運動会 | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

運動会

秋になれば、いたるところで運動会や、球技大会などのスポーツ大会が開かれる。

学校という教育施設では、たいてい、学年の成長の違いを考慮して、学年別にいろいろ催し物が行われるわけだが・・・しかし、娘の学校は、一般社会における弱肉強食を徹底的に体感させるためなのか(目的はわからないものの)、中学校1年から高校3年までの6歳の年の差を、ある意味全く考慮せず、学年別で対抗して競うわけだ。


小学校などは、低学年、高学年などと分けて実施していたが、しかし、この学校は全くそういう意識を考慮せず、徹底的に「強いものが勝つ」理論で競わせるわけだ。


たいてい、中学生になりたての中学1年生の学年は苦戦する。いやそれだけでなく、先輩の圧倒的なパワーに驚き、それを跳ね返す余裕もなく最初の運動会を終える。

しかし、中学2年生からは、学年など関係なく同じ土俵で競うわけだ。


ところが、そうはいっても「年季」というか「経験」の差は大きくでる。

当然、高校生軍が強いわけだが、そんなことはおかまいなしだ。

実にわかりやすく、さわやかな、ルールである。


実際、高校3年生は受験間近ゆえ、運動不足で決してコンディションはよくない。

したがって 例年、高校3年生は決して優勝などはありえず、それが当然と思われてきたようである。


しかし、だ。

娘の学年はどういうわけか、中学2年生のときからこの運動会への執着心が強く、当時から上位を確保し、なんと体力や体型の差を跳ね返し、中学3年生のときから高校2年生まで、連続3連勝をしているわけだ。

これは脅威的であり、父兄も盛り上がってしまったようで、今年は学年のカラーをまとって応援に来るべしという文書が流れたのだ。

そして、朝から、最高学年の父兄が父兄観覧席を大幅に陣取り、そして応援をした。

その結果、

なんと、今までありえない、高校3年生が、「優勝」を勝ち得た。

当然、単純にスピードを競うリレーなどは上位に食い込むのはなかなか大変だった。

しかし、パワー系や、テクニカル的なものや、「経験」を生かすべきものは、軒並みトップクラスを確保。

娘が参加した、「むかでリレー」も経験がモノをいうわけで、TOPを確保。

さらに、「応援合戦」も素晴らしく、これもTOP確保。

結果、リレーではなかなか上位に食い込めずとも最終合計ではしっかり優勝を確保したのだ。



アメリカなどでは、こういった、デスクでの授業だけでなく、スポーツや子供の行動を評価し、そして、そいうい特性を生かそうとする。


この学校がそういう意識があるかどうかは別として、大学受験を目前にする高校3年生が、スポーツでも団体行動でもすばらしい活躍をしたのは、まさに「新時代」を築き始めたものではないか と思う。


この楽しい運動会(運動会って楽しかったものだというのはこの学校で始めて理解した)も、もはや来年は,身にこれないのだが、しかし、これから社会人になっていく彼らにとって、6歳以上もの差を体感しつつ戦っていくわけである。

こういうルールも当然のことかもしれない。


もはや、体力や学力を区分して競わせること自体が、時代遅れかもしれない。


伸びる子はどんどん伸びていくべきだし、遅れてしまったとしても、それも個性かもしれない。



ムリやりではないが、

結局、マラソンをやりだして感じたことはコレなのだ。


年令にも性別にも関係ない。


結局は、自分とどう戦うかだ。


世の中はそういうものなのだし、また、自分との戦いを考えれば、競うだけが勝負でも人生でもないはずだ。



そういうことをあらためて感じさせてくれた、すがすがしい運動会の一日だった。


学校の運動会、たかが運動会、されど運動会。