以下のような文章を訳しました。
家庭内における健全なけんかと、DVは、どこが異なるか。
Jeff Olson 著
健全な家庭内のけんかと、家庭内暴力は、違いがあるのか。
どの家庭も、多かれ少なかれ争いを経験する。たいていの夫婦は、意見の強い対立を経験する。言い争いは、まれなことではない。時々、相手に対して、意地悪になり不親切になる。夫も妻も、時として冷静さを失い、相手に対してかんしゃくを起こす。だれでも、相手をこきおろしたり、不当に相手を糾弾することがある。個々の問題についての小さな衝突は、繰り返し起きる。しかしこれらは、すべて、欠点のある男と女が、一つの屋根の下に暮らすことに由来する不可避的で健全な緊張である。
しかし家庭内暴力は、身体的暴力を伴うにせよ伴わないにせよ、これとは全く異なる。一つの鍵となる重要な違いは、家庭内暴力とは、一方的で、高圧的な人間関係であり、片方の者が不正に相手を支配する仕組みを構築することである。時には、平和で愛情に満ちた時間があったとしても、その良い時間の中にも、暴力を用いる者が、自分の思い通りにするために、ある時はほのめかしたり、ある時はあからさまに、相手を支配する行為が行われるのである。
例えば虐待する者は、相手がその家族と会ったり、その友人と出かけたり、大学に戻ったりすることを妨害する。虐待する者は、相手が話をする対象を制限し、相手が出かける場所を制限し、相手が使うお金の内容を制限する。虐待する者は、相手のすべての注意を自分に向けさせる。相手が他の人と、話したり何かをしたりする時には、不当な後ろめたさを感じるようにさせる。虐待する者は、相手のニーズの存在を、自分のニーズに対する違反ないし裏切りと受け止める。虐待者は、正気とは思えないほど嫉妬深く、自分を裏切ったとして、相手を不正に糾弾する。虐待者は、相手がどこで何をしているかを常にチェックし監視する。虐待者の多くは、自分の思い通りにならない時や、裏切られたと感じた時や、無視されたと感じた時には、相手を激しく攻撃して、相手をおとしめる。虐待者の中には、離婚するぞと脅かしたり、体を痛めつけると脅かしたり、大切なものを壊すと脅かしたりする者がいる。それはすべて、相手を脅迫し、従わない場合には罰を与えるという行為である。
健全な家庭内の争いは、時々、実態よりもずっと悪く見えることがあるが、時間の経過により軽快する傾向にある。その人間関係は、愛情が基盤になっているからである。「愛は、多くの罪を覆い隠す」(1ペテロ4:8)。
この重要な愛情の基盤は、虐待の家庭では、痛ましいことに失われている。虐待する者の心の中では、私利私欲が働いて極限に達しているので、対策が行われなければ、家庭内の暴力は、時間の経過により、エスカレートして悪化するのである。
もう一つの重要な違いは、家庭の健全な争いと、家庭内暴力では、必要とする介入のレベルが異なるということである。健全な争いを行っているカップルは、客観的で聡明な第三者の助けを必要とするだけであり、多くのカップルは、それにより、独力で、相互的愛情・思いやり・許しの雰囲気の中で、互いの違いを乗り越えるのである。
しかしながら、家庭内暴力では、話が異なる。安全への必要性、虐待者の過度の自己中心性、および虐待者が常に被害を受けているという不満を持っていることなどにより、家庭内暴力の存在を認めさせて人間関係を改善させることは、ずっと複雑で困難な過程になる。虐待者が自分の虐待に直面させられ責任を問われている時に、虐待を受けていた人は、指導・支援・保護を提供してくれる人からの助けを必要とする。
ひとたび、虐待者の支配とコントロールが明らかにされても、たいていの虐待者は、結婚カウンセリングを受ける場合には、被害者との同席を強く要求する。同席は、虐待の関係を続けるための最後の手段である。結婚カウンセリングが効果を発揮するには、両者が正直にオープンに話し合うことが必要であるが、虐待者の利益を擁護するために、両者ともそれを行わない。ほとんど例外なく、虐待者は目立たない干渉を行うことにより、結婚カウンセリングの過程を妨害する。虐待者の大半は、自分があたかも被害者であるように振舞うので、相手をコントロールする仕方について討論することは、ほとんど不可能である。
他方、虐待された相手は、充分に安全であると思っているわけではないので、自分の本当の考えや心配を話すことはできないのであり、自分の誤りを認めることはできないのである。虐待を受けた者は、虐待者が言葉をねじ曲げて理解し、後で自分に代償を支払わせると思って恐れているのである。
長い間、虐待者のコントロールを受けていた者は、教え込まれた通りに、何か「間違ったこと」をしないために、虐待者の目を通して物事を見るようになる。もし、虐待を受けていた者が、自分の目で物事を考えることができず、虐待を受けていた人間として自分を規定する自由を回復しないのならば、結婚カウンセリングは、ほとんど効果が無い。
虐待者のうち、自分の暴力を止めようとして、本当に真剣になっている者は、虐待していた相手とは別に個人カウンセリングを受けることに同意するであろう。虐待者に対する個人カウンセリングは、虐待者が相手をコントロールしようとしてきたことや、それが夫婦の関係に与えたダメージの大きさや、パートナーに犠牲者としての精神状態を維持させ支配し続けようとする強い衝動を感じていた理由、などに気がついて、それに目を向けて、反省するように進められる。
同席の結婚カウンセリングは、虐待者が結婚生活の犠牲者として振舞うことを止めて、口実を述べることを止めて、これまで与えてきた害や相手を支配するやり方を全部白状し続けるような場合に限って、可能になる。そしてそのような場合に限って、相手と正直な会話が可能になるのであり、それにより、二人がそれぞれ持っている傷や不安への癒しを見つけて、二人が旅を続けることを可能にするのである。
結婚生活における身体的暴力、非身体的暴力について、さらに知識を深めて、それを認識するために何ができるのかを知りたい人は、我々の本「暴力が家にやって来た時」、「言葉が傷つけるとき」、「力が濫用されるとき」を注文して下さい。
この文章を友人にも読んでもらって下さい。