東京夢舞いマラソン の 楽しさとは・・・。
10月7日(日) 快晴の日、東京夢舞いマラソンが、「代打 オレ!」という古田選手兼監督の最後の試合が開催された、神宮球場のとなりのグランドで開催された。
自分としては、今回で4回目の「東京夢舞いマラソン」。
初めてフルの距離を完走した大会でもあり、そして、何よりも東京の街を走る楽しさを体感し、さらに、ボランティアのありがたさ、さらに、東京でのマラソン大会に参加することを夢見た自分にとってはとても大切な大会だ。
初めて参加した4年前は、新宿西口の公園をスタート・ゴールとするコース。この日も今年同様に快晴の一日であった。
2回目は、日比谷公園をスタート・ゴールとするコース。この年は朝からけっこうキツイ雨。用意された更衣室のテントにも雨が入り込みとんでもない状況であったのを思い出す。
3回目は、初めてベジー!のメンバーと走った昨年。そしてこのときは、新宿からお台場までのワンウエイのコース。つまり、開催が決定した「東京マラソン」のコースを走った。そして、「夢舞い」の目的は達成されたとして、これでもはや「夢舞い」は開催されないものと 思っていた。
しかし、今年、また開催されたのだ。
そして、参加して、その楽しさがさらに増幅された。
「夢舞い」は、その目的から、「東京という大都会でもマラソン大会を開催させてください!」という願いが込められていた。だから、タイムを競うものではなく、交通規制もなされない。給水ポイントも決して十分ではない。
しかし、今までは参加する人たちがみな同じTシャツを着てその目的を街をゆく人々にアピールするという趣向のものであった。
今年は、Tシャツの用意はなかった。
しかし、リストバンドが配られた。
スタートはやはり例年同様1分おきのスタート。
同じグループでいっしょに走りだすのだ。ベジー!も、23分後にスタートした。
スタートするたびに、会場のMCがインタビューをしていた。
遠く、ハワイから参加した人もいた。
スタートすると、すぐ横断歩道の信号にひっかかる。信号をしっかり守って、そして歩行者にも車にも迷惑をかけずに走っていくのが、この「夢舞い」の唯一のルールだ。
何度も参加しているランナーはすでにそれを承知しているので、歩行者が多いと自然と歩き出して、迷惑をかけないようにするのだ。
横断歩道がないところでは、歩道橋も歩く。
今回は、千駄ヶ谷から出て、原宿~六本木と抜けていった。
朝の原宿はまだ歩行者も好くなく、表参道の並木道を気持ちよく走った。
4年前の大会のときは、ここ原宿でも水のペットボトルを配布してくれていた。
今回は、給水はほぼ自分で準備し自己責任となっている。
原宿を抜けると、有名なブランドショップが並ぶ町並み。
ここでケータイで写真を撮っているランナーも多かった。
六本木から大門と、いっしょにスタートした、じれさんとけいさんと一緒にはしった。FLACさんには申し訳けなかったけれど、離れてしまった。
途中、TVドラマの「山田太郎物語」の舞台となった場所も確認できた。
大門を抜け、有楽町を抜けると銀座。
そこでは日曜日の買い物客が多いところ。
ランナーはみな歩く事になった。
築地につけばまた走りだした。
じれさんにとっては、このリズムが辛かったのだとは思うが、自分にとっては、疲れをうまく抜く事ができてよかったと思っていた。しかし、意外になかなか20kmを過ぎないものだ。
隅田川に出れば、Periさんが私設エイドを予定してくれることになっていた。
3人はそれを目指し走る。じれさんが咲きに行き、けいさんと自分はそれを追うカタチになった。
そして、ようやく、Periさんが待つエイドへ。
ドリンクも水も、梅も用意してくれて、Periさんは天使のようだった(ちょっと言いすぎ?)。
ここからは、じれさんをさきに行かせることにした。
