(1)メガネ会社のCM動画です。近視の人には治療が必要であることを広告しています。
CM1、CM2、CM3、CM4、CM5、CM6
(2)若い男の子は、些細なことで張り合うのはなぜか。
進化心理学の本のどこかに、この説明がありました。男の子が、些細な事で張り合って、それに勝つと、それを見ていた女の子に受けが良いということです。そうして男の子は、子孫を残す可能性が高くなります。それでそのような習性が定着したとのことです。
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(2)若い男の子は、些細なことで張り合うのはなぜか。
進化心理学の本のどこかに、この説明がありました。男の子が、些細な事で張り合って、それに勝つと、それを見ていた女の子に受けが良いということです。そうして男の子は、子孫を残す可能性が高くなります。それでそのような習性が定着したとのことです。
「男性がこの時期にこのような心理的特性をもつことは、その後の人生における男性間の競争や女性からの配偶者選択に有利に働いてきたと考えられる。」(長谷川寿一、長谷川眞理子、科学 Vol70 No.7 P560 「戦後日本の殺人の動向」)
些細な事で張り合うマイナス面もありますから、単なる動物的本能として自覚して、それをしないことも可能です。価値ある仕事を成し遂げる量で競争して切磋琢磨するのは良いことですが、些細なことで張り合うのは馬鹿げたことです。
(3)若い男の子は、危険を軽視することが多いのはなぜか。
これも、進化心理学からの説明があります。文明以前の社会でも、文明後の社会でも、多少危険を冒した方が、収穫物が増えます。収穫物が多い男の子は、女の子に受けが良く、子孫を残す可能性が高くなります。危険を冒して死ぬ危険があっても、危険を冒して稼ぎが増えて子孫を多く残す可能性もありますから、その合計として、プラスの方が多ければ、それは習性として定着するということです。
私は、棒倒しという競技をしていて首の骨を折った人と話をしたことがあります。またアメフトをしていて首の骨を折った人と話をしたことがあります。また海水浴場の飛び込み台から飛び込んで首の骨を折って寝たきりになった人の主治医だったこともあります。バイクで転倒して死亡した人の死亡確認をしたこともあります。いずれも若い男性でした。
中年以後のしょぼくれたおじさんは、危険なことをしません。おそらく、そのおじさんには子どもがいて、現状を維持すれば、その子が無事に育つのです。一攫千金を夢見て、危険なことに手を出せば、その子がうまく育たない可能性があります。おじさんにとっては、安全策を行って、現状が少しでも長く維持されることが、より子孫の繁栄につながるということです。
若い男の子は、本能的に危険を軽視します。しかし、自分の一生が、うまく行くことが予想されるのなら、危険を軽視する必要はありません。まじめに努力して、まじめに学んで、まじめに働くつもりなら、危険を冒す必要はありません。必要なもの、欲しいものは、働くことによって手に入いります。危険なことをしなくても、うまく行くのです。真面目に努力しない男の子達と同じレベルで、本能に従って危険を冒して行動する必要はありません。
(4)男と規律
男は、規律の中に生きています。男の世界は、サッカーのようなものです。90分という決められた時間のなかで、ルールに従って、最善を尽くします。全力で競い合います。同僚は、掛け替えの無い仲間ですが、競争相手でもあります。男の子の遊びとは、そのようなものです。男とは、機能であり、働きが重視されます。個人プレーとチームプレーの両方が必要です。そうならば、男の社会は、どうしてもそのような形態になるのです。
これに対して、小さい女の子の遊びは、ままごとです。いつ始まっていつ終わるのか、何をしているのかが分かりません。人形にミルクをやったり、料理を作ったり、食べたり、おしゃべりをしたりします。相手をさせられるパパは、食べる真似をしたり、寝る真似をしたり、会社へ行く真似をします。ルールも無いし、ゴールもありません。決められた時間の中で全力を尽くすこともありません。
