(前の記事より続く)
Role of the Father (父親の役割)という本は、Google Books にもあります。この本の7章は、Custody and Parenting Time (養育と、親子の時間)です。この章の著者は、アリゾナ州立大学のWilliam Fabricius準教授です。この本では、 Visitation 面会という言葉の代わりに、Parenting Time 親子の時間という言葉が使われています。面会という言葉は、「二人の親を持つ」という子どもの権利を否定しているからです。7章のうち、いくつかの文を訳しました。
Role of the Father (父親の役割)という本は、Google Books にもあります。この本の7章は、Custody and Parenting Time (養育と、親子の時間)です。この章の著者は、アリゾナ州立大学のWilliam Fabricius準教授です。この本では、 Visitation 面会という言葉の代わりに、Parenting Time 親子の時間という言葉が使われています。面会という言葉は、「二人の親を持つ」という子どもの権利を否定しているからです。7章のうち、いくつかの文を訳しました。
(1) 一般の人々は、離婚後も二人の親による対等な育児行うことを、明確に強く支持している。また一般の人々は、養育や育児の時間に関して、裁判所が行う理由の無い性差別に対して、強く反対している。
日本のいくつかの地方自治体で共同親権を求める決議が行われたり、いくつかのマスコミで共同親権に向けた番組が放送されるのは、ベースにはこのような事情があるからです。交流の時間が月に3時間でよいと考えているのは、日本の離婚産業の従事者だけだということです。運動には、一般の人々からの支持もあるということです。
(2) 離婚後に片方の親が、対等の育児には反対であった場合に、裁判所がそれを命じても、共同の育児は順調に行われる。もっと正確に言うなら、対等の育児を命じられたことによる痛手は、二人の親や子どもには認められない。
特に何の問題もありません。
(3) 育児の時間の回数と子どもの予後は、弱い関係しかない。育児の時間の中身が娯楽的活動だけであれば、その意義は少ない。子どもを中心として、親としてその子どもにかかわることが重要である。
子どもも、ただ遊んでいるほどヒマではありません。より良く生きてゆくために、親から学ぶべきことが多くあります。親とかかわることが、子どもにとって有意義でなければなりません。子どもは経験が無く、何も知りません。親子の時間は、社会の成り立ちや、親の実践や人生経験を、子どもに分かりやすく伝達する場です。
(4) 伝統的な隔週で2日間ずつという育児の時間では少なくて、親子の間に親しい関係を築いて、親が2人いる利益を得ることはできない。最低でも3分の1の時間を必要とし、可能なら2分の1の時間が望ましい。これは、関係者の合意になりつつある。
ワーラーステイン氏の研究でも、多くケースでは隔週で2日間ずつの交流が行われていました。しかし、支払期限(18歳)を超えて養育費が支払われ続けたのは、2例だけでした。つまり、隔週で2日間ずつの交流では、親子関係は切断されるということです。柳川市のケースでは、テネシー州の裁判所は、「年に4ヶ月は父親と過ごす」という判断をしましたが、これは理想ではなく最低限なのです。