ランニングを再開して大会にも参加するようになった。
けど、第1スポーツは バドミントン。
地元のランニングクラブと一緒に参加した マラソン大会で 1日行動共にして~新たな交流を持てた。
勧誘されたが~なかなか足が向かず
顔を出したのは数ヵ月後だった。
その日、何で練習会場へ行く気になったのかは覚えていない。
勧誘されたとは言え~それから数ヵ月 経っていたので、自分の事を覚えているか?
と、少し緊張したのは 覚えている。
練習会場に着くなり挨拶する前に
「あの時の君か~!」と歓迎してもらえた。
地元のランニングクラブは
『川越走友会』
その時点で 30年の歴史あるクラブだった。
練習会場は
東洋大学 川越キャンパス。
タータンの400Mトラック、校内を回る約2Kmのロードコース。
それと 1Km弱?かな、クロスカントリーコース。
土日に一般開放していて、地元の中学高校も練習に来ていた。
(現在は開放していない)
タータントラックで練習出来るのは嬉しかった。
(学生の時は ずっと土だった)
ロードコースは校舎を縫うように走るので良いコースでは無かったが、クロカンコースは新鮮だった。
何しろ競技としてランニングに取り組んでる人達(中には年配の人などは健康ラン)と一緒に走れるのは楽しかった。
(初心者マラソン教室の生徒は、競技として走ってる人は居なかったから)
最初の何回かは お試し期間で、のちに入会する事になった。
この頃から 第1スポーツがランニングになったような気がする。
平日は仕事終わりに走り込み、日曜は走友会に参加した。
妻の実家が東洋大から近いのも良かった。
(大学の隣の小中学校が妻の母校)
妻の実家に妻子を連れて行き~自分は走って練習会へ。
義父母には孫を見せる事が出来て、妻は実家でユックリ出来て、自分は練習会に参加できる。
全員が満足だったと思う。
入会後~数ヵ月で駅伝大会が有り
その年はAチームのメンバーが揃わず、自分がAチームで走る事になった。
全区間中 2番目に距離が短く(1番短い区間は1区だが登りでキツイ)そのチームで1番遅い人が走る区間(下り基調)を任された。
理由は何であれ、そのクラブのAチームで走れるのは嬉しかった。
自分個人の結果は あまり 覚えていない。
チームは アンカーが区間賞の走りで、確か6位入賞したと記憶している。
この頃から『フルマラソン』と言う言葉が耳に入って来るようになる。
自分としては、フルマラソン=無理(長い)って感じだったが、周りには挑戦してる仲間が何人も居た。
走友会の仲間が「つくばマラソン」に参加すると言う。
よし、1度挑戦してみるか!
2007年11月『フルマラソンに初挑戦』する事になる。
今宵は ここまでに致しとう ござりまする。
川越走友会30周年 記念Tシャツ。