アイバンクへの挑戦」は、慶応大学眼科の坪田教授による本です。私はこれまで、坪田先生の本を15冊くらい読みましたが、この本も内容が濃い一冊です。

目の角膜に強いトラブルが生じた場合には、移植手術が必要になることがあります。そのような場合、当初は目が見えない状態であっても、移植手術により、再び見えるようになります。

坪田教授によれば、日本全体で1996年の1年間に行われた角膜移植手術は、1547件でした。しかし、手術を待つ患者さんは、約5669人であり、患者さんは、自分の手術が行われるまでに、何年も待たなければなりません。

このような状況で、坪田先生は、手術を受けられない患者さんのために何とかしようと努力しました。問題の所在は、角膜のドナーが少ないという点にあります。移植する技術のある眼科医は充分にいて、移植手術のできる病院も多くありますが、角膜が足りないのです。

坪田先生は、留学を通じて、米国の事情を良く知っておられます。米国では、年間に約4万5000件の角膜移植手術が行われています。つまり、米国では、必要な角膜が確保されており、必要な角膜移植手術が行われているのです。

なお、米国の手術件数から推定すると、日本で本来必要な手術件数は年に2万件くらいであり、年間1547件の手術件数は、必要数を全く満たしていないとのことです。

ところで、昔の医者は、結膜炎のときに、点眼薬を処方するのと同時に、眼帯をさせたことがありました。しかし、小児の場合、1週間以上にわたって眼帯をさせると、視力低下が始まります。廃用性の萎縮(使わないものは退化すること)が起きるのです。それで近年では、眼帯をさせてはいけないということになり、結膜炎の時に眼帯をする子どもはいなくなっています。

だから、移植手術を待っている間、目が見えない状態で何年も放置するのは、視力低下が心配です。特に小児では、後で移植手術をしても、メガネでどのように矯正しても視力が出ない状態(弱視)になる可能性があります。

坪田教授は、まずアメリカ型のアイバンク(眼球銀行)を立ち上げようとしました。しかし厚生省の方針は、一つの県には一つのアイバンクのみ許可するということであり、許可されませんでした。坪田教授は、厚生省の担当課に何度も足を運びました。結果的には、3年後に許可されました。

また、坪田教授は、厚生省と交渉する一方で、アメリカから角膜の輸入を試験的に試みました。これにも多くの障害があったそうです。人体の一部である角膜を、輸入できるのかという問題や、誰がどうやって角膜を運ぶのかという問題や、検疫の問題、関税の問題など、多くの問題があったそうです。

また、お金の問題もあります。清潔で安全な移植手術をしようとすると、お金がかかります。お金をどうやって工面するのかという問題があります。日本には、保険制度があり、手術の値段などは、あらかじめ安い値段に決められています。日本の献眼の制度は、医療関係者の無償の献身を前提にした制度です。長続きしない体制です。

坪田教授は、こうした問題を一つ一つクリアーしました。かなりの数の手術を提供できるシステムを作りあげました。そうして、坪田教授の施設では、待ち時間が2ヶ月で移植手術が受けられるようになったのです。何年も待たずに済むようになりました。このように坪田教授は、外部に働きかけて、着実に成果を挙げておられます。

私は、これまでに1回だけ近くのアイバンクに電話したことがあります。ある時、亡くなった方は臓器提供カードを持っておられました。しかし、体の損傷の状況から見て、移植手術に使えそうなのは、角膜だけでした。それで、アイバンクに電話したところ、角膜の状態を聞かれました。見ると、その方の角膜はやや白濁していました。残念ながら、白濁した角膜は移植には使えないとのことでした。ご家族にもそのように説明致しました。

坪田先生は、日本とアメリカの状況を、詳細に比較検討しておられます。アメリカでうまく行っているのに、日本ではなぜうまく行かないのかという比較検討です。そうして、日本でうまく機能しない理由を明確にしておられます。

また、坪田教授によれば、日本の行政は、各種団体の利益を調整するようなタイプのリーダーシップを行っていると述べておられます。日本の行政は、望ましい方向に引っ張ってゆくタイプのリーダーシップを行っていません。ワルファレン氏は、「日本の政治は、水に浮かぶ木の葉のように浮動している」と述べています。ならば、関係団体を少しずつ動かして行けば、浮動しているに過ぎない行政は変わるということです。目の見えない人がまた見えるようになるという目的の正しさは、関係者を動かすことを可能にします。

また、行政の担当者は2年ごとに移動しますが、担当者が変われば情勢も変わると述べておられます。

坪田教授は、本人の(自分の)やる気の問題を重視しています。反対者が多くいても、くじけないということです。最初は、推進派は自分一人だけで、組織の他の全員は反対派であったそうです。どんなに良い試みにもマイナス面はあり、それを根拠に反対されます。しかし、「医療の基本に戻って、悩む患者さんを治そうとすることを重視すれば、あとのことは些細なことだ」とする恩師の言葉を信じて実践しておられます。小さな壁にぶち当たっても、自分の情熱を失わないということです。

このように、坪田教授の足跡は、非常に参考になります。坪田教授は、単に業績を残すだけでなく、その過程を記録して広報してくれています。これは、坪田教授の研究についても同様です。坪田教授は、多くの優れた研究をしておられますが、その過程と研究の仕方を本にして広報してくれています。非常に忙しいはずなのに、どこにそのような時間があるのでしょう。坪田教授は、時間の使い方についても教えてくれています。ノウハウを伝える重要さを理解して実践して下さっているのです。