どうしても走力は違う。けいさんと自分はどんどん先をゆくじれさんに心で「がんばれよ!」と声かけ後を追った。
ここからは本当に我慢のランとなった。
どんどん隅田川を北上するコース。
そして、日暮里や駒込方面に出て、また東京の中心地に戻るのだが、このコースはけっこうきつかった。
距離感もあまりわからず、やたら長いコースに思えた。
途中、けいさんが先に行って遅れてしまったが、しばらくすると、信号待ちでまたけいさんにも追いつくことができた。
途中、何度も自販機で水分補給をしたように思う。
一度トイレも行った。
しかし、だんだん走るちからが失せてきていたと思う。
でも、走り通したかった。暑さがきつかった。そして、しばらくして、30kmの唯一のエイドステーション。
ここでは、バナナや水をサービスしてくれた。
当然、通常のレースではないから公園内に用意してくれているので、ゆっくり立ち止まり、バナナを一本分たべ、また、水を頂戴し、ゴミをちゃんと分別して捨てて走りだした。
小石川植物園を抜け、もうすぐか?と思ったのだが、ここからが最大の難所であった。
坂が多い。それでも皇居を抜け、赤坂付近を抜け、そして最大の難所の坂道にはいった。
長い。けいさんもとうとう歩き出した。
自分も歩き出した。とても坂道を走ってのぼる元気はなかった。
坂をのぼるとようやく、迎賓館。ここからはあと3,4km程度だろう。
しかし、途中、けいさんよりも自分は先を歩いていたがけいさんに追いつかれ、のこりは歩くことにした。
けいさんが、「歩きましょう」と行ってくれたから、自分もほっとしてなんとなく許せる気なしてしまったのだ。
あと2km以下になってもケイさんと自販機で水分を補給しながらおしゃべりをしつつ歩いた。
ようやく、神宮方面に向かい、そして最後の横断歩道をわたって、最後のラン。せめて最後は走ってゴールしよう!と。
そして、けいさんといっしょにゴールした。
その時、ゴールではちゃんとゴールテープを張って待っていてくれた。
じれさんも駆けつけてくれた。
この時自分でも感じたが、きっと最高の笑顔だったとおもう。
なんだか、とても楽しかったのだ。
今までのレースのゴールとは異なる楽しさだったのだ。
それから、3人で缶ビールをあけた。
格別だ。
その後自分は先に帰宅したが、それから多分焼く1時間近くかかってFLACさんもゴールしたと思う。
この「夢舞い」に参加したランナーはみんな同じ思いをしたと思うが、普通のレースとは違う喜びなのだ。
楽しいのだ。愉快なのだ。疲れもあるが、それでも達成感というのではない何か笑顔が自然に出る大会だった。
FLACさんは、やっぱり自分は「夢舞い派」と言っていたが、自分もそうだ。
本当に走る楽しさをこの大会は教えてくれる。
大都会東京で3満員規模の大会を開こう!というのがこの夢舞いの目的だったが、すでに「東京マラソン」が開催されることになった今も、その本当の意義が受け継がれている。
「東京マラソン」では抽選に参加した5分の4もの人々をがっかりさせたのだが、この「夢舞いマラソン」では、参加するランナーもボランティアの人たちも、街の人たちも、「がっかり」させないのだ。
きっと来年もこの大会は開かれるであろう。
最初の目的が失われた今も、それでもこの大会が開かれる意義は、きっと、この大会に参加した、かかわったすべての人しかわからないであろうが、でも、誰ひとりがっかりさせない そういう大会であることをぜひ大事にしてまた開催されることを、毎年夢みて待っていたいと思う。
「東京マラソン」に対して、「東京夢舞いマラソン」。目的は異なっても走る楽しさだけは、失ってほしくないと思う。
最後に、「夢舞い」を主催しサポートしてくれたすべての皆様に深い感謝を述べたいと思います。
ありがとうございました。とても暖かいこの大会を心より大切にしたいと私も思っています。
私も「夢舞い派」です。