次のような文章を書きました。



第11章 協力

「ヒトは、ヒトに対してオオカミか? Homo Homi Lupas?  オオカミは非常に協力的な動物である」(Waal).。

「自分の仲間を裏切るよりは自らの命を犠牲にするような人間は、その高貴な性質を受け継ぐ子孫を全く残さないことがしばしばある」(ダーウィン)


ドーキンス氏によれば、我々の体は、利己的な遺伝子が乗る乗り物であるとのことです。生存能力を持った生命体はすべて、利己的な性質を持たざるを得ません。自分自身の生存と健康・安全に関心を払わなくてはならず、さもなければ多くの子孫を残せないのです(トマセロ)。

しかし、いくら利己的であっても、協力した方がうまくいく場合もあります。未開の人々の狩りは、協力して行われます。助け合う仲間同士のほうが、助け合わない仲間同士より、最終的には多くの利益を得ます(五百部ら)。これに対して「共有地の悲劇」では、人々が飼っている羊の数を利己的に増やすと、共有地の牧草を食べ尽くしてしまい、全体として不利益がもたらされます。分かち合い協力することを学んだ者たちが生き残ります(NHK)。

本質的には利己的な生物が、他の個体と協力するのは、次のような仕組みによって起こります。(1)血縁淘汰です。生物は、自分の遺伝子を広めようとします。自分の血縁の者は、自分と同じ遺伝子を持っています。自分の血縁の者に利益を与えます。血吸いコウモリの血の貸し借りは、通常は血縁関係において行われます(Clutton-Brock)。(2)互恵的行動です。相手の背中がかゆい時に相手の背中をかいてあげると、自分にも同じことをしてもらえるかもしれません。(3)グループ淘汰です。協力するグループは、協力しないグループに勝ちます。グループ内部で、利益を受け取るが与えない者(ただ乗りをする者)に対して、罰が与えられることがあります。

ところで、なぜ人は生物の王者になったのでしょうか。正しい答えは不明ですが、いくつかの説があります。例えば「直立2足歩行」説です。しかし、ペンギンやダチョウも直立2足歩行をします。「道具の使用」説もあります。チンパンジーは枝を使って虫をほじくり出します。石を投げることがあります。「言葉の使用」説についても、イルカやチンパンジーは、ある程度の数の言葉を使うことができます。「農業」説についてはハキリアリ(葉切り蟻)が菌類を育てる例があります。どの説もそれだけでは決定的ではありません。

「協力」説もあります。人は、チンパンジーなどの類人猿よりも、協力する能力に優れています()。ヒトは多くの人と柔軟に協力することができます(Harari)。ヒトは見知らぬヒトにに対しても援助の行動を行います(ドーキンス)。人の協力が、他の生物と異なる点は、1つにはその規模の違いです。狩猟採集社会では、200人から300人、多いところでは2,000人から3,000人ほどの人口の社会においても、血のつながりのない人々と多くの相互作用を行っていました(Richerson)。最近100万年の間に、ヒトは相互に学ぶ能力を発達させ、蓄積する文化の進歩を可能にしました(Boyd)。ヒトでは、道具やものごとのこなし方を誰かが発明すれば、周りがそれを速やかに学習します(トマセロ)。他者と意思疎通し、他者から学び、他者の知覚とのぞみを推し量る能力を調べたテストで、人間の幼児はチンパンジーとオラウータンの双方を打ち負かしました(スティックス)。

私は1番重要なのは「情報の共有」であると考えます。ヒトでは誰かが偶然に発見した事実を、集団の中に伝えて広めることができます。「シカを長い時間追いかけると、シカは暑くて動けなくなる」というのは重要な情報です。他の動物は、DNAの変化によって、行動が変化するのを待たなければなりませんが、ヒトでは情報の伝達だけで行動を変えることができます。

しかし、伝達には手間がかかります。ヒトの母は、子に多く働きかけます。子も、母親に多く働きかけます。その相互作用を通じて子どもは多くを学びます。父親と子どもも同様です。ヒトは、ゴリラやチンパンジーとは違って、一夫一妻制です。父親は、自分の子どもに手間と暇をかけて情報を伝達します。

ヒトは集落の集団や親子関係を通じて情報を子どもの世代に伝えます。狩りを行うのに必要な知識、採集を行うのに必要な知識、その他の生きていくために必要な知識は、集団全体で協力して獲得され保持されます。そして親子関係を通じて下の世代へ伝達されました。知識の蓄積とその活用により、ヒトは生物の王者になることができたと私は考えます。