思春期から青年期にかけて、子どもは親から次第に精神的に自立して行きます。15歳から22歳の時期に、子どもがすべき課題の一つは、親から情緒的に独立することです(ハヴィカースト)。また、「自分」というものをはっきりさせて、自我同一性を確立することです(エリクソン)。

学校で教えてくれるのは、知識だけです。親からの精神的独立については、学校では教えてくれません。
 
私は中学2年の頃、親が「勉強しろ」と言うことが気に障っていました。自発的に勉強しようと思う丁度その時に、非常にタイミング悪く「勉強しろ」と言われてしまい、命令されてしまうのです。
 
ある日、私は考えました。そして親に言いました。「今後、親が私に『勉強しろ』と言ったら、その日は勉強しない」。その時は、軽く聞き流されました。そして、その日の夕食後、親はいつも通りに私に「勉強しろ」と言いました。「今日は絶対に勉強しない」と言って、その日は勉強しませんでした。
 
次の日の夕食後、私は親が「勉強しろ」と言うのを待ちました。親がそう言えば、勉強しなくて済むと思ったからです。しかし、親は言いませんでした。それで仕方なく私は、自分から勉強部屋へ行きました。それ以後、親は私に二度と「勉強しろ」と言うことはありませんでした。
 
しかし、結局同じことです。以前は、親に勉強しろ、勉強しろと言われて、うるさく思いながら、なかなか勉強できなかったのです。それ以後は、自分で勉強しなくてはいけない、勉強しなくてはいけない、と思いながら、なかなか勉強できないという状態になりました。
 
親が持っていた「勉強しなくてはいけない」という気持ちを、自分に取り込んだということです。状況は何も変わっていません。客観的だったものが主観的になったということで、それなりの落とし穴も増えます。例えば、楽しい娯楽をしていると、時間はあっという間に過ぎてしまいます。
 
要するに、親や教師に命令されてするのではなく「自分でする」ということです。自分がしたくないのならしないということです。そのかわり、全ての責任を自分で取るということです。
 
それは、親や教師の言うことを守らないということではありません。無理に否定する必要はありません。自分で決めるということです。「勉強しろ」と言われても、しなければそれまでです。
 
お金を稼ぐことと、精神的に自立することは、無関係です。お金を稼ぐ人でも、雇用主に精神的に依存しているわけではありません。精神的には完全に独立していて、全てを自分で判断しています。
 
7つの習慣」の本で、コヴィー氏が第一に勧めていることは、「全てを自分で決めて行動し、全ての責任を自分で取り、他人のせいにしない」ということです。
 
ところで、父親と母親では役割が異なります。母親は、子どもの身の回りの世話をします。そして母親は、子どもを受容して精神的に支えます。思春期以後、母親が世話をやきすぎると、子どもの独立心を侵して、うるさく感じられることがあります。
 
父親は、子どもが自立できるように援助します。父親は遊びを通じて、子どもに新しいことを教えて、しかも自分ひとりでできるように促します。例えば、競技的な遊びを通じて、自分をコントロールして、責任を持って行動を成し遂げるように指示します。父親は、子どもに勤勉の意義を教え、努力すれば目標が達成できることを教えます。そして、自分の失敗や成功は、自分の努力が原因であることを理解させます。(wikipedia「父親の役割」を参照)。
 
父親と過ごす時間の少ない子どもは、自立心の発達が弱いことがあります。逆に父親と長い時間を過ごす子どもは、独立心が旺盛で時間に正確です。父親は、子どもと過ごす時間に、ただ遊ぶだけではなく、意識的に積極的に、自立や責任について教える必要があります。逆に子どもは、父親から多くを学ぶ必要があります。
 
学校は、知識について教えてくれるだけです。個々の生徒に対して、時間や手間のかかることをしてくれません。親だけが、一人の子どもに、長い時間と多くの手間をかけて付き合うことができます。
 
米国PTA・米国政府は、調査に基づいて、父親が子どもの教育にかかわる時間が増えるほど、子どもの成績が伸びると結論しています。そして、父親が子どもの教育に多く関与するように呼びかけています

なお、自立とは、自立するぞと宣言することではありません。世の中には、いろいろな生き方がありますが、自立とは、自分の生き方を自分で選択することでもあります。世の中には、偉大な人もいれば、矮小な人もいます。無限の可能性があります。親は一つの実例でしかなく、親が答えではありません(親は、持っているものを全て子どもに与えるというだけです)。読書を通じて、多くの可能性を学び、その中から自分の責任で選択して、それを実行するということが必要です。教科書の知識を習得するだけでなく、先人の生き方の本を読んで、選択肢の幅を広げて、自分の可能性の幅を広げる必要があります。