エミコ・イノウエ氏は、両方の国でDV被害を訴えていましたが、アメリカでは、その訴えは取り上げられず、逆に、逮捕・収監されました。アメリカではどのようにしてDVの有無を判断しているのでしょうか。
前回に読んだ文章では、通常の夫婦喧嘩とDVの違いについて、次のように述べています。「鍵となる重要な違いは、DVとは、一方的で、高圧的な人間関係であり、片方の者が相手を支配する仕組みを構築することである。時には、平和で愛情に満ちた時間があったとしても、その良い時間の中にも、暴力を用いる者が自分の思い通りにするために、ある時はほのめかしたり、ある時はあからさまに、相手を支配する行為を行うのである」。
簡単に言えば、DVでは相手を支配するということです。虐待者は、相手が付き合う範囲を制限し、相手の行動を制限し、相手を監視します。虐待者は、相手のすべての注意を自分に向けさせます。また、脅かすことにより、相手を内的に支配します。暴力により、反抗の芽を摘み取ろうとします。DVは、虐待者だけの利益のために行われます。
DVは、植民地支配に似ています。植民地支配は宗主国の利益のために行われます。植民地の自由や独立を認めません。武力で容赦なく反抗の芽を摘み取ります。暴力(武力)は、支配のための手段です。
夫婦喧嘩とDVの違いについては、「支配」の有無が、一つの重要な鑑別点です。この文章は、この他にも、「夫婦喧嘩では、愛情が基盤になっている」と述べています。全体的な雰囲気が、DVとは全く異なるということです。
フナとコイの区別がつかない場合に、「コイにはヒゲがある」という鑑別点を知ると、フナとコイが鑑別できるようになります。そして、一旦区別ができるようになると、それらが全く別の魚であることが分かるようになります。例えばコイは、鯉のぼりのように円筒形をしていますが、フナはタイに似た体形をしています。両者の区別は一目で分かる様になります。鑑別点はすぐに不要になります。
エミコ・イノウエ氏の元夫のガルシア氏の場合はどうでしょうか。次の動画は、ネット上にあったものです。
(その動画。音が出ます)。これはガルシア氏が子どものために作って Youtube にアップロードしたものです。子どもに会えない時期に、子どもが親のことを忘れないように、画像をアップロードしておいたのです。いつかは、子どもが父親の名前でネットを検索する日が来るはずです。その日に備えて、作っておいたのです。
ガルシア氏は、親子のきずなを保とうとしているのです。子どもを守るのは親しかいません。親以外の誰も、子育ての苦労をしてくれません。自分の命に代えても子どもを守るのは親しかいません。 その関係を保とうとしているのです。
子どもがアメリカに移送されて、ガルシア氏が子どもと再会した時に、「母親には充分に会わせる。私は仕返しをしない」と述べておられました。そして、さっそくその晩に、子どもと母親に電話で話をさせました。子どもに対するガルシア氏の愛情が感じられます。母親に対しても、子どものかけがえのない親としての尊重が感じられます。
では、エミコ・イノウエ氏はどうでしょうか。エミコ・イノウエ氏は、移動により、父と子の関係を、強制的に引き裂こうとしました。子どもを強く支配しています。子どもは、父親に会いたいと言うでしょうが、会わせません。手紙、電話、インターネットの会議などの代替手段も禁止します。さらに、子どもに「会いたい」と言わせないように、内的な支配を行います。エミコ・イノウエ氏は、自分が被害者のように振舞っていますが、それも、虐待者の特徴の一つです。最初から虐待の言い訳を述べているということです。
エミコ・イノウエ氏は、父と子を会わせないことにより、父と子の関係を引き裂こうとしました。子どもに対する虐待、元夫に対する虐待として、 guilty と言わざるを得ません。
棚瀬一代氏によれば、「日本ではDV被害を訴えていた母親が、いざ面会交流を始める段になると、同席を要求することがよくある」と述べておられます。これも、虐待者が子どもへの支配を継続させるためです。
このように、子どもを連れ去った者は、虐待者としての性質をしっかり備えています。子どもを連れ去って父親に会わせないのは、子どもへの愛情により、子どもの利益を最優先したからではなく、夫婦関係が破綻した責任を一方的に相手に負わせた上で、「仕返しをする」という自分の目的のために、子どもを道具として使っているということです。子どもの願いをかなえるために八方手を尽くしているのではありません。
