中西準子教授の「食のリスク学」を読みました。
 
中西教授は、物質リスク評価の最高権威であり、産業技術研究所の研究を統括しておられます。
この本は、一般向けの啓蒙書です。食の安全についての考え方を、説明しておられます。
食の安全を確保することは、重要なことです。
 
中西教授は、個人的なホームページにおいても、情報の提供を行っておられます。
こういう先生は、全く貴重です。アカデミックで正しい視点を学べるのは、有り難いと思います。
 
利害関係のある業者などと軋轢を全く来たさない人は、たぶん何もしていない人でしょう。中西先生は、いくつかの組織と軋轢を来たしておられますが、こうした本で正確な情報を公表すれば、不当な攻撃を受け続けることが減るでしょう。
 
(1)飲料水(トリハロメタン)
飲み水の安全は、非常に重要な問題です。
 
水道水には消毒のために塩素が添加されています。しかし、塩素によって有害なトリハロメタンが生じ、それにより癌で死ぬ人がいます。しかしだからと言って、そのことは塩素消毒を中止する根拠にはなりません。代替の水は、もっと危険かもしれません。水道水が一番危険の少ない水であるなら、癌になる危険を冒しても、それを飲むしかありません。実際、私は数年前から、ペットボトルに入れた水道水を飲んでいます。
 
中西教授は、アルゼンチン政府の例を紹介しておられます。アルゼンチン政府は、1991年頃、水道水の塩素消毒を中止し、それによってコレラが流行し、約7000名の死者を出したそうです(p15)。私は、このことを知りませんでした。
     
日本でもそのような事例があります。1990年に埼玉県浦和市のある幼稚園では、園長先生が水道水のトリハロメタンを避ける目的で、井戸水を園児に飲ませていたところ、病原性大腸菌O157により、園児2名が死亡しました。
 
現在も、水道水に含まれるトリハロメタンを避ける目的で、井戸水や湧き水を利用している人がいますが、それはお勧めではありません。
 
中西教授は、このような問題について、どう対処したらよいかを、説明しておられます。危険性の和を最少にするということです。
 
(2)食物中の発癌性物質
疫学的な研究により、癌の原因の3分の1がタバコであることが判明しています。また同じく3分の1は、食事です。この本でもそのように述べられています(p210)。
 
一般の人は、食事に含まれる物質のうち、農薬やダイオキシンのような、人工的な物質が危険であると考えていますが、中西教授はそうした人工的な物質は発がん性の弱いものが多く、むしろ自然に存在する物質に強い発がん性を示すものが多いと述べておられます。
 
癌を防ぐ12ヶ条により、私は焦げた部分を食べないようにしています。また、塩干物や砂糖漬けを、極力食べないようにしています。スーパーマーケットで、材料で比較し、新鮮なものを食べるようにしています。
 
食物の腐敗により多くの発がん物質が生じます。私は、購入したものを、なるべく早く食べるようにしています。  
(3)お金の問題を含む
野口教授は、環境ビジネスは不況を克服するビジネスモデルにはならないと述べておられます。環境ビジネスとは、食事や着物にかけていたお金を節約して、空気をきれいにするために使うようなものだと述べておられます。
 
安全のためには、たいていお金がかかります。一人の人間を救うために、無限のお金をかけることはできません。完全な安全はあり得ず、我慢できる小さな危険を容認しなければなりません。
 
中西教授は、リスクを減らすためにかかるコストについて論じ、費用対効果について説明しておられます(p44)。
 
 
 
私は以下のように補足したいと思います。
 
(A)必須栄養素
食物は、単なる「体に入る物質」ではありあせん。もっと積極的な意味を持っています。必須栄養素というものがあります。これが全く無ければ生きて行けないという栄養素です。必須栄養素が不足すると、欠乏症になります。欠乏がひどいと死亡することもあります。実際、重症の脚気や、重症の壊血病では死亡することがあります。
 
ただし常識的な食生活をしていれば、そのような極端なことにはなりません。しかし、正しくないダイエットをするなどの状況では、欠乏症になる危険があります。栄養が片寄っている人は、風邪を引きやすくなります。欠乏がひどくなれば、病気も重くなるでしょう。本当に健康で元気な人は、あまり風邪も引かないものです。
 
栄養所要量を全て満たす必要があります。
 
(B)対談
対談の部分には、定性的な話が多くあります。過半数は妥当です。
 
フードファディズムという言葉を紹介しておられます(p69)。食事の意義を過大評価するという意味であるそうです。
ある程度以上のお金があり、常識的な食事摂取をしていれば、栄養に関して、あまり大きな問題は生じません。しかし、何らかの理由で、食事が片寄れば、生命に関わる状況は、容易に発生します。だから「食事の問題はたいした問題ではない」というのは、限られた状況での話です。
 
