Wikipedia 英語版「動物のコミュニケーションanimal communication」を読みました。

 

コミュニケーションの様式

・視覚  例:イヌの顔の表情

・聴覚  例:トリの鳴き声

・嗅覚  例:アリの集合フェロモン

・接触  例:哺乳類のつがい形成

・振動  例:ハチの振動

・温度  例:ヘビの温度知覚

 

コミュニケーションの機能

・闘争におけるコミュニケーション

・つがい形成の儀式

・なわばり所有

・食物獲得の信号

・警戒信号

・複合コミュニケーション

 

異種間のコミュニケーション

・被食者から捕食者へのコミュニケーションの例

アンテロープは、捕食者の姿が見えるとその場でポーンと飛び上がることがある。これは自分が健康であることを示し、捕食者が自分を追いかけても捕まえることは困難で、かえって捕食者がつまずいてケガをする可能性もあることを伝えている。

 

・捕食者から被食者へのコミュニケーションの例

アンコウは、擬餌状体という誘引突起をゆらす。それをエサだと思って小魚が近づくとアンコウに丸のみにされてしまう。

 

進化

クジャクの尾羽根も野鳥のさえずりも、動物のコミュニケーションの顕著な例である。こうしたコミュニケーション行動は、進化的な説明を必要とする。

・元々は、その行動を行っていなかった動物が、その行動を行うようになった経緯を明らかにすること

・動物がそのコミュニケーション行動を行うようになるに際して、その行動を容易にして、片方が信号を発し他方がそれを受け取ることが適応的であるような淘汰圧を明らかにすること

 

初期のエソロジスト達は、コミュニケーションは種の利益のために樹立されたと考えたが、群淘汰は、有性生殖を行う動物には数学的に起こり得ないと考えられている。コミュニケーションは、相手も同じ行動をすることを期待する利他主義によって樹立されたと考えられる。

 

コミュニケーションは、擬態の場合のように、正直に行われるとは限らない。

 

クジャクの羽根の進化を説明する理論の一つは「ランナウェイ淘汰」である。ランナウェイ淘汰では、2つの特性を必要とする。一つ目の特性は、クジャクのきれいな尾羽根である。もう一つの特性は、メスが精緻な尾羽のあるオスを好むという特性である。いずれも以前から存在していたものである。きれいな尾羽根を持っていたオスはメスに選ばれやすい。ポジティブ・フィードバックによりオスの尾羽根は、より大きくより美しくなる。それは、生存のコストと等しくなる点まで進む。「ランナウェイ淘汰」を説明する2つの理論がある。一つ目は、「良い遺伝子の仮設」である。美しい尾羽根は、オスのクジャクの良い健康状態を正直に表現していると考えられる。二つ目は、「ハンディキャップ理論」である。この理論では、クジャクの尾羽根をハンディキャップであると捉える。立派な尾羽根は目立つので捕食者に狙われやすい。立派な尾羽を維持するだけの体力の余裕があることを表現している。

 

 

 

 

映画「いまを生きる」(1989年)

この映画は自己実現を勧めています。生きているうちに自由に精一杯生きることを勧めています。これは価値あるメッセージです。

 

しかしそれは、若い人たちが夜中に寄宿舎から抜け出して洞穴の中でタバコを吸ったり酒を飲んだりすることではありません。

一度タバコを吸い始めると、やめるのは非常に困難です。私もタバコを試したらやめられなくなり、禁煙しようと思いながら14年間も吸い続けました。

映画の登場人物がタバコを吸うと、その映画を見た若い人がタバコを始めることがよくあります。

http://www.jstc.or.jp/uploads/uploads/files/%20%20MTC.pdf
       「映画の喫煙シーン視聴が子どもの喫煙開始の44%の原因」
https://www.cdc.gov/tobacco/data_statistics/fact_sheets/youth_data/movies/index.htm

       (ディズニー映画の喫煙シーンはゼロです)

タバコ会社は、1950年代より映画の効果に気が付いており、映画界に多額の宣伝費をつぎ込んできました。この状況は2000年以後もあまり変化がありません。映画界はタバコで汚染されています。

先生役のロビン・ウイリアムズには薬物依存症の闘病歴があります。1970年代から1980年代初めにかけてアルコール依存症を患い、2006年にもリハビリセンターに入院しました(Wikipedia 日本語版)。

 

映画の中では、ロビン・ウィリアムズが先生で、若い人たちは生徒です。しかし現実社会では、ロビン・ウィリアムズは大物の映画俳優で、若い人たちは若手の映画俳優です。映画の中では、俳優を目指すことは、自己実現であり、自由に精一杯生きることであったはずです。彼らの理想が実現しているはずです。しかし現実には、必ずしも全てがうまく行っているわけではありません。若い人たちも、演劇でメシを食うのはなかなか大変です。将棋や野球でプロになろうとするのと同じように大変です。そうした楽しいことは趣味にとどめて、多くの人の役に立つような技術を身に着けるのがお勧めです。