発達科学
発達の遅れがあるかもしれない子どもを検査する場合に、簡便なテストとして、遠城寺式の質問紙があります。子どもの母親にいくつか質問をして、子どもの発達の遅れの有無を判断します。しかし、遠城寺式テストは、日本だけで行われています。欧米では、同じことを調べるのに、デンバー式テストが使われています。
私が東大保健学科の学生であったころ、上田礼子先生は、このデンバー式テストの標準化を行っておられました。標準化というのは、日本の多くの子どもにこの検査を行って、従来の方法と比較するということです。そうすれば、日本でも使えるようになります。上田先生は、リハビリの上田敏先生の奥様です。
私の同級生も、卒業論文として、上田先生の仕事を手伝っていました。私の同級生は、共同研究者や後継者としてではなく、単なる学生(労働力)と見られているようでした。同級生の期待は、上田先生がどこかにご栄転されるか、昇進されるかして、ポストに空きができることであったろうと想像します。しかし、そのようなことは起こらず、同級生は医学部を再受験しました。
その後、私は医者になって保健所に行って、多くの乳幼児健診をしました。乳幼児健診では、子どもの発達をチェックすることも重要な仕事の一つです。例えば、3歳児健診では、片足で立てるかとか、色が分かるかとか、三語文(パパは会社へ行った)を言えるかなどをチェックします。少しでも遅れの疑いがあれば、主治医または大きい病院(子ども病院など)を受診してもらいます。
私が勤務した保健所では、保健婦さんが、「子どもの遊びの教室」を行っておられました。この教室は、1歳半健診の時にまだ言葉が出ていないが発達は正常と思われる子どもに、月1回2時間ほど保健所で遊んでもらって経過を観察するというものでした。どの子どもも、2歳になるまでには言葉が出ました。そして、発達の遅れは認められませんでした。私も、この遊びの教室を手伝いました。この保健婦さんは、後に神戸大学の教授になられました。
また、子どもの発達に興味を持っておられる保健婦さん数人は、発達に詳しい小児科医と勉強会をしておられました。月に1回、土曜の午後に、病院の会議室で、田中昌人先生の「子どもの発達と診断」の輪読会をしておられました。その小児科医が本の内容を解説して下さいました。私もお願いして、この勉強会に加えて頂きました。
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ところで昔は、子どもはひとりでに大人になると考えられていました。しかし、1900年の前後に、動物に育てられた子どもが発見されました。動物に育てられた子どもは、正常のヒトのようには育ちません。四足で歩き、言葉を話しません。子どもは、ひとりでに大人になるのではありません。
では、子どもはどのようにして大人になるのでしょうか。1930年頃より、研究が始まりました。子どもの健康診断を行うような機会に、母親と子どもの相互作用が観察されました。母親は育児をする際に、子どもに話しかけるなど、密接な働きかけを行っているのです。子どもの発達には、母親が重要な役割を持っていることが分かりました。
また、父親のいない家庭の研究や、母子家庭と父子家庭の比較研究などから、父親も子どもの発達に重要な役割を持つことが分かりました。母親は、子どもの身の周りの世話をするのに対して、父親は、子どもに社会を紹介してその準備をさせます。
(Wikpeia 「父親の役割」参照)
(ラム「子どもの発達における父親の役割」)
(Wikpeia 「父親の役割」参照)
(ラム「子どもの発達における父親の役割」)
発達科学には、面白い話がたくさんあります。
子どもは、大人が言葉を覚えるより、はるかに速いスピードで言葉を覚えます。子どもが言葉を習得するのに合わせて、親が新しい外国語を勉強しようとしても、追いつきません。私は何十年も英語を勉強していますが、英米の3歳児ほどにも話せません。
新生児に生直後に砂糖水を飲ませる施設があります。野生の動物はそんなことをしません。鳥が生まれてすぐに動くものを見てそれを親だと思い込むように、新生児は砂糖水に刷り込まれるかもしれません。新生児を砂糖中毒にさせようとするミルク会社の陰謀conspiracyかもしれません。