(C)味付け
味付けにより、澱粉を蛋白質に見せかけることができます。小麦粉などの澱粉は比較的安価です。少量のアミノ酸を添加して蛋白質に見せかければ、もう少し高い値段で売ることができます。コンビニのお菓子は、そのようなものです。カップめんもそうです。
 
蛋白質が不足している人が蛋白質を食べると不足は解消されて満足します。しかし、蛋白質が不足しているひとが、アミノ酸で味付けされた澱粉を食べても、一瞬だけは満足するでしょうが、不足は解消されないので、蛋白質を食べたい気持ちは、消えません。それで、いくらでも多く食べることが可能になります。澱粉を摂り過ぎる危険があります。
 
(D)フッ素添加
中西教授は、水道水にフッ素添加することは、賛成しておられないようです(p113)。世界的には、水道水にフッ素添加することが勧められています。うまく磨けない人もいるし、うまく磨けない歯の隙間もあります。虫歯は、そういう所から発生します。
 
私は個人的には、フッ素入りの練り歯磨きで普通に磨いた直後に、もう1回磨いて、2回目は泡沫を吐き出すだけにして、水でゆすがないようにしています。
 
アメリカ歯科医師会は、1日2回の歯磨きと1日1回のフロッシングを勧めています。私は、その通りにしていますが、時にフロッシングを忘れます。こうしたことを実践して、虫歯は簡単に予防できることが分かりました。
 
(E)砂糖
この本の対談では、砂糖を有害とは考えておられないようです(p72)。
 
砂糖は、ブドウ糖と果糖が結合したニ糖類の炭水化物です。それ自体は、有害ではありません。澱粉や果物を摂取すれば、ブドウ糖や果糖は、いくらでも多く体内に入ります。砂糖の摂取が問題であるのは、次のようなことがあるからです。

澱粉は、ゆっくり消化されてブドウ糖をゆっくり供給します。しかし、砂糖は急速に吸収されて、血糖値を急に上げて、また急に下げます。そのときに空腹感を来たします。砂糖は、摂取後に血糖値がすぐに上がるので、空腹感を短時間で癒すことができます。このような仕組みで、一日中、甘いものを食べたがる子どもがいるのです。夏には一日中アイスクリームを食べたがります。例えば3歳児の基礎代謝は、大人の3倍もありますから、食物摂取の問題は子どもにとっては切実な問題です。
 
砂糖の摂取が増えると、その分だけ他の栄養素の摂取が減って、正しい栄養素のバランスから外れます。体の抵抗力は低下し、病気にかかりやすくなります。
 
澱粉とブドウ糖は、栄養学的な意味合いは、ほとんど同じです。澱粉は消化されてブドウ糖になります。しかし、味は全く異なります。子どもが欲しがる度合いも全く異なります。その意味で要注意であり、適切に摂取しなければ、有害な食品になります。
 
野生動物には虫歯は見当たりません。未開の民族には虫歯がありません。しかし、その民族に砂糖がもたらされると、虫歯が多発します。
 
化学物質としての毒性が0であっても、その物質が全体として人間に悪影響を与えることは、有り得ることです。砂糖がまさにそれです。
 
(F)業者
化学物質の科学的管理に抵抗する主な勢力は、それに関わる業者です。その業者は、その件について利害関係を持っています。そして、自分の利益を最大化するように行動します。宣伝、行政当局への働きかけ、科学的に確立されている知見への反論、科学的管理への妨害などです。
 
そういう業者に対する対策の一環として、ホームページによる情報提供や、本の執筆をしておられます。
 
(G)危険の知覚
リスクに対する正確な評価は、産業総合研究所のようなプロフェッショナル集団がすべき仕事です。しかし、そうした研究成果を正しく理解して実践するのは、一般の人々の役目です。危険が正しく認識されなければ、効果的な対策は行なえません。
 
Slovicは、人が危険を知覚する際のバイアスについて研究しています。病気のリスクは過小に知覚され、事故のリスクは過大に知覚されるそうです。
 
人の確率的事象の知覚は、ゆがんでいます。自分にだけ幸運が訪れることを期待してギャンブルで身を滅ぼす人は、いくらでもいます。また、たいていの人は、自分が無限に生き続けるような錯覚を持っています。
 
リスク知覚のゆがみを乗り越えて、リスクを正確に伝えなければなりません。

(H)リスクの教育
リスクを人々に伝える必要があります。しかし、恐怖に訴えるような教育は、教育を受けること自体を拒否されてしまいます。
 
また、コミュニケーションの受け手には、先有傾向があります。つまり、その内容をすでに知っていて重要だと分かっている人は聞いてくれるのですが、その内容を知らない人は聞いてくれません。
 
こうした理由で、実際にリスクの教育を行ってその効果を測定すると、あまり効果が無いこともあります。単に教育を行うというだけでは不充分であり、時々効果を測定して、本当に効果があるような教育を行わなければなりません。