中学高校と6年間は陸上部で長距離走に取り組み、その後~競技から離れ30歳の時に 初心者マラソン教室に入会してランニングを再開。



大した練習もせず 3ヵ月後にマラソン大会に参加して

「ちゃんと練習に取り組んだら~」

と思い 現在に至る。




だが、再開後 最初の大会に出た時点では

第1スポーツは まだバドミントンで

ランニングは「バドミントンの為のトレーニングの一環」と言う感じだった。



でも 走る楽しさや大会で競い合う気持ち が甦ってきてたので

バドミントンの練習に行く時
(主に地元の小中学校体育館の夜間開放)

走って行くように なっていた。





走る時は いつも1人。

地元にランニングクラブが有るなんて思って無かったし、社会人になってまで~部活みたいに集まって走ってる人なんて居ない、とも思ってた。




学生の時の仲間も誰1人 走っていなかった。






そんな ある時、初心者マラソン教室の講師から連絡が有って


「市民駅伝に参加するのにメンバーが欠けてしまった。都合良かったら走ってもらえませんか」

との事。

※講師のチームは、市役所の同好会
 「陸友会」


へぇ 中学生の頃に出てた あの市民駅伝 まだ続いてたんだ~
(会場は変わっていた。自分の頃は競技場 無かったし)


懐かしい気持ちになり~是非参加したいと返答。



こうやって駅伝大会に参加する事になった。

(走れる人を探していたよう。教室の生徒(初心者だから)の中では自分が1番走れていたから)




この駅伝大会に向けては結構練習 頑張った記憶が有る。

インターバル(みたいな事)やったり~坂道のダッシュやったり。



大会当日は 5区間中の中間区。

距離は覚えている。
(現在でも同じ距離だから)

※競技場内で襷受け渡しのリレー駅伝。
  2~5区、同コース
  1区だけ +トラック1周



2820M を確か10’06” だったと思う。


区間3位の走りで チームも3位。
(超ローカル駅伝)



久々の3位入賞だったようで、みんな喜んでた。


大会後は、部費で御馳走になり お酒も頂き大変楽しい昼食会になった。






この後~また しばらくバドミントンの日々が続く。


相変わらずランニングは単独走だったが、走る機会は増えていたと思う。



そして、また ある時~講師からの連絡が来る。



「陸友会」主催で

『マラソン大会参加バスツアー』が有ると言う。


栃木県鹿沼市で開催される

「さつきマラソン」に参加するのだそう。


面白そうだ、と思い~参加する事にする。


往復のバス代、温泉と昼食、大会参加費、込みで ¥8000 と記憶している。


☆栃木県は母の実家(市貝町)が有り、大変親しみの有る所。
栃木県の大会に参加する時は、実家の屋号『中屋酒店』を所属にしている。
(今は商売していない)



このバスツアーは 毎年「陸友会」と その兄弟会の「川越走友会」との親睦を深める為に開催している企画だった。

参加人数は40人 程で、陸友会10人、走友会30人くらい。


自分は市職員では無いが、駅伝の縁も有り「陸友会」としての参加だった。




行きのバスでは マイクが回ってきて~1人ずつ自己紹介。


バスは会場すぐ裏の駐車場。

大会にも楽しく参加して
(ハーフマラソン。82分台だったかな)


ろまんちっく村へ移動して

温泉で汗流してから昼食。



帰りのバスは カラオケ大会。
(持ち込みの酒など飲みながら)




とても楽しい1日になり

この後 続けて 5~6年参加したと思う。





川越走友会の人達と知り合う機会にもなった。

福岡国際に参加するマラソンランナー
5000Mを15分台で走るスピードランナー


そんな精鋭も居たが、ハーフ82分も そこそこ走れる人と認識され~熱烈に勧誘された。



川越走友会の練習場所は

東洋大学 川越キャンパス(当時)


その頃は 土日一般に開放していた。
(2代目山の神で初優勝後~開放しなくなり(練習観に来る人増えたりして)練習場所を変更する事になる)





勧誘されたものの、第1スポーツは バドミントンのまま。




走友会の練習に顔を出すのは数ヵ月後になる。






続きは次回。







今宵は ここまでに致しとう ござりまする。







話題とは全く関係ないが、不老川からの『橋』コース。