川越走友会には居場所が無くなり~退会する事になった。
嫌な思いもしたが、もちろん良かった事も有り~その事を書いておきたい。
ランニング再開後~最初に入ったクラブ。
快く受け入れてくれて 入会も歓迎してくれた。
走る仲間と出会えて、社会人になってからでも学生の部活みたいな集まりが有る事は新鮮だった。
出会いの中には現在でも交流が続く走友も居る。
特に 初めてフルマラソンに参加した時に 一緒に行った3人と親しくなれたのは本当に良かった。
そのうちの1人は『マサシ』
母校(高校)の10学年下の後輩で、ギリギリ同じ先生の指導を受けていた。
出会った頃は近隣でも名が知れた精鋭で、自分が(クラブ入会後)初めて参加した駅伝の時 アンカーで区間賞の活躍だった。
ただ 現在はね……。
だいぶ体重が増えてしまって、過去の面影は無い。
バカな奴なのだが~本当にカワイイ後輩。
自分の 約20歳くらい年上なのかな。
『ノリ』さん とも走友になれて良かった。
親父と同郷(秋田県横手市)なのも嬉しかった。
ランニングへの取り組みが真剣で、尊敬してる先輩で有り~今でも お手本にしている。
川越走友会の練習会場が「東洋大学 川越キャンパス」なのも良かった。
箱根駅伝で初優勝した時は盛り上がったし本当に嬉しかった。
(優勝する前から例年、忘年会・新年会には監督・コーチを招待していた。都合が あえば出席してくれて貴重な話しを聞ける機会だった)
駅伝部の朝練に何回か参加させてもらったのも良い思い出。
(初優勝後に監督就任した酒井俊幸サンの後輩(箱根駅伝出場経験有り)が走友会員だった関係。誰も彼も参加出来た訳じゃ無いと思う)
※朝6時からキロ4分で20Km走 と
200Mの流し数本 (当時)
ランニング再開後、当初は競技思考と言うよりは 第1スポーツ(バドミントン)の体力作りだったけど~クラブに入って仲間と競い合うようになったと思う。
50歳になった現在も競技として続けているが、最初の入口だったかもしれない。
川越走友会の今を少し。
若い人を優先して~Aチームで走ってた子達は1人だけ残り あとは退会している。
その1人も競技としては続けていない。
だいぶ体重も増えたようだ。
新入会員も無さそう……。
あの頃は自分も若かったんだろう。
走力じゃなく年齢で選んだ事を 頭にきていた。
でも今なら少しは分かる。
入会してくれた若い子達(学生時代精鋭)に気持ち良くAチームで走ってもらいたかったのかな。
(会に長く留まって欲しかったんでしょう)
川越市で1番歴史の有るランニングクラブ。
栄えているからこそ倒し甲斐が有るので~このまま寂しく終わらないで欲しい。
今宵は ここまでに致しとう ござりまする。
記念に配られたペン。