仮に、悪徳弁護士に教唆されて行ったとしても、自然法上の重い犯罪であることにかわりはありません。実定法上の犯罪でなければ何をしても構わないというのは、悪徳弁護士の発想です。そそのかされて行ったとしても、我が子に、愛情のないひどい仕打ちをしたことにかわりはありません。
エミコ・イノウエ氏は、「日本では全て私の言う通りになるが、アメリカでは全て向こうの言う通りになる」と述べています。多分、エミコ・イノウエ氏は、自分が何をしているのかがよく分かっていないのです。復讐心にかられて子どもと父親を引き離し、子どもを支配することにより、子どもに悪影響を与えていることに気がついていないのです。
著者は、虐待者を犯罪者として切り捨てるのではなく、虐待者に正しい関係を再構築するよう促しています。この文章は、エミコ・イノウエ氏のような虐待者に、正しい方向性を示してくれています。エミコ・イノウエ氏のような虐待者が今後すべき事を示してくれています。
(1)自分が(子どもを)支配しようとしていたことに気がつくこと
(2)そのことが(親子関係に)いかに大きなダメージを与えていたかに気がつくこと
(3)自分が(子どもを)支配しようとしていた衝動の大きさに気がつくこと
(1)自分が(子どもを)支配しようとしていたことに気がつくこと
(2)そのことが(親子関係に)いかに大きなダメージを与えていたかに気がつくこと
(3)自分が(子どもを)支配しようとしていた衝動の大きさに気がつくこと
虐待者は、こうしたことに気がついていないのです。著者は、さらに次のようなことが必要だと述べています。
(4)結婚生活の犠牲者として振舞うことを止めること
(5)これまで行ってきた支配の方法を明らかにすること
(6)子どもや父親と正直な会話をすること
(7)それぞれが持っている傷や不安の癒しを見つけること
(4)結婚生活の犠牲者として振舞うことを止めること
(5)これまで行ってきた支配の方法を明らかにすること
(6)子どもや父親と正直な会話をすること
(7)それぞれが持っている傷や不安の癒しを見つけること
さらに、子ども(被害者)のすべきことも示してくれています。
(1)虐待者の目ではなく、自分の目で見ること (自分の頭で考えること)
(2)虐待の被害者であったことを認識する自由を持つこと
(1)虐待者の目ではなく、自分の目で見ること (自分の頭で考えること)
(2)虐待の被害者であったことを認識する自由を持つこと
母と子の正しい関係を再構築することが必要です。子どもは、母親を必要としています。子どもが育つには、母親の暖かい愛情が必要です。それが無いと子どもはうまく行きません。
別の例では、子どもを日本へ連れ去った後で、母親は父親に「これからは、日本のルールでゲームをしましょう」というメールを送っています。もちろん父親には会わせないということです。それが子どもへの愛情による行為ではないことは、明らかです。これは、父親への仕返しです。それと同時に子どもに対する正真正銘の虐待です。子どもを支配しようとしています。子どもの自由や、子どもの選択を尊重しようという態度ではありません。
親にしかできないことが多くあります。父親と母親では役割が異なっています。子どもは父親から学ぶべきことが多くあります。子どもが父親と引き離されると、子どもは父親から学ぶことができなくなります。子どもは学業成績が悪化し、社会に出てからうまく行かず、結婚生活もうまく行かないという人の割合が増えます。
10年以内に、日本経済が破綻することが予想されています。福祉などへの支出がこれ以上削減できないのに、物作りの利益が減って税収が減り、財政赤字が増えています。経済破綻した場合に、外国からの財政援助と引き換えに、欧米型の家族法や刑法が導入されるのは、大いにありそうなことです。実際、韓国ではそのようにして共同親権が導入されています。
共同の子育てや、虐待の鑑別は、科学的な常識として、いずれ日本に導入されるでしょう。国連やユニセフや欧米の政府機関が一致して述べていることが、いずれ日本へも導入されるでしょう。
人が見ていなくても神が見ています(ドラッカー)。自分自身が見ているのです。子どもが見ているのです。