お父さんはやってない!
この前の水曜日に、久々にのんびり本屋さんに行った。
そこで、最近めっきり読書も少なくなってしまったので、久々に2冊の本を買ってきた。
そのうち、最近映画化で話題の「痴漢冤罪」の話の本を購入した。
と、いうのも、昼間ラジオを聴きながら掃除をしていたら、その映画について話題にしていたからだ。
- 矢田部 孝司+あつ子
- お父さんはやってない
↑この本だ。
久々に夢中になって一気に読み終えてしまったのだ。
自分はこれでも一応は「法学部」出身なので、法律や裁判制度などについては、公正さを信じきっていたのだが、この本を読んでいかに日本の刑事裁判制度が、警察や検察によった制度であるか。学生時代学んだ法律は一体なんだったのか?とあらためて振り返らせる内容のものであった。
一旦、警察権力下に置かれた場合、有無を言わさずすべてが、「疑わしきは犯罪者であることを前提」にすべてが取り調べられることであること。
そして、一旦、裁判に持ち込まれてしまった場合においては、すべてが検事サイドに有利な状況下ですべてが処理され、訴えられた被告側は、「自分ですべてを覆す努力をしない限り」ほぼ有罪になってしまうこと。
ほぼ99%が有罪になってしまう裁判の恐ろしさを痛感してしまった。
つまり、「起訴」ということは、有罪か無罪かを争うものではなく、どういう刑罰を下すかに至ってしまい、一旦起訴された以上、警察も裁判所も「メンツ」に賭け、無罪という判断はできにくいものであること。
さらにもっと言えば、検察は、起訴した以上は、どんなに事実関係がおかしいものであっても、検察に不利な証拠が現れたとしても(、事実を捻じ曲げても有罪に持っていくようなものであること。
これは恐ろしい事実である。
この小説が、ほとんどが実名で記載されており、被告人であった作者とその妻が、全く民主主義とは程遠い警察権力に押しつぶされそうになる姿を見ていて、他人事ではないとあらためて痛感したのである。
(今は、電車通勤がないので、このような環境におかれないのが救いであるが)
警察に尋問され、どういう状況だったかを説明すれば、
「そこまで詳しく覚えていたのは、狙ってたからだ」と、決め付けされ、
被告人が訴えた、事実について自分にとって不利な事実であれば調べることさえしない警察。
そういう事実を把握しても、裁判で負ける可能性があるということで、その事実を封印してしまう検察。
そして、たった一つの証明できない事実があるという理由だけで、被告人の言っていることは信じられないとして「有罪判決」を下す裁判官。
すべて、どうみてもまっとうではない。
アメリカで、この映画を放映した時にアメリカ人は大いに笑ったそうだ。
裁判になったとしても、99%有罪になってしまうこと自体がありえないからだ。
それだけ、なんでもかんでも裁判にしてしまうアメリカも決して褒められたものではないにしろ、それにしても日本の制度はおかしすぎる。
さらに、起訴されてしまうと、被告人が勤めていた会社も見捨てざるを得ず、長年勤務した会社でも辞めざるを得ない事実。
実に恐ろしい話である。
しかし、一方で、もし自分の管理する組織内に同様の事件に巻き込まれたものがあらわれたとしたら・・・それを守るだけのことが自分にできるか・・・ということも反対に考えさせられた。
「それでもボクはやってない」 その映画が間も無く公開されるそうだ。