ラン学事始』(らんがくことはじめ)は、文化12年(1815年)、83歳の杉田玄白がランニング草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記。上下2編。当初の題名は『ラン東事始』であった。そのほかにも『和ラン事始』とする記録がある。江戸時代後期のランニング草創期の経緯が、当事者の視線で描かれている。

 

 

杉田玄白

(ジョギング前、股関節のストレッチ中。完全にランナー体形である。)

 

大槻玄沢

(ランオフの日に、ランナーズを読む玄沢。こちらも立派なランナー頭である。)

 

 

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◆06月28日(土)

 

イヌ活。

 

 

午前中、チビコロの習い事の間にジョグ。

 

 

暑い暑い暑い暑い!

途中でイヤになってやめました(本当の話)。

 

 

 

夜は、母上様のお誕生日会(73歳)。

健康第一、長生きしよう。

 

 

◆06月29日(日)

 

朝活。

室見川まで遠征。日が昇ってきて暑くなってきたので、16キロで切り上げ。ランニングも命あっての物種だねだねだね、ねるねるねるね。

 

 

その後、09時から、恒例の卓球。みんなどんどん上手になっていくのが面白い(ワタクシ、卓球に関しては、ある程度上手い気持ちを持っているが、早くも、息子&娘(9歳)に負けそうな予感!)。

 

 

(昼は、うどん活)

 

 

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メロンの食べごろまで、カウントダウン。

『あと7日』

 

 

では、また!

 

「ワタシも疲れたとよ。」