クラブの方針で「駅伝には若い人を優先」と言う事になり


「ふじさん には『中年の星』になって頑張って欲しい」と言われた。



チーム編成は年齢関係なく走力で選んで欲しかったが、「中年の星」の方は その通り~頑張ろう と思った。




年齢は自分以上(当時33歳)の人達に声かけして、練習会を行う事にした。

中年組(駅伝Bチーム)を強くして~Aチームを負かしたい気持ちも有った。




日曜の早朝に「日高市高麗神社」に集合して月に1回「峠走」

毎回 7~8人は集まっていたと記憶している。




この練習会を良く思わない人達が居た。

「なんで会を割るような事をするんだ!」 と。


自分が声かけして行う「峠走」とクラブの練習時間(日曜の午前中)が同じ時間帯だったから……。



会を割ってやる、なんて思って無かった。
中年組(Bチーム)が強くなったら~面白い、と思っただけ。

※若い子達も学生時代は かなりの精鋭だったが、20代後半で走力は落ちていた。だからチャンスは有ると思っていた。







「ふじさん の練習会には参加するな」 と お触れ も出たので~「峠走」に参加する人は1人減り2人減り……。










だったら~クラブの(中年の)練習会じゃなく、誰でも(他のクラブでも)参加出来る練習会にしよう!


と始めたのが、現在の

『日曜早朝練習会』である。





「日早会」はドコのクラブに所属していても、1人で走ってる人でも(ある程度の走力有れば)誰でも参加出来る。


この「日早会」から
『とおりゃんせ』が生まれ~市民駅伝に参加して





川越走友会に先着する事になる。








クラブの駅伝では活躍の場(Aチームでの)は無く、中年組を強くする練習会も反対され、クラブに対抗するチームまで作っては~もう居場所は無かった。








今宵は ここまでに致しとう ござりまする。






配達ランの帰り『森』コースでの1枚。