判決による共同親権について、以下のような文章を書きました。近いうちに Wikipedia 「共同親権」のノートの「判決について」の末尾に投稿予定です。

 
○○氏は、親権の内容として、例えば「学校を決める権利」を挙げておられます。しかし、小学校は、住所によって自動的に決まります。大学などは入学試験があり、子どもが希望しない学校に行かせるのは困難です。大学の受験資格に「親権者の許可があること」という項目は見当たりません。少なくとも、親権者が一方的に決めるようなものではありません。「親が学校を決める」という言い方は、子どもを物として扱ってるようなニュアンスがあります。親権を物権のように扱っているということです。それは現実の実態とも異なっています。

また、子どもを懲戒する権利も親権の一つです。親権を持っていない親は、懲戒権を持っていません。しかし「懲戒場へ入れるぞ」などと脅かさなくても、子どもが間違ったことをしているのなら、その場で注意すれば済むことです。また、子どもが知らないことがあれば、その場で教えれば済むことです。

親は子どもの発達に重要な役割を果たしています。親は子を教育する権利と義務を持っています。親は子に言葉を教え、社会について教え、協力について教え、競争について教え、実践について教えます。学校で教えてくれるのは、読み書きのような知識だけです。

日本の民法は、親がどのような役割を果たしているのかについて、まだ日本ではあまりよく知られていなかった時代に作られたものです。

共同親権Q and A」にあるように、単独親権と共同親権の違いは、子どもと一緒にいる時間の長さであるという考え方も有力です。子どもと一緒にいれば、親としての重要な権利は、当然に行使されます。親権を持たない親が、子どもと一緒にいるときに、子どもに注意せずに教えないということは、実際にはあり得ないことです。

ところで、判決には、強制力があります。「金を支払え」という判決を無視すると、差し押さえられます。差し押さえを実力で阻止しようとすれば、警察や自衛隊が出てきます。判決には、私人の意見表明とは違って、国家権力による強制があります。

「権利」は抽象的な理想を述べたものではありません。「権利」は、裁判所に対する請求の根拠になるものです。権利とは、それが侵害された場合に、裁判所に訴えると、国家権力による救済が得られることを明示したものです。

ただし当然ながら、現実的な制約があって、希望する判決を常に得られるとは限りません。相手も同様の権利を持っていたり、他の権利との競合が問題になったり、具体的なケースの具体的な争点だけしか判断してくれないとか、時間が経って訴えの利益が無くなれば敗訴するとか、国家が強制する手段が限られているとか、日本では行政裁判の勝訴率が低いとか、いろいろな制約があります。

○○氏が述べられているのは、「家庭裁判所の典型的な裁判の類型ではない」ということでしょう。それは、その通りです。家庭裁判所では、慰謝料請求裁判や、差し止め請求裁判をしてくれません。

日本では、離婚の90%は、合意によって行われます(協議離婚)。しかし、これは世界でもまれな制度です。多くの国では、離婚するには判決が必要です。また多くの場合には、育児計画書を要求されます。当事者の合意があれば、その通りに決められる可能性が強いですが、子どもの権利を軽視するような合意は認められないし、待機期間の定めなどを守る必要があります。意見が食い違う部分については、裁判所が決めます。つまり世界における共同親権の大半は、判決で決められるということです。それは、当事者の単なる合意とは異なって、強制力があります。無視すると、親権妨害罪や法廷侮辱罪に問われる可能性があります。

○○氏は、別の所で、「イギリス国内での連れ去りは、罪にならない」とか、「アメリカの州内での連れ去りは、罪にならない」とか主張しておられます。それはもちろん誤りです。それを本気にして実行した人がいれば、非常に重い罪に問われる可能性があります。また、○○氏自身も、重い罪に問われる可能性があります。今後○○氏がイギリスやアメリカを旅行する必要がある場合には、慎重に判断されることをお勧めします。