真のリスクと主観的なリスクが、大きく異なることがあります。

例えば、事故と病気では、事故のほうが過大に評価されます(Slovic 1987)。日本国内で年間に30万人ががんで亡くなっても、特に報道されませんが、事故で数人が亡くなれば、詳しく報道されます。
 
また、飛行機に乗る場合、高さ(12km)に対する恐怖心はありますが、速さ(時速800km)に対する恐怖心はあまりありません。また、航空機に乗って亡くなる人より、自動車に乗って亡くなる人の方がずっと多いのですが、自動車に乗る怖さは、あまりありません。それは、なぜでしょうか。

ハーバード大学リスク分析センターのDavid Ropeik氏は、次のように述べておられます。「リスクに反応する我々のシステムは、本能と知性が混じったものである」。「問題は、我々のリスク認識システムは、知性や合理性よりも、本能や感情に、より多く頼っていることである。我々の本能や感情は、我々が現在直面する複雑で大きな危険とは、マッチしていない」(2010年)。
https://www.psychologytoday.com/blog/how-risky-is-it-really/201008/the-psychology-risk-perception-are-we-doomed-because-we-get-ris-0
https://www.psychologytoday.com/blog/how-risky-is-it-really/201008/the-psychology-risk-perception-are-we-doomed-because-we-get-risk

危険についての我々の本能や感情を、進化心理学的な要因から説明しようとする考え方がありますす。危険に対する我々の本能や感情は、ヒトが集落を作って狩猟採集生活を行っていた頃に、生存を最適にするように、形成されたとする考えです。

例えば、電力中央研究所の小松氏は次のように述べておられます。「進化心理学では、ヒューリスティックス(直感)を含む、現在の人類が持つ一般的な心理的傾向は、我々の先祖が石器時代の環境に適応した結果得られたものと考えられている」
http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/discussion/download/11033dp.pdf

小松氏によれば、石器時代には、主に次の5つのようなリスクがあったとのことです。
・敵襲(近隣の他部族に襲われること)
・被食(猛獣に襲われること)
・病気(例えば下痢をすること)
・毒 (毒のある食べ物を食べること)
・飢餓(食べ物が不足すること)

こうしたリスクに対応するために、生存の可能性を高めるような本能や感情が、ヒトの中に形成され、それが、集団の中へ広まって行ったと考えられます。それは、複雑な体の仕組みが進化によって発達したのと類似の仕組みで発達したのです。

高い木に登って落ちてケガをすることから、高さに対する恐怖心が形成されました。高い場所をあらかじめ避けるヒトの方が生存確率が高いで生き残ったのです。

しかし、こうした本能や感情は、必ずしも現代生活のリスクには対応していません。新しい現代のリスクに関しては、科学的な事実に基づいて、古い本能や直感を修正する必要があります。

食べ物に対する恐怖心も、先史時代に作られました。しかし、その恐怖心は、現代の食品のリスクには対応していません。我々は、本能や直感に基づいて判断するのではなく、知的に合理的に判断する必要があります。

我々は、全知全能ではないので、専門家の意見に耳を傾ける必要があります。しかし、専門家にも、それなりのバイアスがあります。専門家は、それを商売でやっています。つまり金儲けです。専門家の集団自体が、トラブルの源泉であることもあります。

京都大学の楠見孝先生は、次のように述べておられます。「批判的思考と高次リテラシーが、バイアスのない適切な判断や行動を導く」。リテラシーとは、知識や能力のことです。
http://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/03-faculty-of-education-jp/introduction-to-cognitive-psychologyii/pdf/cognitive-psychology2-09.pdf (スライド53)

駅のホームにおける転落事故や、電車との接触事故が絶えないので、ハード面での対策が行われることもあります。ハード面の対策が無いところでは、各人がソフト的な対策を実践するしかありません。

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(フリーのイラスト集より)