パブロフのイヌは、餌を与えられるときにベルの音を聞きます。それを何度も繰り返すうちに、イヌはベルの音を聞いただけで、口の中に唾液が出てくるようになります。この実験結果を基にして、子どもに親への愛着attachmentが生じる理由を説明する人がいます。つまり、子どもは、何度も食事をもらうことにより、その食事の近くにいた親に愛着を示すということです。ハーローという人は、この考えが誤りであることを実験で示しました。
米国政府によれば、父親が子どもの勉強に関与すると、子どもの成績は向上するとのことです。それでオバマ大統領は、父親が子どもにしっかり関与するようにテレビCMで呼び掛けています。
https://www.youtube.com/watch?v=AwaW0vQ_lQw
https://www.youtube.com/watch?v=AwaW0vQ_lQw
ピグマリオン効果というのは、教師がある子どもは優れた子どもだと(誤って)思い込むと、その子どもは、本当に優れた子どもになってゆくということです。例えば、あるクラスで知能テストを行います。その結果を、でたらめに担任に伝えます。そうすると、そのでたらめな結果の中で上位であった子どもの成績が向上します。
ゲゼルという研究者は、双子のうちの片方に階段上りの練習をさせました。もう一人には何もさせませんでした。後日、両者の階段能力に差は無かったことから、ゲゼルは、発達は先天的にプログラムされたものであると結論しました。ただし今では、この双子の実験は否定されています。練習しなかった子どもは、もう一人が練習するところを見て上達したのだそうです。なお、ゲゼルは喜怒哀楽などの感情は、決まった年齢で出現すると述べています。これは現在でも正しいこととして引用されています。
小学1年生の年齢は世界中でほぼ同じです。初等教育は、文化にはあまり関係なく、世界中で同じ年齢からスタートします。幼稚園の頃には、行き当たりばったりで物事を憶えます。少し歩いて何かに突き当たって一つ憶え、また少し歩いて何かに突き当たって一つを憶えるというような仕方です。小学校に上がるころには、「逆」ということが分かるようになります。「大きい」の逆は「小さい」です。こうした、概念の操作ができるようになります。教室の集団に教えるには、そうした概念の操作が必要になります。ピアジェで言えば、前操作段階(2歳~7歳)から、具体的操作段階(7歳~12歳)に移行するということです。世界中で初等教育に関わる人は、このことを経験的に知っており、またこの移行は主に年齢によって起きるので、初等教育が始まる年齢は、世界中で同じなのです。
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このように、人間の発達には、興味深い内容が多くあります。どんどん学ぶべきです。しかし問題は、このような発達の知識が役に立つ職場があるかどうかです。
・医師
・保健師
・幼稚園や小学校の先生
・心理職(仕事が少ない)
・研究者(ポストが少ない。あるとしても医者)
・保健師
・幼稚園や小学校の先生
・心理職(仕事が少ない)
・研究者(ポストが少ない。あるとしても医者)
医師なら、発達の問題に十分に関与できますが、他の職業では困難です。日本では、心理学で開業するのは困難です。開業しても、悩み事相談くらいで、「ポジティブに生きて行きましょう」というような指導をするくらいです。認知行動療法というのは、例えば、「勉強」と「良いイメージ」を結び付けて、勉強嫌いを治すような療法です。心理職では、診断も治療もできないので、発達の問題を専門的に扱うことはできません。私の回りに病院や開業医はありますが、心理の開業者は見当たりません。
発達心理学を学んで研究者として生き残るのは、非常に狭き門です。研究者はすべて選考採用であり、公正な競争試験のようなものはありません。上級公務員試験の「数学」や「物理」の区分では、優秀な成績で合格した人が、東大の助手として採用されることがあるそうですが、「心理」の区分では、研究職は年に1名、あったり無かったりです。公平な競争試験は、大学入試で終わりです。就職の事情は、私の同級生と同じで、ポストが空くのを待つのです。神戸大学の大学院で学んでも、ほとんど研究者にはなっていません。国立成育医療研究センターでは、医師の募集はありますが、心理職の募集は見当たりません。発達心理学は排他的ではないので、医者または法律家が自分で勉強して知っていれば済むことなのです。