっかり変化がおきた。
いや、その前の和歌山ハーフや、横浜ハーフでもその兆候はあったのだろう。
ハーフでもコンスタントに100分を切ることはできており、スピードもそこそこついてきたように思った。
(この後、12月の那覇に行く決心をしたものの、風邪で完全にノックアウト。那覇で記録を作ることはできなかった。ただ、走ってものんびり走りたいコースだったので、きっと記録はでなかったろうけれど)
そして、館山では、後半30km以降で、坂道があっても、なんとかそれを走りきることができるようになった。
そして、久々に記録更新。
それも約5分の短縮。
3時間45分をようやく切ることができたのだ。
そして、東京マラソンには完全に嫌われ、失意の泉州マラソンではあったが、そのレースに向け、この一年は走り続けたのではないかと思うほど、今ふりかえるとこの一年のトレーニングが成功しつつあったように思う。
春から夏にかけ、何度も走った「六甲トレイル」では、普段使うことのない筋肉をしっかり使うことができ、基礎体力、特に、さかのぼりの筋肉が備わったように思う。また、下りも、スピードをある程度出しても、ブレーキをかけず走れる脚さばきを覚えることができた。
そして、年末から2月上旬にかけての、トレーニング。
これも、思い切って、時間的に余裕がある、夜に走ることにしたおかげで、大の大人とはいえ、さすが夜の大阪城公園は人気もなく、寂しく怖い。だから、早く帰宅したくて、たった10km程度でも、必死に走るようになった。
つまり、自然とペース走になっていたので。
毎回、11kmを走り、約52、3分程度で走っていたが、実際は11kmより多少距離もあるので、たぶん、ここで、4分50秒前後で走るようになったのだと思う。
また、泉州に向け、これらトレーニングを計画的に行い、2週間前の日曜日に30k。そして、そこから徐々に距離を減らし、4日前にハーフの距離を走り、のこり3日間は走らずに、ストレッチに専念した。
そして、日曜日のレースに向け、エネルギーを爆発させようと、溜め込んでいたのだ。
走らない3日間は、アルコールは完全にやめた。
食べ物も、昼食と夕食はごはんやパスタにシフトし意識してご飯を食べた。
こういったいくつかの工夫が、結局レースを上手く運ぶことになったのだと思う。
泉州で、なんとか記録更新もしたかったが、実際目標にしていたのは、3時間40分を1秒でも切ろう!ということ。
だから、マラソンシミュレータでは、3時間40分のペース配分をして、Nikeの時計に記録をしてペースを確認できるようにした。
ほぼ、前半は4分44秒~49秒。後半は5分20秒程度でいければ3時間40分はいける計算であった。
しかし、実際に走ってみて、Nikeの時計は、ペースを示すシグナルがなることはほとんどなかった(つまり、自分のほうが速く走りきれていた)のだ。
そして結局3時間40分を切ることは全く問題なく、あと1分少々で、3時間30分を切るまでにペースを維持することができていたのだ。
本当に、今年のトレーニングは上手くいったとしかいいようがない。
一旦、諦めていた3時間30分台が、まずは見えたところで、・・・なんで、あと1分が切れなかったか、今になると本当に悔しいなあ・・・。
まだ、もう少しでも記録は伸びるだろうか?
いいえ、サブスリーなんて贅沢は申しません。どうか、3時間20分。200分をきりたいものです。
(人間、勢いがつくと、怖いものだねえ~)