軍隊では、起床ラッパと共に全員が飛び起きます。朝の準備をして、朝食は決められた時間に正確に始まります。そして消灯ラッパで同じ時間に寝ます。男は時間に正確です。これも、機能を果たすためです。チームの働きを最大限にするための仕組みです。会社などの組織でも、働きを最大限にする必要がある点は同じです。男の職場は、戦場の軍隊のようなものです。
BBCの「パパの生物学」は、「父親に育てられた子どもは、朝食や夕食を決まった時間に食べる。」と述べています(36分30秒の辺り)。父も子も、時間に正確であるということです。
些細な事で張り合うマイナス面もありますから、単なる動物的本能として自覚して、それをしないことも可能です。価値ある仕事を成し遂げる量で競争して切磋琢磨するのは良いことですが、些細なことで張り合うのは馬鹿げたことです。
(3)若い男の子は、危険を軽視することが多いのはなぜか。
これも、進化心理学からの説明があります。文明以前の社会でも、文明後の社会でも、多少危険を冒した方が、収穫物が増えます。収穫物が多い男の子は、女の子に受けが良く、子孫を残す可能性が高くなります。危険を冒して死ぬ危険があっても、危険を冒して稼ぎが増えて子孫を多く残す可能性もありますから、その合計として、プラスの方が多ければ、それは習性として定着するということです。
私は、棒倒しという競技をしていて首の骨を折った人と話をしたことがあります。またアメフトをしていて首の骨を折った人と話をしたことがあります。また海水浴場の飛び込み台から飛び込んで首の骨を折って寝たきりになった人の主治医だったこともあります。バイクで転倒して死亡した人の死亡確認をしたこともあります。いずれも若い男性でした。
中年以後のしょぼくれたおじさんは、危険なことをしません。おそらく、そのおじさんには子どもがいて、現状を維持すれば、その子が無事に育つのです。一攫千金を夢見て、危険なことに手を出せば、その子がうまく育たない可能性があります。おじさんにとっては、安全策を行って、現状が少しでも長く維持されることが、より子孫の繁栄につながるということです。
若い男の子は、本能的に危険を軽視します。しかし、自分の一生が、うまく行くことが予想されるのなら、危険を軽視する必要はありません。まじめに努力して、まじめに学んで、まじめに働くつもりなら、危険を冒す必要はありません。必要なもの、欲しいものは、働くことによって手に入いります。危険なことをしなくても、うまく行くのです。真面目に努力しない男の子達と同じレベルで、本能に従って危険を冒して行動する必要はありません。
(4)男と規律
男は、規律の中に生きています。男の世界は、サッカーのようなものです。90分という決められた時間のなかで、ルールに従って、最善を尽くします。全力で競い合います。同僚は、掛け替えの無い仲間ですが、競争相手でもあります。男の子の遊びとは、そのようなものです。男とは、機能であり、働きが重視されます。個人プレーとチームプレーの両方が必要です。そうならば、男の社会は、どうしてもそのような形態になるのです。
これに対して、小さい女の子の遊びは、ままごとです。いつ始まっていつ終わるのか、何をしているのかが分かりません。人形にミルクをやったり、料理を作ったり、食べたり、おしゃべりをしたりします。相手をさせられるパパは、食べる真似をしたり、寝る真似をしたり、会社へ行く真似をします。ルールも無いし、ゴールもありません。決められた時間の中で全力を尽くすこともありません。
軍隊では、起床ラッパと共に全員が飛び起きます。朝の準備をして、朝食は決められた時間に正確に始まります。そして消灯ラッパで同じ時間に寝ます。男は時間に正確です。これも、機能を果たすためです。チームの働きを最大限にするための仕組みです。会社などの組織でも、働きを最大限にする必要がある点は同じです。男の職場は、戦場の軍隊のようなものです。
BBCの「パパの生物学」は、「父親に育てられた子どもは、朝食や夕食を決まった時間に食べる。」と述べています(36分30秒の辺り)。父も子も、時間に正確であるということです。