法務省のホームページに「面会交流」というパンフレットがアップロードされたそうです。早速見てみました。

このパンフレットには評価できる点があります。
 
(1)これまでこうした情報提供は全くありませんでした。子どもの精神的な予後を良くするにはどうすれば良いかについて、法務省や裁判所からの情報提供は、全く無かったのです。そのレベルからすれば、一歩前進と評価できます。当事者の進むべき方向性が分かります。
 
パンフレット自体は、これまでもあったようですが、当事者にその存在が知らされることは通常無かったようです。だから、多くの人にとっては、無かったのと同じです。
 
(2)挿絵で、父親と母親が対等に登場しています。この点も評価できます。ある家庭裁判所は、入り口に母と子だけの彫刻が展示してあります。子どもが母親と楽しそうにしている彫刻です。父親の彫刻はありません。日本の家庭裁判所の姿勢がよく現れています。そういう現状からすれば、この挿絵は評価できます。

(3)子どもの感情に対する配慮があります。親が離婚すると子どもがどのような感情をもつかについて説明しています。子どもの感想を聞くことは重要なことです。子どもの権利条約にも「子どもの処遇を決めるに際しては、子どもの年齢に応じて、子どもの意見を聞かなければならない」と述べられています。

しかし日本の家庭裁判所においては、15歳未満の子どもでは、原則的に意見が聞かれることはありません。また、今回のハーグ条約受け入れ法案の作成においても、子どもの意見は聞かれませんでした。日本の家族法の体制自体が、子どもの権利条約に違反しているのです。

このパンフレットを読むと、子どもの意見を聞いてそれに対処しなければならない必要性がよく分かります。
 
このパンフレットには、評価できない点もあります。

(1)「面会」という言葉が使われていますが、親と子どもが面会するわけはありません。「面会」という言葉は、「二人の親を持つ」という子どもの権利を消し去っています。子どもは、両方の親に育てられて、大きくなるのです。
「面会交流」という言葉は、「わずかな時間だけ会って、話をしたり遊んだりする」ということを意味します。欧米では、交流の時間が最も少ない単独親権においても、子どもとの交流時間は、全体の20%ほどであり、その多くは宿泊付です。「面会」では、宿泊が念頭に置かれていません。

国連の子どもの権利委員会は、「養育権 custody」や「面会権 access」という用語から、「共に暮らすこと residence」や「交流を保つこと contact」に変更するように提唱しています。(英語版 Wikipedia の Contact (law)より)
「面会」という言葉を使っているのは、子どもの利益を考えるからではなく、現状を肯定し維持することを考えるからです。

(2)「面会交流」の中身として、「電話」「手紙」「会うこと」が並列に置かれています。「電話」や「手紙」は、補助にしかなりません。

例えば手紙では、3~4歳の子どもは、字を読めません。子どもに宛てた手紙を書くには、特殊な考慮が必要です。小学校1年では、ひらがなだけで「こんにちは」という感じです。小学校3年ではごく簡単な漢字を使って「きょうは、山へ行きました」くらいです。小学校5年なら、もう少し漢字を使うことができます。「私はサッカーが大好きです」。国語の教科書で確かめる必要があります。

手紙の問題点は、読まれている確証がないことです。間引きされても分かりません。読んでも、どの程度理解できたか分かりません。子どもの反応が分かりません。

英語において、「交流」の中身として「電話」「手紙」「会うこと」を並列に置いてある説明を見たことはありません。電話や手紙は、ごく限られた役割しか果たせません。「交流」とは、親と子が一緒に過ごすことです。

(3)面会交流が大切である理由が書かれていますが、最も重要な理由が抜けています。子どもは、ひとりでに大人になるのではなく、両方の親から大きい影響を受けて大きくなるのです。子どもの発達には、両方の親が必要です。

1960年代に、片親だけで育てられた子どもは、両親に育てられた子どもと比較して、その精神的な予後が悪いことが報告されました。片親だけに育てられた子どもは、平均すれば、学業成績がより悪く、社会に出てからの地位もより低く、結婚してからもより離婚しやすいことが報告されました。

母親が子どもの発達に重要な役割を果たしていることは、1900年ごろからの研究により知られていました。「父親の役割」についての研究は、1960年代から多数行われるようになりました。その結果、父親も、母親と同じように、子どもの発達に重要な役割を果たしていることが明らかになりました。( Wikipedia 父親の役割 参照)。

母親だけに育てられると、父親から子どもへの働きかけが無くなり、健全な発達をすることが困難になるのです。子どもの発達に必要な交流を行うには、それを可能にする交流の時間の長さと、交流の質が必要になります。

(4)このパンフレットも子どもの権利条約を無視しています。子どもの権利条約は出てきません。子どもの権利条約には、別居が始まれば交流を「regular」に行うと書いてあります。「regular」とは「恒常的」という意味です。この部分は、当局により以前から意図的に、「定期的に」と誤訳されています。月に2時間でも、年に1回でも、「定期的に」「継続的に」行ったことになります。子どもの権利を擁護するより、現状を擁護することに主眼があるのです。権利を守るのが仕事である法務省や裁判所が、先頭に立って、国会で批准された子どもの権利条約を無視しているのです。
 
しかし、このパンフレットは、無いよりはあったほうが良いと思われますので、Wikipedia の「面会」の外部リンクに書き加えておきました。