Our brother's keeper」(我々の兄弟の番人)
 
「Our brother's keeper」という文章を読みました。これは、日本の英語の教科書にも載っている文章の原文です。ある時、浮浪者に助けられたので、寝袋を作って浮浪者にプレゼントしているという話です。

(1)「Our brother's keeper(私たちの兄弟の番人)」
意味が分かりにくい題です。あるサイトは次のように述べています。

    (旧約聖書)
    兄のカインは、弟の所在を神に聞かれて、次のように答えました。
    I'm not my brother's keeper. 私は、弟の番人ではない。
    これは、同胞(仲間)に対する無関心な様子を表しています。

「Our brother's keeper」とは、同胞(仲間)に対して関心を持っているということです。
ところで、ゴール・キーパーというのは、ゴールの番人のことだったのですね。

(2)文章の難易度
教養あるアメリカ人の語彙は5万から7万程度であるそうです。私の語彙は5000から7000程度です。だから、教養あるアメリカ人が、その教養を駆使して上品な文章を書けば、完全な理解という点では、私には手も足も出ません。この文章も、そのようなものです。しかし、知っている単語をつなげて、大意を把握することは可能です。もちろん、辞書を引けば、理解できます。

これに対して、日本の中学や高校の英語の教科書は、私の知っている単語だけで書かれていますので、完全に理解できます。

(3)悪性リンパ腫
著者の子どもは、悪性リンパ腫(非ホジキン型)にかかって、治療を受けているところでした。悪性リンパ腫は、小児がんのうちでは、多いほうから、3番目のがんです。小児科医は、病気の子どもの近くにいて、採血したり骨髄を採取したりしますが、診断をつけるのは病理の医者です。正しい診断をつけるのは最も重要なことです。正しい診断がつけば、治療は、医学書を見ながらでも行うことができます。だから病理の医者の方が偉いわけです。

近年、医学が進んで、白血病や悪性リンパ腫にかかった患者さんのうち、多くの人の命が助かるようになっています。特に小児科の領域では、治療成績が改善しています。しかし、今でも多くの人が亡くなっています。

原爆の放射線を浴びた人に対する調査では、被爆後10年後くらいに白血病などの血液のがんが増え、30年から50年後に、普通のがんがさらに増えるそうです。だから子どもでは、血液のがんが多いのだろうと思います。

子どもの体は傷つき易いので、がん予防を真剣に行う必要があります。DNAに付いた傷は、(修復されなければ)蓄積する一方です。私が何かの機会に「子どものがん予防をしっかり行うべきだ」と発言したら、ある子ども雑誌の編集者は「そのようなことは、あまり聞いたことがない」と言って、私の所に取材に来て下さいました。それは、雑誌の記事になりました。

(4)病院
著者の息子さんが受診していた Sloan-Kettering hospital は、全米で1、2位にランクされるがんの病院であるそうです。実際、ある雑誌の2012年における全米のがんの病院ランキングで2位であったそうです。この病院では、悪性リンパ腫の治療も、専門として多く行なっているようです。悪性リンパ腫では、助かる人も多いけれども、亡くなる人も多いので、著者の息子さんは最も良い病院で治療を受けたのだと思います。ただし、正しい診断がつけば、プロトコール(治療計画)は、どこでも同じで、最も治療成績の良いものを採用しているはずです。

(5)外来患者
この文章では、がんの化学療法が、外来で行われています。がんの化学療法は、日本ではたいてい入院で行われます。がんの化学療法では、がん細胞を完全に死滅させなければなりません。しかしそうすると、正常細胞にもかなりのダメージが与えられます。

私が担当したある子どもは、化学療法の時に、1日に100回くらい嘔吐しました。次の日は50回くらい嘔吐しました。子どもの父親は「今日は少しマシです」と言っておられました。化学療法は、非常につらいものです。そのくらいしないとがん細胞は無くなりません。

私は、次のようであると理解しています。
日本では入院費は1日2万円くらいです。入院費には保険が効きますから、その3割負担で1日6000円くらいです。ただし、これは病院にいるだけの費用です。この他に、手術料や検査費用や薬代などがかかります。アメリカの場合は、入院だけの費用が1日に20万円くらいであると聞いています。

だから、アメリカの場合には、病院の近くのホテルに泊まって、そこから病院へ通って、外来で治療を受けることが多いそうです。その方が安くつきます。病院の近くの親戚の家に泊まって、そこから通えば、ホテル代も要らないことになります。著者の息子さんは、親戚の家から病院まで通って、化学療法を受けていたのでした。

(6)浮浪者
私は、著者の親子を助けた浮浪者について、次のようであると想像しています。

がんで子どもを亡くした父親が、元の家から離れて、最後に子どもが通った病院の近くに来て、浮浪者をしているのではないかと推測します。子どもががんで死ぬと約半数の親は、離婚するそうですが、子どもがいなくなって、母親とも離婚すれば、父親は何もすることがありません。食べ物が、レストランの残飯で良いのなら、働く必要もありません。
 
どこに行く気にもならないのですが、その病院には、子どもの思い出が残っているのです。そうして、その病院の近くで、浮浪者をしているときに、難儀している親子を見かけたのです。以前には、自分もそうだったので、困っていて助けが必要だと分かるのです。それで、自分の子どもを助ける代わりに、その親子を助けたのです。それで、浮浪者は、心が少し癒されたのです。

(7)悲しみの作業 grief work
著者の息子さんの結末については、書かれていません。私は、亡くなったのだろうと推測しています。助かっているのなら、日々の雑事に追われていて、寝袋を作り続けることを思い浮かばないでしょう。受けた親切に対しては、感謝してお礼を言えば済むことです。

家族が亡くなって、非常に深い悲しみの中にいる時には、何をしても心が癒されることはありません。他人から慰めを聞いても、お酒を飲んでも、 悲しみは減りません。そのような時に、子どもを助ける代わりの作業をすると、少しだけ心が癒されることがあります。それが悲しみの作業です。本当は、子どもを助けたいのだけれど、それは不可能であるので、その代わりのことをするということです。寝袋を作ってプレゼントするのは、悲しみの作業である可能性があります。亡くなっていれば、息子のためには、もう他にすることがありません。
 
浮浪者が親子を助けたのも、悲しみの作業である可能性があります。病院職員が病院で診療にあたるのも、実は多くの場合、そのようなものです。